白い衣装の人
り(PN)
1 邂
実際に自分の目で姿を見たのだから夢でも幻でもないはずだ。
そうであるからには、あの白い衣装を纏った誰かは人であり、妖精ではない。
まともに考えれば、少し頭の可笑しな人だと思える。
けれども、あのときはそう思わない。
最初はずいぶんと距離が遠い。
都会にある里山の丸太椅子と木製ベンチが設置された場所の一つ。
そこで妖精を見つける。
本来は樵……個人経営の伐採業者が利用する場所のようだ。
が、一般人にも開放されている。
妖精を見つけたといっても最初は遠目だから白い布が見えただけ。
いつもなら、ぼくは気にのしなかっただろう。
近所の家の洗濯物が風で流され、里山の木に引っかかり、揺れた、と思う程度。
が、あの日は何かが違う。
心が激しく揺れ、白い布の正体を確認しなければ気が済まない精神状態に陥ったのだ。
……と同時に、怖いという感覚も当然起こる。
ここ数年世間では物騒な事件が多くなり、それらに巻き込まれたら厭だなという懸念。
けれども里山早朝の日差しは穏やかで長閑。
まるで物騒な雰囲気はない。
それで、ぼくは近づいたのだろう。
揺れる白い布の元へと。
あのとき、ぼくが歩いていたのは住宅造成地に隣接する里山の道。
いわば里山のメインストリートで道沿いに里山を一周できる。
白い布が見えたのは、その道から外れて丘に上がる方角。
鶯や尾長や画眉鳥が、ホ~ケキョ、ジーギー、ヒョイヒーギュルルピュウピュウと鳴くのに気を惹かれ、目を向けた先でゆうるりと舞う。
逡巡したのは三十秒ほど。
その間、身体が呪いをかけられたように固まってしまう。
が、迷いが消えれば呪いも解ける。
ぼくが足を白い布に向ける。
最初の数歩がやや急坂で身体のバランスを崩すが、次の一歩で状態を安定させる。
新緑が輝く雑木林の丘道は都心から数十分の距離にあるとは思えない。
人があまり通らないのか、蜘蛛が丘道を跨いで巣を張っており、虫に慣れないぼくを怖気づかせる。
蚊もプーンプーンと纏わりつく。
地面には、ぼくが名前を知らない多足の虫。
だから怯んだが、好奇心の方が大きい。
蜘蛛に、ごめんなさい、をして巣を手で払い、虫は無視して先に進む。
十メートルも進むと白い布がぐっと近づく。
が、道が昇りで曲がりなので、まだ布以上の認識はない。
細い丸太が角となる丘道特有の階段を数段昇ると後は直線。
道なりに進み、白い布の元へ。
が、その前に白い布が衣装だとわかる。
……ということは衣装の中に人がいることも同時にわかる。
それで怯むが、こんな距離から逆方向に引き返すのもまた不自然。
ぼくがまた呪いをかけられたように固まってしまう。
すると背後の気配に気づいたのか、白い衣装を纏い、口にはマスクをした人がこちらを向く。
ぼくの姿を認識する。
目の上すれすれのところで揃えられた髪の下で両目が驚いたように見開かれる。
ついで振り向くのを止め、背を低くする。
近づいてわかったが、白い衣装を纏った人が木製のベンチに座ったのだ。
それで背が低くなる。
ベンチの上には白い衣装の人の持ち物らしいリュック。
つまり白い衣装を纏った人は妖精ではない。
間違いなく人なのだ。
口にマスクもしていることだし……。
ここまで歩いて来たとしか思えない。
リュックの中に衣装を入れ……。
里山までの移動手段は電車だろうか。
近隣の住人ならば徒歩で可能だろうが、そうでなければ移動は電車かタクシーになる。
あるいは自家用車かもしれないが、あのときぼくはそう考えない。
電車やタクシーでは移動姿が妖精では目立ち過ぎると考える。
が、事実移動が自家用車の場合、リュックは必要なのか、そうではないのか。
今でも考えると混乱する。
とにかくぼくはその人に近づき、木製ベンチに座るその人の斜交いに姿勢良く立つ。
隣に座らなかったのも、正面に立たなかったのも、気後れから。
その人は当然のように、ぼくを無視する。
それで気不味い時が流れる。
普段のぼくはわりと気さくだ。
人に声をかけることを厭わない。
声をかけようとする相手との間に気不味い雰囲気が漂うなら尚更だ。
けれども、あのときは口が強張る。
自分が自分ではないように思える。
けれども地の自分というのは出るもので、時間はかかるが、ぼくがその人に話しかける。
「おはようございます。随分と早起きですね。まだ朝の七時前ですよ」
ぼくの言葉に顔を上げはしたものの、その人は言葉を発しない。
だから、ぼくも言葉に詰まる。
苦し紛れに、
「きれいな衣装ですね」
とぼくが褒めると、その人の硬さが僅かに取れる。
嬉しがっている様子はないが、ぼくを危険人物と見做すことを止めたのかもしれない。
そんな雰囲気の変化に後押しされ、
「よく、ここには来るのですか。お会いするのは今日が初めてですが……」
その人に問うが答えはない。
ぼくの方を見てキョトンとする。
喋る気がないのか、それとも本当に口が利けないのか。
ぼくが途方に暮れると不意にその人が立ち上がり、ぼくに向かい、サヨナラの仕種をする。
小振りな胸の前で両手をバイバイと振ったのだ。
胸は小さいが身長は結構あり、男としては小柄な一六五センチメートル弱のぼくより頭半分は大きい。
そんな白い衣装の人がするサヨナラの行為が続いている。
表情は、ありがたいことに怒っていないが、迷惑なのは事実かもしれない。
それで愛想笑いを浮かべつつ、ぼくが去り際に一つ尋ねる。
「またあなたを見かけたら、話しかけても良いですか」
するとその人は目許に笑みを浮かべつつ、けれどもぼくの質問には答えず手を振り続ける。
土曜の朝の出来事だ。
あの日から、ぼくは変わったのだろうか。
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