54 過去の記憶
「……え」
僕の言葉に驚いた様子を見せる司波さん。
そりゃあそうだろう。
何をやめたいと思ったことがあるのか、この状況で分からないはずがない。
そしてだからこそ司波さんは驚いているのだ。
僕は昔に一度だけ『涼-Suzu-』をやめようと思ったことがあった。
司波さんの思い浮かべる『涼-Suzu-』という配信者は、人気があって、憧れの配信者なのだろう。
でも、そんな『涼-Suzu-』も昔から人気があったわけじゃなかった。
「この前、司波さんの配信で荒らされたじゃん?」
「……うん」
「あの時も酷かったけどさ、僕の時はもっと酷かった」
「…………」
僕の配信もかつて荒れていた時期があった。
それが『アンチグループ』の仕業だったのかなんて今も分からない。
けど、そんなことどうでも良くなるくらいに、凄く荒れていた。
「僕に対しての批判はもちろんだけどさ、リスナー同士で喧嘩が始まるんだ」
僕を擁護するコメント、批判するコメント。
喧嘩を止めようとするコメント、喧嘩を盛り上げようとするコメント。
そういう対になるリスナー同士で配信するたびにコメント欄が荒れていたのを今でも覚えている。
「それで思ったんだ。自分の配信は、聞いてくれている人たちの時間を無駄にしているんじゃないかって」
そう考え始めたら、止まらなかった。
その時点である程度の閲覧数があったし、だからこそ無駄にさせているかもしれないと思う時間の多さに悩み続けた。
「それならいっそのこと、やめた方がいいんじゃないかって」
僕は、僕の配信を見に来てくれる人たち皆に楽しんで欲しかった。
皆の心が一つになるような配信をしたかった。
でもそんなこと、僕には出来っこない。
それなら僕が配信をする意味なんてどこにあるんだろう。
その答えを、僕は見つけられなかった。
「『今日を最後に、配信をやめよう』——僕はそう決意して、その日ライブ配信を始めた。もちろん、荒れたよ」
もしかしたら、なんていう淡い期待は一瞬にして砕け散った。
僕は結局、みんなの心を一つにすることなんて出来ないって思い知ったんだ。
「だから『涼-Suzu-』の配信はこれで終わり、そう思ってた」
少なくともあの瞬間は、本気で配信をやめようと思っていた。
それは紛れもない真実だ。
「ライブ終了のボタンを押そうとした瞬間、一つのコメントが目に入ったんだ――――『今日が、誕生日です』って」
僕はコメントを拾っていくタイプの配信をしていたから、『涼-Suzu-』として最後にそのコメントを拾うことにしたんだ。
「お誕生日おめでとうございますって言って。でもそれだけじゃ最後のコメントとして何か物足りないなと思って、バースデーソングを歌ったんだよ。定番の、皆が知ってるような――”Happy Birth Day To You"ってさ」
何気ない気持ちだった。
歌ってる時は少し寂しかったけど、誰かを祝えて配信を終われるなら、それでいいかって。
「そして歌い終えた時、気付いたんだ――――コメント欄が、お祝いの言葉で埋め尽くされてることに」
皆が、僕が祝ってあげた人に向かって、おめでとうって言ってる。
お祝いの一言が溢れてる。
「その時僕は、あの場にいた皆の心が一つになっているのを見たんだ」
それは僕が配信をする理由で、答えで、全部で。
あの瞬間に、僕の配信そのものが詰まってた。
「そしたら不思議で、配信をやめようなんて思っていたことが嘘みたいに、配信をするのが楽しみになったんだ」
もっと続けたい。
もっともっと続けたい。
『涼-Suzu-』として配信を続けたい。
「だから僕は今も『涼-Suzu-』として、配信を続けていて、続けられている」
これを言うのはずるいかもしれない。
でも言わせてほしい。
「僕は『四葉鈴』にもあの瞬間を感じてほしいんだ」
皆の心が一つになる瞬間。
皆と心が一つになる瞬間。
「少なくとも僕は、あの瞬間を忘れない限り、やめないよ」
今の僕を作り出したと言っても過言ではないあの一瞬。
それを忘れる日が来るなんて、今の僕には想像もつかない。
だからやめない、やめるつもりもない。
「……あ、な、なんか語っちゃってごめん」
伝えたいことを全て言い終えたところで、僕は思わぬ羞恥に駆り立てられる。
本心では司波さんに配信をやめてほしくないからだろう。
変に気持ちが入りすぎてしまった。
僕は引かれていないだろうかと恐る恐る司波さんに視線を向ける。
「……ど、どうしたの?」
するとそこには驚いたように目を見開く司波さんがいた。
僕は思わず司波さんに尋ねる。
司波さんは初め僕の声が聞こえていないかのように呆けたままだったが、一瞬肩がビクッと震えたかと思うと静かに口を動かし始める。
「覚えてて、くれてたの……?」
「……? えっと、何を?」
しかし紡がれた司波さんの言葉はいまいちピンとこない。
一体何のことを言っているのだろうか。
僕は首を傾げる。
すると司波さんは少しの間を空けたかと思うと、次の瞬間こう言った。
「それ多分、私かもしれない」
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