47 止まらずの夜道


「……あー、もう」


 僕は自分のどうしようもなさに頭を搔きむしる。

 さっきまですぐ隣にいたはずの司波さんは、もうそこにはいない。

 僕の一言のせいで一人で帰って行ってしまったのだ。


 既に辺りは真っ暗で街灯はあるとは言っても正直この明るさでは心許ないと言わざるを得ない。

 それなのに司波さんを一人で帰らせてしまったなんて東雲さんに知られてしまったら、どうなってしまうのだろうか。

 少なくとも無事でいられるとは思えない。


「…………ってそういうのが、司波さんは嫌だったんだろ」


 ついさっき司波さんが急に不機嫌になったのには恐らく理由がある。

 それはその直前に僕が零した一言だ。

 あの時僕は、自分の本心に恥ずかしさを覚えて、それを隠すことに必死だった。


 その結果、嘘ではないにせよ自分の本心を伝えなかったのは事実で、そのことを司波さんは不快に思ったのだろう。

 カラオケの前ではあんなことを思っていたくせに、ちゃんと司波さんを送るって言ったくせに、僕はそれが出来なかった。

 それはどうやっても拭い去れない事実として僕に覆いかぶさって、僕の首を絞めてくる。


 僕は、どうすれば良かったんだろうか。

 そんなのただ自分の本当の気持ちを言えばよかっただけだ。

 東雲さんが司波さんを心配しているからじゃなくて、僕が司波さんを心配しているから送りたいんだって、ちゃんと言うべきだった。


 それが良い方向に影響するのか、それとも悪い方向に影響してしまうのかはこの際どうだっていい。

 それでもあの場面で自分の気持ちを隠すという選択肢は一番選んではいけなかったのだろう。


 僕は司波さんに振りほどかれた自分の手を見る。

 そこにはまだ僅かに司波さんの肩を握った時の感触が残っていて、僕は拳を握りしめる。


「…………」


 このままじゃ、駄目だ。

 これではただ逃げているだけに過ぎない。

 それじゃあ駄目なんだ。


 カラオケの前で感じたあの気持ちをこんなところで終わらせるわけにはいかない。

 あの時の胸の高鳴りに蓋をするなんて、僕には出来ない。


 あの時僕は何を思った?

 あの時僕は何を感じた?

 少なくともこのまま司波さんを一人で帰らせていいなんてことだけは絶対にない。

 だからやっぱり、このままじゃ駄目なんだ。


「……っ」


 僕は司波さんが去って行ってしまった方に目を向ける。

 もちろんそこに司波さんの姿はない。

 きっとそれが僕がこの決断をするまでにかかった”時間”というものなんだろう。


 そしてその時間を取り戻すことは二度と出来ない。

 それなら僕が司波さんに追いつくために出来ることは、ひたすらに、がむしゃらに、見えなくなった司波さんの背中を追いかけることだけだ。

 これ以上”時間”を無駄にしないように、一瞬で、僕は駆け出した。




「はぁ……はぁ……っ」


 司波さんが見えなくなった場所からどれくらい走っただろうか。

 どうやら僕の思っていたよりもカラオケから司波さんの家までの距離はあったらしく結構走ったにも関わらず、覚えている司波さんの家の場所まではまだ少し遠い。


 そして見えなくなった司波さんの背中は相変わらず見つからない。

 もしかしたらどこかで僕とすれ違ったりしたなんてことがあるのだろうか。

 いや、ここに来るまでにすれ違った人たちの横顔もちゃんと逐一確かめてきたが司波さんらしき人は見当たらなかったはずだ。

 となるとやっぱりただ単純に僕が司波さんに追いついてないだけということなのだろう。


 だけど自分でも結構走ってきた方だと思う。

 そう思ってしまうのも普段全く運動をしない僕が悪いのだろうけど、それでも既にかなり息も上がっている。

 これでは司波さんを見つけられた時にどんな状態になっているのか考えるだけで恐ろしい。


 そんなことを考えながらも、僕は止まらない。

 止まる時間さえも惜しいのだ。

 僕は乱れる息を整えることなく、そのまま走り続ける。


 夏とはいえど冷たい夜風が頬を掠め、僕の行く手を阻む。

 自分の吐いた息は熱く、それは身体だって同じだ。

 地面を踏む足は無理な動きに震え始めているし、空を切る腕には最早意思なんてない。

 ただ足と共に動き続けているだけだ。


「司波、さん……」


 いまだ見えない彼女の名前を呼ぶ。

 口から発せられたそれは頬を掠める夜風に乗って、僕の耳へ届いた。


 僕は、司波さんに追いついたときに何をするつもりなんだろう。

 走りながら考える。

 だけど何か特別なことが思いつくわけじゃない。

 今夜の道を走っているのは紛れもない僕であって、司波さんに釣りあうような誰かじゃない。

 そんな僕が司波さんに追いついたとして何が出来るかなんて、そんなの思いつくはずがなかった。


「…………」


 ただ一つだけすることがあるとするなら、自分の気持ちを伝えられなかった大馬鹿な僕を、ちゃんと謝りたい。


 それだけでいい。

 他に何か特別なことは必要ない。

 それが出来るなら僕はそれ以上は望まない。


 だから僕はいくら自分の身体が悲鳴を上げたとしても、司波さんに手が届くまでは止まらないんだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る