黄昏国異聞
芹沢文書
名を巡る物語
対名の猫
子供というのはまだ人になり切れていない、
名がないのは単にまだ人として認められないから、だけではない。名は個を識別せしめるものであるから、それを呼ばうことは僅かなりと雖も、魂を引くことに繋がる。魂の定まった大人ならば然程問題にはならないものが、子供の身には強く作用してしまう、と考えられている。
魔のモノに魂を引かせないよう、子供には名を付けず、皆おなじ格好をさせて育てる。けれどそれでは親が呼ぶ場合にも困ってしまう。だから、このあたりでは猫を一緒に飼う。
子供が生まれたらすぐ、なるべく子供と同じ頃に生まれた仔猫を探してくる。仔猫は子供と一緒に育ち、一人と一匹が同じ
それでも子が亡くなってしまうことはある。その場合、子供はまだ共同体の一員として迎え入れられていないため、猫と共に村外の辻に埋められることになる。不思議と猫は抵抗せず生き埋めにされるそうで、地の底で子供の魂が魔に喰われぬよう護り続けているのだと村人は信じている。
ほとんどの場合、猫は人ほど長く生きられない。子供が大きくなった頃には猫の命が尽きる。猫が息を引き取った時、あるいは不意に行方を晦ませて帰らなくなった時、それが子の元服する時だ。
猫の亡骸があるならば、子供はその葬儀を行なう。猫を納めた棺を抱え、猫が息を引き取った時に日の出ていた方角へ、夜ならば月のあった方角へ、独りで歩くのだ。棺はだんだん重くなり、やがて持っていられなくなり地面に降ろした場所に、穴を掘って埋める。そして、埋めた地から縁を得て自らに名付け、村へ戻って名乗りを上げる。これで子供はようやく子供でなくなり、村の大人として生涯をこの地で過ごすのだ。
猫を葬った場所は、仮初のものとはいえ自らの名であったものを葬った場所でもある。万が一にも掘り出されれば、そこから縁を辿り魂を縛られかねない。だから埋めた場所は誰にも、たとえ親兄弟や伴侶にであっても、教えることはない。
猫が帰らない時は、子は村を出て自分の半身を探しにゆかねばならない。弱った半身を、あるいはその亡骸を見つけたならばその地に埋め、名を得て村へ還ることができる。見付からなかった場合は、二度と村へ戻ることはない。そうして村を出ていった彼らがどうやって失った名を得るのかについては、村の伝承は何も語らない。
ごく稀に、行方知れずになった猫を探しに出た子供と入れ違いに、猫だけが戻ってくる場合がある。その場合、猫は成人と認められ、子供の代わりに村で一生を過ごす。どういうわけかそのような猫は人並みに生き長らえ、人の言葉を話し、人の伴侶すら得て天寿を全うするのだという。もしかしたら猫は半身たる人の子をいずこかに埋めることで、その名を、魂を、我が物としたのかも知れない。
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