超重戦車E-100Ⅱの戦い 前編 マムートの初陣(フェアヒラント村 1945年5月7日)

遥乃陽 はるかのあきら

混乱と絶望の中での再会『超重戦車E-100Ⅱの戦い 前編 マムートの初陣 第1話』

■1945年5月7日(月曜日)午前7時 フェアヒラント村の駅付近


 朝の光の中、ドイツ第3帝国マルデブルク州フェアヒラント村の鉄道駅近くの守備(しゅび)位置で、別に知った人を探(さが)す訳でもなく、ぼんやりと目の前の街道を通り過(す)ぎて行く大勢の避難民達を、僕はマムートの無線手ハッチの縁(ふち)に腰掛けて眺(なが)めていた。

 マムートは昨日までよりも1時間早い午前6時からエンジンを始動させていて、カラカラとアイドリング音が聞こえるというよりも響(ひび)いて来ている。

『ブルッ、ブルルン、ブルッ、ブルッ、ブルッ』と息を吐(は)くようなエンジンからの振動が、まるで本物の巨大象の様に思わせて、尻下(しりした)で震(ふる)えるバカでかい鋼鉄の塊(かたまり)に親(した)しみを感じさせた。

(戦いの最期となる筈(はず)の今日は、直(す)ぐ傍(そば)まで敵は来ていて、今か今かと突撃命令を待(ま)っているだろう。……激戦に……なるな……)

 避難民達は皆(みんな)、フェアヒラント村の船着場からエルベ川を渡って西方へ逃(のが)れようとしている。

 街道の南側に広がる馬鈴薯(ばれいしょ)畑と牧草地の果(は)ての森の向こう、エルベ・ハーフェル運河沿いの鉄道と道路が集中する交通の要所、ゲンティンの町は一昨日(おととい)の午後に敵が占領したと知らされた。

 官邸前の防衛戦闘でヒトラー総統が戦死してベルリン市はソ連軍の猛攻に陥落(かんらく)したと、4、5日前のラジオで聞いていたし、向こうに見える家屋の並びを越えればエルベ川が流れている。そして、エルベ川の向こう岸までアメリカ軍が進撃して来ている。

 ベルリン市のシュパンダウ地区での戦闘後は、野蛮(やばん)なソ連兵に殺されなくても捕虜なればシベリアの永久凍土の森の奥へ連れて行かれて死ぬまで重労働の奴隷(どれい)にされるとの噂(うわさ)と、一人(ひとり)でいるだけで敗北主義者と決め付け、即決裁判で吊(つ)るし首にしてしまう残忍な親衛隊の死刑執行人達が至る所にいると聞いていた話に怯(おび)えて、ベルリンから速(すみ)やかに離(はな)れようと銃後の避難民の列に紛(まぎ)れて殆(ほとん)ど寝ずに速足(はやあし)で脱出して来た。

 途中、何度か身分証を確認する検問が行われていたが、接近するソ連軍と戦闘になりそうなのか、いい加減(かげん)で記載内容や此処(ここ)にいる理由に移動目的の質問等はされなかった。

 ユングヴォルク(ドイツ少年団)からヒトラー・ユーゲントへ入団したばかりの14歳の僕でも戦争が、最末期の状態で今日か、明日中にドイツ第3帝国の敗北で終わって生き残れると、周囲の厭戦(えんせん)の空気からも感じている。

 全ての政治権限を持っていた党首のヒトラー総統が死亡して仕舞った略称NSDAPの国家社会主義ドイツ労働者党の支配も終焉(しゅうえん)になった。

 一般的にはナチ党、或(ある)いはナチス党と呼ばれている一党独裁(いっとうどくさい)の政権だ。

 この呼び名は初期の政治活動時に政敵者達から蔑(さげす)み、卑(いや)しめ、下品(げひん)さ、軽蔑(けいべつ)を込めた卑称(ひしょう)・蔑称(べっしょう)だったが、言い易さから党員と政策の良し悪しを含(ふく)めた総称として使われている。

 現在も占領されたドイツ国土で行われているだろうが、ドイツの降伏後は必(かなら)ずドイツ軍人とナチ党員とナチスの協力者が徹底的に狩(か)られて収容所送りとなり、極刑(きょくけい)と重労働で裁(さば)かれるとだろう。

 僕の父はナチ党員ではないが協力者で、母はナチス婦人団の催(もよお)しには積極的に参加していた。

 友人達の両親や兄達の約半数は党員で、他は党が主張する『諸民族それぞれに相応(ふさわ)しい生存圏の分配』を熱く語(かた)るナチスの支持者で、皆(みんな)軍務に志願して戦場へいった。

 志願しない若い男子達は徴兵されて小声で愚痴(ぐち)を垂(た)れながら軍務に赴い(おもむい)ていたが、誰もがナチの支持者を装(よそお)っていた。

(異を唱(とな)えて収容所へ入れられた者以外は皆ナチだ! そして戦闘に加担(かたん)している僕もナチと識別されて、裁きの例外(れいがい)ではない!)

 昨日の5月6日、未明(みめい)の午前3時にゲンティンの町へ集結する敵の攻勢部隊に対する反撃が行われて、砲声と爆発音が明け方近くまで轟(とどろ)いていた。

 たぶん、反撃は敵に大きな損害を与(あた)えたと思う。だが、敵は我が方より遥(はる)かに強力な大群で、直ぐに攻撃態勢を整(ととの)えて今日の昼までには此処へ攻(せ)めて来ると予想している。

 だから、街道を左側の東方から右側の西方へ重い足取りで歩いて行く避難民達を眺めながら僕は、敵が来る前に早くエルベ川を渡れる事を祈(いの)りながら、出来る限り、其(そ)の時間を長く稼(かせ)ぐ戦いをすると心に誓(ちか)っていた。

 特に、苦労して歩く小さな子供には、此処まで来たのなら是非(ぜひ)、生き延(の)びて欲(ほ)しいと思う。

 そんな、幼(おさな)い子供を連れて通り過ぎようとする避難民の中に、見覚えの有る背格好と横顔の女性がいるのに気が付いた。

 寝ぼけ眼(まなこ)を擦(す)り、目を見開いて見直す、膨(ふく)らんだリュックサックを背負(せお)って、大きなバッグも袈裟懸(けさが)けに掛け、爪先(つまさき)を引き摺(ず)るように歩く女性は、紛(まぎ)れもなく見知った顔で、こんな場所にいる筈(はず)の無い同級生の女子だった。

 両手で妹と弟の手を引く、彼女の歩き疲れて虚(うつ)ろな横顔が朝陽に照らされているのを見付けて、僕は大声で名前を呼(よ)んだ。

「おっ、おい! ビアンカ! ビアンカ・フライタークだろぉ! おーい」

 ビアンカ・フライターク、母親がイタリア人でハーフの彼女は、綺麗(きれい)で、可愛(かわい)くて、明るく笑う優(やさ)しい女子だ。

 学校では、といっても九歳まで一緒(いっしょ)の学校で学(まな)んでいただけで、10歳からは男子はユングヴォルクへ、女子はユングメーデルブント(ドイツ少女団幼女隊(ようじょたい))へと別々の組織の学び舎(や)に別れてしまった。

 彼女は近所のアパートに住んでいたから、幼い頃は一緒に遊んでいたのだけど、別々になってからは交歓会(こうかんかい)や合同集会で姿を見るだけになってしまった。それでも、街角や通りで見掛けると互(たが)いに声を掛け合い、暫(しばら)く歩きながら語り合う仲(なか)にはなっていた。

 ビアンカ曰(いわ)く、「分団を楽しく纏(まと)める委員長を務(つと)めて、皆(みんな)から慕(した)われているんだよ」だそうだ。

 見付けたり、見掛けたりしたビアンカは、いつも膝下(ひざした)10㎝丈(たけ)のスカート規則を、彼女だけは破(やぶ)って膝丈(ひざたけ)に短くしていた。

 僕が理由を問うと、彼女は『この方が、より活動し易いでしょ』と、規則破りを悪怯(わるび)れもせずに明るく答えていた。

 実際、合同集会で彼女は小忠(こまめ)で、素早(すばや)い動きの行動や発言(はつげん)の仕方は、スカートの短くした丈と共に目立っていたが、彼女は仲間外(なかまはず)れや苛(いじ)められる事も無く、人気(にんき)が有って皆からは慕われていた。

 先生や父兄の中には、全体主義的に彼女のスカート丈を心良(こころよ)く思わず、眉(まゆ)を顰(ひそ)める方もいたが、あからさまに注意される事はなかった。

 寧(むし)ろ、其の明瞭(めいりょう)な性格と堅実(けんじつ)な対応力を認(みと)められた彼女は、ドイツ少女団幼女隊の中隊指導者補佐にも任命(にんめい)されていて、ヒトラー・ユーゲントや少女団の集会で、年少ながらもリーダーシップを発揮する彼女を慕う女子や想いを寄せる男子は多く、何処(どこ)でも、とても目立(めだ)っていた。

 彼女の瞳(ひとみ)は透(す)き通った緑色で、碧眼(へきがん)でも、目の辺りが窪(くぼ)んでもいなくて、ナチス党が規定するアーリア人種的ではないのだけど、笑顔が素敵で、声を上げて笑う顔も、微笑(ほほえ)む表情も、僕は魅(み)かれていて、交歓会や通りで僕はいつも彼女が翻(ひるがえ)す膝丈のスカートを探していた。

 そんな快活(かいかつ)な彼女だったのに、今、目の前にいる女の子は堪(たま)らないほど、やつれて見えて、振(ふ)ら付く体の彼女は、直(す)ぐにでも其の場にヘタリ込んでしまいそうだ。

(おーっ、スカート丈は同じだぁ…… って嬉(うれ)しがるよりも、なぜ、妹と弟を連れて、此処を歩いてい

るんだ? 小父(おじ)さんや小母(おば)さんはいないのか? それに、何処まで行くつもりなんだ?)

 初めて来た知人もいない場所で、名前を呼ばれたのに気付いて足を止めた彼女は、縦皺(たてじわ)を眉間(みけん)に立てた険(けわ)しい目付きの警戒顔を向けて僕を睨(にら)むと、直ぐに目を見開いて言った。

「……アル? アルフォンス! 本当にアルなの! どうしてこんな所に……?」

 いぶかしむ警戒から驚(おどろ)きへ、そして、偶然の出逢(であ)いの不思議(ふしぎ)さが入り混(ま)じった微笑に彼女の表情が変わる。

「おい、此処(ここ)で立ち止まるな。先へ進め!」

 僕を見付けて立ち止まったビアンカ達を歩かせようと、周囲を警戒していた憲兵(けんぺい)の一人が近寄って行く。

「いいんだ。部下の知り合いだ。少しの間、話をさせてやってくれ」

 ビアンカの間近まで迫った憲兵は、砲塔の上に座って双眼鏡で索敵(さくてき)をしながら、僕の大声に気付いて様子を見ていた車長の軍曹(ぐんそう)に制されて、ビアンカ達を僕に近くに行くように促(うなが)してくれた。

「……いろいろ有ってね。……ベルリンから上手(うま)く脱出できたんだね。君が無事で良かったよ。……両親は一緒(いっしょ)じゃないのか?」

 彼女の顔が、悲(かな)しみと困惑(こんわく)に変わる。

「あなたは元気そうね。……四日(よっか)前の夕暮(ゆうぐ)れに……、私達の列をソ連の戦車と兵隊が銃撃しながら横断して行って、……大勢の人が大怪我(おおけが)を負(お)って亡(な)くなったわ! みんなは散(ち)り散(ぢ)りに逃(に)げて、凄(すご)く恐(おそ)ろしかった!」

 彼女の僕を見ていた顔が、だんだんと俯(うつむ)いて独(ひと)り言(ごと)のような話し声になり、それから、急に叫(さけ)ぶような大声で終わると、更(さら)に、下を向いた顔の影からポロポロと涙(なみだ)の雫(しずく)が落ちて行った。

 それを見た僕は、彼女の気持ちが極度に張(は)り詰(つ)めて、気力も限界(げんかい)まで来ていたのを知った。

「……母(かあ)さんも足を怪我しちゃって、夜通(よどお)し、父(とう)さんが母さんを担(かつ)いで運んだわ。運良く二(ふた)つ目の村に残っていた陸軍の救護所で手当てをして貰(もら)ったの。だけど……、酷(ひど)く痛(いた)がる母さんは、直(す)ぐに歩けなくって……。だから、父さんから着替(きが)えと食べ物を持たされて、『先にエルベ川を渡(わた)っていろ』って言われたの。うう……」

 クラスの女子達のリーダー格だった聡明(そうめい)な彼女が、こんなに取り乱(みだ)して悲しんでいるのに、僕は慰(なぐさ)めの言葉が見付けられない。

 今、視界に入る街道を、東から西へと通り過ぎて行く避難民や兵士の殆(ほとん)どは、彼女と同じか、それ以上の不幸の苦しみに遭(あ)っていると思う。

 ヒトラー・ユーゲントの小国民隊の僕が、軍事教練の為(ため)に小学校の校舎を使った作業棟で寝泊(ねと)まりを始めた当日、僕の両親と妹は、スイス国境近くの親戚宅へ疎開(そかい)して行った。

 軍に召集(しょうしゅう)された僕の二人(ふたり)の兄は、何処にいるのか分からなくて、安否(あんぴ)も不明のままだ。

「でも、きっと大丈夫(だいじょうぶ)よ。あれからソ連軍には出遭わずに此処まで来(こ)られたわ。だから、向こうで待っていれば、きっと、二人とも、後から渡って来て会えると思うわ。この子達の歩きに合わせて来たから、此処へ来るのに四日も掛かっちゃったけど、私達は、何処も怪我もしてないし、元気よ」

 親と離れた不安から泣いていた彼女が、言いながら気丈(きじょう)に僕を見上げた。

 涙で潤(うる)む彼女の瞳に、居た堪(たま)れないくらい僕は切(せつ)なくて胸が苦しい。

「ああ、そうさ。小母さんと小父さんは、きっと大丈夫! 小母さんの傷は直ぐに良くなるよ。戦争が終われば会えて、また一緒に暮らせるさ。僕は、君達が無事で嬉しいよ」

 ビアンカ達の避難民の列を襲撃(しゅうげき)したソ連軍の戦車部隊は、きっと、三日(みっか)前の5月4日の夕方にアルテンプラトウ村で撃退した威力(いりょく)偵察隊(ていさつたい)だ。

 今は、其の翌日の5月5日に、東と南から攻(せ)め込んだソ連軍が、既(すで)に、アルテンプラトウ村とゲンティンの街を占拠(せんきょ)している。

「アル、……こんな大きな戦車に乗っているの?」

 呆(あき)れるようにマジマジと枝木でカモフラージュされたマムートを見る彼女は、何故(なぜ)、此処に僕がいるのか、やっと気付いたようだ。

 彼女の両脇に並ぶ妹と弟も、初めて見た巨大な戦車に、ポカンと口を開けて見上げている。

「ああ、凄いだろ。マムートっていうんだ。エレファントよりでかい、毛むくじゃらの奴の名前と同じ。先にエレファントという駆逐(くちく)戦車が出来て、ロシアやイタリアで戦っているから、先祖返(せんぞかえ)りみたいだな……。こいつは絶滅(ぜつめつ)した種(しゅ)の最後の生き残りさ。……たぶん今、ドイツに残っている戦車の中で、1番か2番目に大きくて強いと思う。だけど、それも今日までさ……」

 問(と)われるままに答えた言葉は、意味の無い冗談(じょうだん)になっていて、今感じている、逃げてはいけない状況の遣(や)る瀬(せ)の無さを誤魔化(ごまか)しながら、愚痴るように続けた。

「ブランデンブルク市まで逃げて来たのに、新型戦車の通信要員にされちゃったよ。まったく、袖(そで)の通信資格章を捨(す)てるか、着替えておけば…… 良かったよ……」

 ふと、マムートのエンジンが停止して、喧(やかま)しいと感じていた響きと装甲板の震えが消えて静かになった。

(やばい! エンジントラブルなのか?)

 反射的にダブリスを見ると、僕と視線を合わせながら、クイッと顔の向きを後へ振ってニカッと笑った。

 僕は察(さっ)した。

 これは、まだ敵が現れるまで、余裕が有ると判断した軍曹の気を利(き)かせたムード作りなのだ。

 ただ静かになっただけだったが、交わす会話の聞き取りには有り難たい。そして、戦闘前の緊迫した余裕の無い時なのに、嬉しい気遣(きづか)いをしてくれた軍曹に感謝だ。

 仰(あお)ぎ見た軍曹は司令塔に腰掛けて微笑(ほほえ)みながら小さく頷(うなず)き、それを見た僕は帽子を取ってから深く頭を下げて答礼(とうれい)した。


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る