12 憧れ
司波さんの憧れの人が配信者。
それは何というか、少し拍子抜けだ。
確かに配信ノートに書かれているということは、普通の好意というわけではなく、配信者としての憧れの意味だったのだろう。
「その人は今でも配信をしていて、ネットでは本当に有名な人なんだけどさ……」
憧れの配信者とやらの話をしている時の司波さんは、これまで僕に見せたことのないような、今までの暗さが嘘のような、楽しそうな雰囲気で、まるで自分のことを自慢するかのようだ。
それだけで話の内容を聞かずとも、その配信者に対してどれだけの憧れを持っているのかが容易に想像できる。
そしてその誰かのことを素直に羨ましいと思った。
「それで、それと司波さんが休めない理由とどういう関係があるの?」
「……その…………から」
「え、何?」
「そ、その人が、休んだことがなかった、から……」
「…………えっと、配信をってこと?」
「うん、そう。何でもその人は、自分が配信を始めて一年間は毎日欠かさずどれだけ短くても配信をしていたらしいの」
「…………へ、へぇ」
「だから私も配信を始めて一年間は、毎日欠かさず配信をしようって決めてるの」
「…………」
「それになんていうか、私の配信って他にもその配信者の人を真似てやってることが多いの」
「……た、たとえば?」
「例えば、私の配信の形として、コメントに対してコメントしていくっていうスタイルをとってるでしょ? あれもその配信者さんのメインのやり方なの。もちろんその人はいろいろなことをしているし、私が真似できないようなことも一杯してるんだけどね」
頬を掻きながら苦笑いを浮かべる司波さん。
「でもあんたもライッターしてるなら、名前聞いたことくらいはあるんじゃない?――――『涼-Suzu-』っていうんだけど」
「ぼ、僕は知らない、かな」
「ふーん、そうなんだ……ってなんで私あんたなんかにこんなことまで話してんだろ」
「さ、さぁ?」
言われてみれば確かに。
普段であれば僕に教えてくれないような司波さんの秘密だった気がする。
「なんていうのかな、あんたと話してるとつい話さなくてもいいことまで言っちゃう……っていうか」
「それは褒められてるのかな?」
「まぁ、うん。なんか、声が落ち着くのよね」
「……それなら僕も良かったよ」
声というのは人に印象を与えるときに重要な役割を果たす。
司波さんにとって僕の声が少しでも良い印象を与えてくれるとするならそれは僕からしても願ったり叶ったりだ。
「……そういうわけで私は配信を休むつもりはない。例え、あんたに何を言われようと」
「……そっか」
司波さんがそう言うのであれば仕方がない。
それに司波さんの表情は先程までの暗い表情ではなく、次第にいつもの強気な表情へと戻ってきている。
恐らく自分の好きなものの話を一杯することが出来たからだろう。
その『涼-Suzu-』とやらの。
「あ、ねえ司波さん」
「? どうしたの?」
「僕、少し喉渇いちゃった。お茶もらえる?」
「……あんたね、仮にも私は体調不良で学校を休んだんだけど?」
「でも別に体調が悪いなんてこと一ミリもないでしょ?」
「ま、まぁそれは……そうだけど」
「ほら、早くお茶ほしーなー」
司波さんは渋々といった風に椅子から立ち上がり、部屋を出ていこうとする。
面倒くさそうにしながらもちゃんとこうやって飲み物を持ってきてこようとしてくれるあたり、やっぱり司波さんは普段の司波さんなんだろう。
僕は司波さんの、玄関から追いかけてきた時よりも少しだけ大きくなったような気がする見る。
「……あ」
「ど、どうしたの?」
しかし偶然にも司波さんはそのタイミングでこちらを振り返ってくる。
そしてジトーッという視線をこちらに向けてきたかと思うと、
「下着とか漁ったりしたら……殺す」
とだけ言い残して部屋から出て行ってしまった。
何というか、普通に漏らしてしまうかと思うくらい怖かったのは言うまでもない。
確かに司波さんの言う通り、この部屋には僕が手に入れられないようなお宝が隠されているのだろう。
その誘惑を断ち切るのは困難だが、実は僕には別にすることがある。
「……多分、ログインとかしっぱなしだよね」
僕はベッドから腰を浮かせて、さっきまで司波さんが座っていた椅子に腰掛ける。
椅子にはまだ司波さんの温もりが残っていて少しだけ緊張する。
それでも僕は目的のために、机に置いてあるパソコンへ身体を向ける。
デスクトップに明かりは付いていないが、これは恐らくデスクトップの電源を落としているだけだろう。
その証拠に本体の方は、使用中の明かりがついている。
案の定デスクトップの電源をつけてみると、恐らく昨日配信したままのやつだろう画面が表示されている。
「……よし、ちゃんとログインもされたままだ」
僕は自分のじゃない部屋の中で一人、マウスを滑らせていく。
時間はそこまでない。
司波さんが飲み物を持ってくるまでの少しの間だけだ。
「……やっぱりオフになってたか。良かった確認して」
最後に変更確認のボタンをクリックする。
これでただの僕に出来ることはほとんど終わった。
僕は最後の最後にデスクトップの画面を最初と同じように消して、さっきまで自分が座っていたベッドにダイブした。
少しだけ、いやかなり、司波さんの良い匂いがしたのは秘密だ。
それにしても――――
これは偶然だろうか。
司波さんは
そして司波さんの憧れている配信者も『
本当のきっかけはどっちだったのだろうか。
でもこうやって考えると面白い。
難しそうな名前に見えても、こういう時の名前は皆、自分の名前を少しだけ弄っただけの単純な名前を付けてしまうものなのかもしれない。
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