呼ばれた先に居たモノー若葉の過去ー

 私がまだ『普通』の神社の娘だった時。

 まだ、両親と共に三人で暮らしていた時。

 私は今と変わらず、いや、今よりも力を扱う能力が低かった時。


 ――ソレ、と出逢った。


 私はその頃、自分の力の異質さを理解していた。

 故に両親。特に、この神山神社で生まれ育った母様は口を酸っぱくして、私に言い聞かせていた。


『不用意に視てはいけない』

『不用意に触ってはいけない』


 それを守らなければ、連れて行かれてしまうわよ。と。

 

 何処に連れて行かれるかなんて、分からなかった。

 好奇心だって旺盛で、私は母様との約束を何度も破り、多種多様な『この世ならざるモノ』を視ては喋って、時には怪我を負って。母様にたくさん怒られた。父様にたくさん心配された。

 それでもやめなかったのは、私にはソレ等しか話し相手が居なかったからである。

 『異質な子』として近所では有名だったし、年の近い子達はみんな、私と関わると何かしらの悪縁を引き寄せてしまうから、いつしか煙たがられて誰も近付かなくなっていた。


 だから私は今日もひとり。神社の境内で鞠つきをしながら考える。


「母様は見てはいけないと言っていたけれど、やっぱり気になるなぁ」


 社の奥の部屋。桜の銀刺繍が縫い込まれた白銀の布。

 そこに隠されたナニかがずうっと気になっている。

 形的には恐らく鏡だろう。細長い楕円形の形をしているのをちらりと見て、母様にそっと隠された。


「今日こそ見てみよう!」


 父様は町内会の会合。母様は施設に入っているおばあ様を見舞いに行っている。

 あそこに近付くには今しかない!

 グッと拳を胸の前で作り、はやる気持ちを抑えながら足早に境内を掃いていた竹箒を掃除用具入れに置いて、鏡のある部屋に行く。


 シン、と静まり返った部屋だ。

 外はまだ夏なのに、凄く涼しい。いや、寒いくらいだ。

 私は体を自身の両腕で抱きしめて、足音を立てないように歩く。

 少しだけ大きな巫女服が擦れる音だけが部屋に響いた。


 カ タリ


「……!」


 静かすぎる程静かな部屋に、音が鳴った。

 びくりと肩を揺らす。

 こんな事象慣れている筈なのに。

 どうしてか、体が拒否反応を起こした。

 今までにない警報が脳内で鳴る。


 地縛霊に殺されかけても。

 河童に川に引きずり込まれそうになっても。

 神隠しされたって、こんなに怖くはなかった。


 なのに、今。私は恐怖している。


「帰らなくちゃ」


 ここから帰らなくちゃ。

 呆然と口から零れ出た「帰る」の言葉。

 何処に帰ると言うのだ。ここは私の家じゃないか。


 引き返せばいい。

 なのに足は止まらない。

 目線も鏡に固定されている。

 近付いたらダメだ。触っちゃダメだ。

 解っているのに足は止まらず、布を取ろうとする腕は上がり、ついにその布を取ってしまった。

 そこには――


「た、だの、鏡?」


 いや、違う。何か違う。ナニかがこの鏡の中に居る――


『ほう、お前、我を捉えられる眼を持っておるのか』

「……っ!」

『おお、視えたようじゃのう』


 そこ。その鏡の中にナニかが居た。

 背に流している白銀の長い髪。金の瞳。一目で人間ではないと分かる纏う雰囲気と美しさ。

 私は生まれて初めてヒトならざるモノに気圧された。


「あ、なたは?」

『我を知らぬか、小娘』


 コクリと頭を一度縦に振る。

 そのナニかは可笑しそうに『はっはっは。良い良い』と豪快に笑った後に、にやりと嫌な笑い方をした。


『お前の魂、美味そうな色をしているのぅ』

「私を食べる気ですか……!」


 その言葉に目を見開いて、サッと胸元に忍ばせている護符を取り出す。


『甘いのぅ』

「なっ……!」


 ふい、とそのヒトならざるモノが指を動かせば、それだけで護符が跡形もなく燃やされた。

 掴んだ指には火傷の痕はない。

 本当に、護符『だけ』が燃やされたのだ。


「あなたは、一体……何なんですか……?」

『我か? ふぅむ』


 にやり、また嫌な笑い方をするナニか。


『清き魂を持ち、美味い霊力を持つお前に、特別に我が名を教えてやろう』


 ゆっくりとその白い唇が動く。


『我は大和。神山の血を守護する神』

「やまと……さま」

『うむ。そうじゃ』


 して、お前の名はなんだ?


「私は、若葉、……です。神山若葉」


 スルリ、と名が口からついて出た。


『ほう。神山の血を継いだ者か』


 ここで、可笑しいと感じていれば良かった。

 巫女服を着ている娘が、神山の人間以外に居るのかと疑問に思うことは可笑しいと。

 いや、それ以前に私は一度ここに来て、見ている。

 彼のヒトの存在を感じることはなかったけれども、母様が隠してしまったけれど、見ているのだ。

 この、右手に持つ白銀の布が被せられた鏡を。

 神山の『血』を守護すると言った神が、私のことを知らないわけがない。

 なのに、名を訊いた。


 ――気付くのには遅すぎた。


『若葉。若葉か。くくく。のう、若葉? ヒトならざるモノに名を教えてはならぬと、お前は教わらなかったか?』

「何をするつもりですか……!」

『なァに、何もせんよ。ただ我の暇つぶし相手になってくれたらそれで良い。我はあることをしない限りはここから出られぬ故な』

「あること?」

『名を、嫁となるモノの名を訊くまで、我は縛られたまま自由に出ることは叶わん』

「名前……まさか!」

『察しが良いのう。良いことじゃ。お前は我の嫁御となるのじゃからな』


その為には、要らぬモノが居るなァ。


『そう言えば。我は嫁御となるモノを呼んだ数だけ、その命を奪えるのだと知っておるか』

「あなた……一体何をする気なんですか!?」

『察しはついておる筈じゃろうて』


 大和様の言葉に、呟く。


「と、さま……母様!」


 にやりとまた笑った大和様が居る鏡の布を握り締めたまま、私はバッと走り出した。


**


「若葉ちゃん……」

「お、ばさん」


 息も切れ切れに走った先。

 近所に住む、良くしてくれるおばさんが何故か玄関に立っていた。

 嫌な汗が背中に滲む。


「よぉく聞いてね? 若葉ちゃん」


 私と視線を合わせて肩を掴んだおばさんは、哀しそうに眉を下げて言う。


 ――お父さんが、倒れたの。


「父様が……」


 ジリリリリリ


「……電話……」


 ふらふらとした足取りで玄関のすぐ側にある電話を取る。

 そこから聞こえてきたのは、おばあ様の居る施設から。


『突然お母さまが倒れられて、おばあさまも今救急車で運ばれました』


 至急、ご家族の方といらしてください。

 微かに焦った声だった。


「父様……母様……。おばあ様まで……」


 私が大和様に名前を呼ばれたのは三回。

 つまりは三人の命を奪うことがアレには出来たということだ。


「ごめ、なさ……い……ごめんなさい……」


 私が迂闊に名前を教えたから。

 私が迂闊に近付いたから。



 その日、私は大切な家族を一度に三人も失った。



 それからだ。

 大和様と二人で過ごすようになったのは。

 養子縁組の話も出たが、断った。

 子供とはいえ、簡単に断れてしまうだけの異質さが、私にはあった。


 あの日。好奇心に負けなければ。

 あの日。名前を口に出さなければ。


 悔やんでも過去は戻ってはこない。

 家族は戻ってはこない。



 あれから十年が経ったある日のこと。

 その日も私はひとりで学校に行き、ひとりで帰るつもりだった。

 誰かと深く関わる気はなかった。

 家には今では軽口を叩ける程の同居人が居る。

 寂しいという感情は、捨て去った。


「なあ!」

「はい?」


 突然、見知らぬ上級生に声を掛けられた。


「そっちに行ったボール! 取ってくんねぇ?」

「ボール……ああ、」


 茂みの向こうにボールが転がっていた。

 それを持って声の主に届ける。


「どうぞ」

「助かったわ! ありがとな!」


それじゃ、と立ち去ろうとするその男子生徒の背後に、おどろおどろしい黒いモノが視えた。


「あの、」

「ん?」

「ちょっと背中にゴミがついてますよ」

「ああ、別に……」

「気になるんで祓わせてください」

「お、おう……頼むわ」

「はい」


 おそらく『はらう』の意味が違って聞こえただろうけれど、私は構わずにポンポンと男子生徒の肩を右手で埃を掃うように祓えば、その黒いモノは簡単に取れた。

 大和様の『嫁』となってから、私の力は随分と強くなった気がする。

 この世ならざるモノ達との遭遇率もぐんと上がったけれど。


「はい、取れましたよ」

「悪いな! じゃあ」


 駆けていくその姿の、なんて美しいフォームだろうか?

 ついうっかり、見惚れてしまった。


「涼也先輩格好いいよねー」

「流石陸上部のエースって感じ!」


 聞こえて来た声。

 陸上部のエースが何故ボールを? とも思ったけれど。

 よくよく観察していれば、楽しそうにサッカーで遊んでいた。

 軽やかに走り回る先輩。


「涼也……先輩」


 呟いた瞬間、どきりと胸が高鳴った。


 まあ、その格好いい先輩を見たのはその日が最後で。

 その後、勇気を出して付き纏い、つい出来心で廃墟でクリスマスケーキを食べようとした時に地縛霊に囲まれたせいで失神した先輩を見て、幻滅するでもなく。

 この姿を知っているのが私だけなのかと思ったら、優越感さえ湧いて。

 先輩と居る間だけ、私は私の『罪』を忘れられた。


 この出会いが、吉と出たのか。凶と出たのか。

 それはきっと何れ、嫌でもわかることなのだろう。

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