第25話 思い3
「リィナに会えなくなると思うと、寂しいわね」
祭りの日以来様子のおかしいヴォルフに、ラーニャが声をかけた。
「……そうだな」
ラーニャの意図が分からず、ヴォルフは曖昧にうなずく。
「……そんなに落ち込んで、……あなた、やっぱり、リィナが好きだった?」
ラーニャの言葉に、ヴォルフは「は?」と、気の抜けた返事を返してしまう。
「……何のことだ?」
とぼけているわけでもなく、本当に意味が分からない様子のヴォルフに、ラーニャは「違ったの?」と苦笑いする。
「てっきり、とうとうリィナに惚れちゃったあなたが、神殿にリィナを奪われてしょげてるのかと思ったんだけど」
「ばか言うな。確かにリィナはかわいいが、どう見ても子供だろう」
そういう相手にはならないと言外に含ませるヴォルフに、ラーニャは、「どうかしらね」と笑う。
「でもこんな幸運、滅多にないんだから祝福してあげないとね」
ラーニャはヴォルフを励ますように言った。
その瞬間、ヴォルフの表情がこわばった。
ラーニャはその変化に驚く。てっきり「そんなんじゃないと言っているだろう」と笑いながら返してくると思ったのに、まさかこんなふうに感情を吐露する表情を見せるとは思わなかったのだ。
ヴォルフは一見表情豊かだが、その実あまり感情を人に見せることはない。ラーニャには気安さと長年築いてきた身内に向けるような信頼から、そういうところを見せることもあったが、それにしてもこんなふうにあからさまに顔をこわばらせるなど、滅多に見ることはなかった。
「……祝福など、出来るか……!!」
低い声が、静かに吐き出された。
「何が時渡りの神殿だ」
つぶやいて、ヴォルフは深く息を吐いた。
「……何かあったの?」
ラーニャは静かに問いかける。
「いや、何もない」
低い声で返す返事は、語るに落ちたと言うべきか。
「何を知っているの?」
「気分が悪くなるだけの話だ。聞くだけ損だぞ」
皮肉げに笑ったヴォルフに「話して」とラーニャは返す。もし絶対的に話せない内容ならば、いくら気を許していてもヴォルフがこんな弱みを見せたりすることはない。気付く隙も見せないほどに隠しきっているだろう。
ならば聞いても良い事なのだと、ラーニャは判断する。むしろ聞いて欲しいのかもしれないと。
しつこいほどに尋ねるラーニャに、ヴォルフは躊躇いながらも口を開いた。
「おまえの胸の内一つに、留められるか」
ラーニャは静かに肯く。
ヴォルフは詳しい事情は省き、リィナが望んでいないのに、力があったが為に両親を盾に取られ神殿に上げられたことを簡潔に話した。
「……じゃあ、リィナは、望んでなかったの?」
全ての話を聞き終えて、ラーニャは確認するようにヴォルフを見る。
あの笑顔の裏で、そんなに苦しんでいたことに驚いた。そして唯一人それに気付いていたヴォルフにも。かわいいと思っていたのに、気にかけていたのに、ラーニャには気付けなかった。
「そうだ。知っていたのに俺は止められなかった。俺は……俺には、助けることが出来た。たとえリィナが俺に頼ることが出来なくても、無理矢理にでもさらってやればよかった……!!」
ヴォルフの言葉を聞きながら、ラーニャの胸がツキリと痛む。これほどまでにヴォルフから思われるリィナを羨む気持ちと、そして愛しい男が苦しむ姿へのいたわりと。
苦しげなヴォルフの姿を見るのは苦しかった。
もしかしたら、ただヴォルフの苦しみの吐露に付き合っていればよかったのかもしれない。けれど苦しむ姿を見たくない気持ちからか、それともささやかな嫉妬が生み出した気持ちか。
ラーニャはなだめるように言った。
「……ヴォルフ。それでもそれはリィナが選んだことだわ。リィナが選んだ以上あなたに出来ることはなかったのではない?」
「ああそうだ、俺は部外者だからな。リィナは諦めた。だから俺に出来ることはなかった。分かっている」
吐き捨てるようにつぶやいたヴォルフに、ラーニャが切なげに微笑んだ。
「……あの子が、そんな辛い思いをしていたなんて……」
ラーニャはヴォルフの頬に触れると、まるで弟を慰めるかのように、そっと頬にキスをする。
「辛いわね。何かしてあげられる物なら、してあげたかったわね。けれど私は、あなたがそんなふうに後悔をしている姿を見るのも辛いのよ。もしリィナがここにいたら、きっと同じように感じると思うわ? ヴォルフ自分を責めないで。責めることは解決にはならない。そうでしょう? 出来ることに目を向けましょう?」
「……何が出来ると言うんだ」
投げやりな様子で嘲るように言ったヴォルフに、ラーニャは溜息をわざとらしくついて見せた。
「とりあえず、ここであなたが腐っていても何の役にも立たないわね」
言い切ったラーニャに、ヴォルフはわずかにひるみ、そして困ったように深い息を吐くと、すぐ諦めたように表情を和らげた。
「……そうだな」
「そうよ」
ラーニャは笑いかける。
「腐ってないで、出来ることを探しましょう」
口から出任せに耳障りが良い事を適当に言っている自覚はあったが、そうとしか言葉が見つからなかった。神殿の中に囲われた姫巫女を取り戻す手段など、ラーニャには想像も付かない。出来ることなどあるのかさえ分からないのだから。
けれどそんな上っ面の言葉にヴォルフが笑って頷く。それが表向きだけの物だとは分かっているが、少しだけほっとした。
本当はたったの二ヶ月であの少女がこれほどまでにヴォルフの心を占めていると言うことを、切なくも感じていた。けれど彼女は祈る。いつかヴォルフとリィナの未来が重なるように、と。
ヴォルフとリィナの関係が、今のところそんな色めいた物ではないのは分かっている。それでも、なぜだかは分からない。ただ二人が並んで笑っていて欲しいと、思ってしまう。ラーニャにはそれがとても自然なことに思えるのだ。
そして、そのためにはヴォルフがこんな状態では駄目なのだ。
愛しい幼なじみの背中をぽんと叩いて笑いかけると、彼は、いつものようにどこかふてぶてしい、けれど魅力的に笑顔を返してくる。
「……ああ、俺の出来ることを考えるさ」
ヴォルフの去り際に、小さな声が「ありがとう」と、風にながれて耳に届く。
ラーニャは微笑んで手を振った。
ヴォルフはグレンタールを出る前にコンラートの元へ足を運んだ。
「今は」諦めるしかないと言ったコンラートのことだ、おそらくこの後のリィナを助けるための計画は立てているだろうと思われた。
しかしコンラートは尋ねてきたヴォルフに、これ以上関わるなと釘を刺し、決してそれ以上話をしようとはしなかった。神殿についてのことも詳しく聞きたいと思っていただけに、ヴォルフは出鼻をくじかれる形でグレンタールを出ることとなった。
コンラートが一貫してヴォルフを遠ざけようとしているのは分かっていたつもりだったが、コンラートと共に計画を立てることが出来れば最善だと思っていた。それだけに、コンラートの協力も得られないというのは、ヴォルフにとって痛手であった。
時渡りの神殿の事といえども、神殿が違えば、細かい情報に差異がある。エドヴァルドにいてはグレンタール神殿のより詳しい情報を得にくくなるのだ。
しかし手立てのないままにグレンタールに留まるわけにもいかず、ヴォルフはひとまずエドヴァルドへと戻る事にした。
かといってコンラートが何とかするだろうなどと諦めるつもりはない。
騎士団の仕事へと戻ったヴォルフだったが、そこで神殿について詳しく調べることにした。神殿自体の情報を得るのには、グレンタールよりエドヴァルドの方が適していた。また騎士団のつてで身内や知人に巫女や神官、守人がいる者から情報を得ることも出来た。
しかし得た情報によってわかったことといえば、今のヴォルフにはリィナを助け出せるような状態ではなさそうだということが明確になっただけであった。
巫女として神殿にあがった者は、力が安定するまで知人はおろか、身内とさえも断絶されて、神殿での修行が科せられるのだという。
ヴォルフは仮にもグレンタールの次期領主である。今はあまり仕事に携わってはいないが、立場を使えば姫巫女に面会することも可能ではないかと考えていたのだが、詳しく聞くところによると、世俗との断絶の他に汚れを落とす意味もあるとかで、面会を認められないという。
それでなくてもリィナの出生のことがある。どうやら神殿側もそれは表向きの情報として出すつもりがないようであるが、上の人間はおそらく知っていると思った方が無難である。とすれば、姫巫女にあがることを拒絶した娘を、おいそれと外部の人間に面会させることはまずあるまい。
だとすればリィナが力を扱えるようになり、俗世との関わりを許されるようになってからとなるが、ただの巫女ではない、姫巫女である。
そもそも巫女が表に出られるようになるのがいつ頃になるかと言えば、これが明確には決められていないのだというのだから、それをあてにするわけにもいかない。
半年で認められた者もいれば、数年かかった者もいる。
ヴォルフはリィナから舞の練習の時に、修行では全く時の流れが分からなかったという話を聞いていた。コンラートに聞いた話でもリィナの力は不安定で、安定して出せるようになるかどうかさえ危ういという状態であることも分かっている。
半年や一年などという期間ですむとは思えなかった。
待つのはかまわない、だが助け出すのにそれだけ時間をかけてはリィナの負担が大きすぎる。
最終手段としては忍び込んでさらうことも考えたが、使えるだけの裏の手を使ってみても、さすがにグレンタール神殿の見取り図は一介の騎士の手に入る筈もなく、今ひとつ現実的とは言えない。領主である父にも神殿内部について聞いてみたが、大まかなところしか分からなかった。また体の大きなヴォルフが隠密行動をとるには、これまた不向きでもある。
ヴォルフなりに情報を集めるも、なかなかリィナを助ける為の手段が見つからずにいた。
無茶をすれば、リィナもヴォルフも、グレンタールにいられなくなりかねない。グレンタールを出るぐらいですむのなら良いが、下手をすると、国を出ることにもなる。完全な逃亡生活である。リィナの幸せを願うのなら、それはあくまでも最終手段だ。出来るだけ、元の生活に戻せる形での奪還でなくてはならないのだ。すると、どうしてもヴォルフの計画は行き詰まってしまう。
グレンタール領はそれなりに力があるといっても、所詮地方の田舎貴族であった。姫巫女を力ずくで、正当性を言い張って神殿から取り戻すだけの力はない。
今しばらくは様子を見ながら情報を集め、作戦をじっくりと練る必要があった。
* * *
そこは広い室内であった。簡素ではあるが調度品の一つ一つは、どれをとっても最高級の物ばかりである。その部屋の主は、紫のベールを揺らめかせ、ゆっくりと歩き、窓辺に佇む。
「時が、動き始めたか……」
つぶやいた女は、苦しげに一つ大きく息を吐き出し、そして窓の外に目を向ける。
この時が来なければいいと願っていた。
けれど、それは、女が見た未来そのままに訪れようとしている。
女が目を閉じれば、彼女の持つ守石が淡く輝く。
再び開いた目にはわずかに憂いが浮かび、そしてそれはすぐさま消えた。代わりに感情の読み取れない冷ややかな表情が彼女を覆う。
望む、望まざると、これが女の選んだ道であった。
ならば。それを全うするまで。
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