5 再

 ……と思ったのは、もちろんぼくの勘違い。


 実際には、椅子に乗っていただけだ。

 けれども、ぼくがいた方向からは田んぼを保護する柵が視界を奪い、宙に浮いているように見えたのだ。

 それがわかったとき、白い衣装の人は、すでにぼくに気づいている。

 最初は前回同様目を見開き、ついで諦めたように笑みを浮かべる。

 辺りには、まるで人影がない。

 ぼくと白い衣装の人、二人だけ。

 近所の人が犬の散歩をしても可笑しくない時刻だが、時間のポケットに陥ったようだ。


(また、あなたなの……)


 そう問いかける白い衣装の人の眼差しと、


「お久しぶりです。またお会いしましたね」


 と、ぼくが話しかける瞬間が一致。

 一歩遅れて猫が、なあ、と鳴く。

 すでに椅子から降りていた白い衣装の人の足許に猫がいたのだ。

 雉虎の子猫。

 良く見ると目眉が凛々しい。


「もしかして、あなたの猫ですか」


 ぼくが問う。


(まさか違うわよ)


 白い衣装の人が目つきでぼくに返答する。

 ついで、ぼくのことを繁々と見つめ、


(近所の家の猫じゃないかしら)


 とジェスチャーする。


(わたしって猫臭いのかしら)


 ついで、そう言ったように、ぼくには思える。


「そうなんですか」


(さあ、自分ではわからないわ。でも猫がいるところなら大抵寄って来るから)


「ふうん。ぼくは滅多に懐かれませんよ」


(魚の匂いをさせていれば来るかもね。試してみたら)


「食べればいいんですか」


(これまで食べたことがないなら、そうね)


「まさか、さすがにありますよ」


(それなら煮干しの匂いを靴下にでも擦りつけてみれば……)


「そのうち試してみます。ところで、今日はこれからどうされるんです」


 すると白い衣装の人が時計を見、


(そろそろ人が現れる時間ね。だから消えないと)


 ぼくに、そんなふうに思えた仕種する。


「付いて行っていいですか」


(物好きね。もちろんお断りします)


 態度で示すと白い衣装の人の、ホタルの里滞在終了。

 つまりリュックサックを背負ったのだ。

 白い衣装のその背中に……。


 初めて出会ったとき気づいたように、リュックサックは白い衣装の人の必需品らしい。

 改めて見ると結構大きい。

 白い衣装の人自身も身長が百七五センチメートルはあるから相対的に普通の女性が使うモノより大きなサイズ。


 休憩場にはベンチとテーブルが二セット設置されていて、白い衣装の人のリュックサックは、それまでテーブルの上に置かれている。

 ちなみに休憩場の周囲は木板ではなく雑草が生えた地面だ。

 先に続く順路は保護植物用の畑を見守る木の通路となっている。


 白い衣装の人が雉虎子猫の頭を撫ぜると子猫がまた、なあ、と鳴く。

 ついで白い衣装の人が立ち上がる。

 すぐに木の通路の方に歩き始める。

 黒光りするパンプスを履いているのに足が速い。

 子猫とぼくが呆気にとられている間にもスタスタと去る。


 ……と急にこちらを振り向き、背負ったリュックサックの中から何かを取り出し、ぼくに投げる。


 コントロールは酷いが距離は正しく、身を仰け反らすようにして、ぼくがキャッチ。

 ガシャッ。

 見れば、大きめの蓋つき珈琲缶。

 振れば、ガシャッと音がする。

 ぼくが救いを求めるように白い衣装の人の方を見やると、缶を開けろ、という仕種。

 それで蓋を開けると中にあったのはカリカリだ。

 つまり猫用ドライフード。

 どうして、こんなものを常備しているのか。

 ぼくには白い衣装の人の心理がわからない。


 子猫は不思議と逃げずにぼくの傍にいる。

 ……と思ったら大きな口を開けて欠伸をしたので、将来大物になるだろうとぼくが思う。

 その場にしゃがみ込み、ぼくが子猫に餌を与える。

 珈琲缶の蓋スリキリ一杯。

 子猫はすぐに気づき、カリカリと気持ちの良い音をさせてドライフードを食べる。

 身体が小さいので僅かな量でも食べ終わるのに時間がかかる。

 ぼくがそれを見守っていると背後に気配。

 振り返ると犬を連れた老人が近づいてくる。

 すると、ぼくより先に子猫が反応し、あっという間に近隣民家の方向に去る。

 子猫の動きに反応し、犬がワンワンと煩く吠える。

 が、飼い主の老人は吠えさせたままだ。


 犬の吠え声が大きいなと思いつつ、白い衣装の人が珈琲缶を投げた木の通路を見るが当然いない。

 その先の通路にも姿がない。

 見通せる、その先ずっとにも姿がない。

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