二年生秋:オレンジ色の夢

 その日、『また』夢を見た。

 この前とは違って、確実に夢だと分かる夢だった。

 オレンジ色の夕焼けを見つめる、あれは――神山の姿だ。

 神山、と声を出す。

 神山はこちらをゆっくりと振り返り、にこりと笑った。

 いつもの笑みだ。

 俺は近付こうとする。

 けれど。気付いてしまった。

 神山の髪が、黒い漆のようなその髪と瞳が、何故だかオレンジ色に染まっていることに。


 神山?


 不安げに名前を呼んだ。


 これは夢だと気付いている。

 気付いているのに何故だか現実のような気がして。

 混乱する頭。

 その時、鼻孔に微かな香りを感じた。

 例えるなら、新緑の若葉のような。

 力強く、心地好い匂い。


『ざァんネん』


 夢から覚める間際、男でも女でもまして子供でも大人でもない声で、そう紡がれた。


**


「アレは結局なんだったんだ?」

「さぁ? なんだったんでしょうねぇ。というか先輩『また』夢を見たんですかー。災難なことで」

「お前だったら「私のこと夢で見るくらい好きなんですかー」くらい言いそうなもんなのに、意外だな」

「言いませんよー。私は現実の私に会って欲しいモノですから」


 神山の実家たる神社のバイトとして雇われたのは一週間前。

 神山に手を引かれた夢を見た日、即座に雇われた。

 何か裏があるのかと思いきや、「人手が足りません。あと、式神代金ということで」とのこと。

 境内の落葉樹の葉っぱを掃除するのが主な仕事だ。

 この前はその葉っぱで焼き芋をした。

 神山がその焼き芋にまでチョコレートソースをかけようとしているのを必死で止めて、何とか美味い芋を食えたのは良い思い出だと思わなければいっそ幼稚園児の世話を焼いている気分になるから嫌だ。


 竹箒で境内を掃きながら今朝見た夢を神山に話せばそう返されて、神山のいつになく適当な……いや、的確に返されても困るが、なんとなく投げやりな返事にむすりとする。


「結構怖かったんだぞ」

「先輩びびりですからね!」

「大声でそういうこと言うかな? 言うかな? お前は?」

「言いますよー。だって、事実ですし」


 にこり、笑った神山の顔はあの夢とは何かが違った。

 その何かの違いがきっと俺をあの夢から引きあげてくれたのだろう。

 うん。怖いからそういうことにしておこう。


「まあ、先輩には前にも言いましたけど私の作った式神が付いているので大抵のことは大丈夫ですよ」

「その対価に俺はお前んところでバイトするハメになったんだけどな」

「バイト代入って守られて、一石二鳥じゃあないですか。いや、こぉんな可愛い私と一緒に居られるんですから一石三鳥くらいですかね? 感謝してくださいよー」

「事実そうだけど、なんか言い方が嫌だ」

「先輩ったら面倒くさい~」


 あはっと面倒だと言いながら笑い声を上げた神山の頭を小突く。

 こっちは真剣に相談したっていうのに、この扱い。

 相変わらずだが読めない女だな、と周りに居る女子と比べながら箒で掃除を再開する。


(あの夢、なんだったんだろうな。それにあの声……気色悪かった)


 男とも女とも、子供とも大人と取れない、あの声は一体なんだったのか。

 あの夕日の紅さはまるでこの世の終わりのような。

 そんな恐ろしさを秘めていた。


「せーんぱい」

「……あ? なんだ神山」

「手元が疎かになってますよー。これ終わらないと夕食にありつけないのでちゃっちゃとやりましょう!」

「俺は家に帰ればメシ食えるんだけど」

「可憐な女子高生の手料理よりお袋の味ですか!? 酷い!」

「自分で自分を『可憐』とかいう奴は総じて可憐ではない」

「先輩は私とお義母様どちらをとるんですか!?」

「漢字がなんか違くねぇか?」

「気のせいです」

「そうか。気のせいか。……ああ、はいはい。そんな顔で見るな。ちゃんとメシ食ってってやるから」

「? そんな顔?」


 きょとんと目を丸めた神山は、つい数瞬前まで置いてけぼりにされた子供のような顔をしていた。

 この顔を見るのは何度目だろうか?

 神山は素を出さない。

 けれど最近、不意に俺に向けてこんな顔を向けるようになった。

 それが良いことなのか悪いことなのか俺にはわからないけれど。

 神山が気付いていないのならば、敢えてそのことを言及するのも野暮かと思って何も言わなかった。


 もっと神山に言葉を、想いを伝えていれば良かったと。

 後に後悔することになるのだと、この時の俺はまだ知らなかった。


「今日の晩飯は?」

「! ついでに泊まったり、」

「それはしない」

「先輩酷い!」

「女のひとり暮らしの家に泊まれるか! 赤飯炊かれるわ!」

「先輩ってお家でも弄られてるんですね……」


 憐れむような表情を浮かべる神山に、俺はチョップを喰らわせた。

 痛い、痛いと喚く神山は楽しそうだった。


 ちなみにその日に出た夕食の煮物が母親の作るモノよりも美味かったというのは、母親にも、神山にも黙っておこう。


**


「先輩に夢だろうが手を出そうだなんて、良く出来ましたね。褒めてあげますよ」

『儂は案外短気だからのう。お前を早く手元に置きたいのさ』

「先輩が巻き込まれ体質になった要因が良く言いますね」


 ハッと私はソレに向かって嗤った。

 先輩には決して見せない顔だ。いや、見せたくない顔だ。

 好きな人には自分の良いところだけを見ていて欲しいというのは、純粋な乙女心というものでしょう。


『乙女心とやらの仮面もいつ取れるか楽しみにしていよう』

「……貴方は相も変わらず『ヒトデナシ』ですね。心を読まないでください」


 神物である鏡の中に居る『ソレ』はくつくつと笑みを零しながら『儂はお前のことなら何だって分かるさ』と言い姿を消した。

 私はふぅ、と息を吐く。

 この時間がいつも苦痛だ。

 さっきまで先輩と食べていた食事の時間が懐かしい。


「せんぱい、私は……」


 言いかけた言葉を、グッと唇を噛み締めて堪えた。

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