神話武装 ヴィクトリア

七草御粥

神話武装『ヴィクトリア』誕生

プロローグ 親友が死んだ日

 20××年 5月某日。

 大切な親友だった彼女が、死んでしまった。今でも信じることができない。

 私は懸命に彼女が死んでしまったのだと、心の中でそう言い聞かせている。

 しかし、やはり彼女が死んでしまったなんて、信じられない。信じたくもない。

 だって、彼女が見せてくれた笑顔は、いつも眩しくて、温かくて、何時でも私のことを勇気づけてくれたのだ。

 私にとって彼女は太陽。よく歴史で『原始、女性は太陽であった』なんて言葉が存在するが、彼女こそがそうなのだろうと、今でも思う。

 だからこそ、彼女がいない今、私は既に枯れてしまった花のように、心がすさんでいるのがよくわかる。

 親友の死は、何時の時代でもこんなにも苦しいものなのだろうか。恋愛をしたことは一度もないが、もし、恋愛は心がキュンとするならば、親友との突然の別れは呼吸も苦しくなるほどに胸が締め付けられる。

 信玄が死んでしまった時の謙信も、このような悲しみに暮れながら死にに逝ったのだろう。親友が居なくなるのも、ライバルが居なくなるのも、きっと同じ気持ちなのだろう。


 ねえ、美咲。美咲は今、何処で何をしているの?私を置いていかないでよ。

 私悲しいんだよ?今までの約束は嘘だったの?

 いつも私のそばで見守ってくれるって言ってくれた。何かあったら必ず助けてくれると言ってくれた。何があっても私のそばから絶対に離れないって言ってくれた。

 それなのに、美咲はもう遠くの、私の手の届かない所にまで逝ってしまったの?

 そんなの悲しすぎるよ。

 でも、美咲は悲しんでる私の姿なんて見たくもないよね。だから決めたの。美咲が居ない世界でも、美咲の分まで一生懸命生きていくんだって。生きていくことが、私から美咲に送ることができる精一杯のことだと思っているから。

 だから、私は今日という日を懸命に生きていく。でも、いつも元気で居られるわけじゃないんだよ。

 少しでも美咲のことを考えると、私の心はポッカリと穴が空いている様に感じてしまって泣きたくなることもあるんだよ。

 でも、そんな日を少しでもなくすように、私は毎日を笑顔で居るんだよ。

 だから、心配しないでね。そして、もし、美咲が生きているのならば、早く私の元に帰ってきて。貴女の声を、顔を、姿を、笑顔を、一日も早く見たいんだから。

 何時でも帰ってきて私に眩しすぎる笑顔を見せてよね。

 帰ってくるのを、待ってるから。


                                        美咲の親友 栗山明日くりやまみらいより



~*~



 その手紙を書いたのは、大雨が予想された前日のことだった。

 そして、今は雨が降っている。窓の外を見れば、傘を差している人やワイパーを動かしている車が見られる。明日が乗っているバスもワイパーで雨を弾きながら、雨の降る道路を突き進んでいる。

 しばらくすれば、街を離れて少しだけ高い丘の道をバスは登っている。その途中にあるバス停で、明日は下車した。

 バス停から数分歩いた所に、墓地がある。明日はその墓地に向けて歩いていく。その一角に目的地である墓があった。

 雨に濡れているその墓には、『赤沢家之墓』と掘られている。


「今日も来たよ。美咲」


 誰も居ない墓地で、明日の声だけが聞こえた。

 しかし、それも降っている雨に掻き消されてしまった。今聞こえるのは、地面を打ち付ける雨音だけ。それ以外は何もない。


「どうして……。どうして居なくなっちゃったの……?」


 雨が降る中、降りもしない傘の中に一粒、また一粒と大きな水が滴り落ちる。明日はそれが自分の涙と気づいたのは、言葉を言い終えてから数分後のことだった。


 花を差し替えて墓石から離れる。少しだけ、心の中がスッキリしたような、ポッカリと穴が空いたような、なんとも言えない気持ちになった。しかし、今はその気持ちが気持ちよかったりしている。

 確かに、彼女はそこで生きていたと実感できる瞬間であるためだ。それを感じるには、今日のようにお墓参りをしているときだけである。


 と、明日が帰りのバス停に向かっている途中、女性の悲鳴が聞こえてきた。


(まさか。もう、のに……?)


 怖かった。今にも足が竦んでしまい、一歩を踏み出そうにも出せそうにない。

 しかし、勇気を振り絞り、明日は悲鳴がした方へ走っていく。

 そこには、スライム状の緑色の物体が、逃げ纏う人々を襲っていた。それらが通った後は、ドロドロに溶けてしまっている。


「いやああ!助けてええ!助け―――」


 女性の悲鳴が上がるが、容赦なく緑色の物体はその女性を飲み込んでしまった。女性はしばらく中で暴れていたが、突然ピタリと動きが止まってしまう。すると、着ていた服が溶け始め、皮膚が赤くただれ始めるのが見えた。やがて彼女の服が溶けきると、今度は女性の皮膚の色が見る見るうちに緑色に変色し始め、女性は緑色の物体に取り込まれてしまった。取り込んだ物体は、大きさが一回り大きく成長した。


「やっぱり、まだ残ってたんだ……」


『シンソウ』。それが緑色の物体の名称だった。何時、何処で、どのように現れたのか、その生態系ですら未だにわかっていない。しかし、一つだけわかることがある。それは『シンソウは人を襲って取り込む』、というものだった。


 その痛々しい現場を見るのは、明日には初めてことではない。美咲が生きていた時にも、何度も目撃していたからだ。だが、やはり何度見ても慣れるものではない。

 吐きそうになったのをなんとかして防いだものの、気づけばいつの間にか『シンソウ』に囲まれていた。


「うそ……。囲まれちゃった……」


 今度こそ明日は足が竦んでしまい、尻餅を突いてしまう。痛みよりも、恐怖が先行する。先程の女性の末路を思い出す。


 今度は私の番なんだ。そう思うと、彼女は恐怖で心臓が苦しいほどに動きが速くなってくる。痛い。苦しい。嫌だ。助けて。

 口には出せないものの、頭の中でその言葉が瞬時に出てきた。今までの楽しい日々を、『シンソウ』はいとも簡単に奪っていく。世界は不条理にできている。そう感じた瞬間でもあった。


「い……いやぁ…………」


 目の前が涙で滲んできた。見えるのは滲んでいる緑色の光景だけである。雨に濡れていることはとっくのとうに忘れてしまっている。


「いやああああああああ!!」


 張り裂けそうなくらい、大きな悲鳴が雨の音を掻き消すかのように、その場に響いた。先程の墓地とは比べものにならない位に大きかったと思う。


(美咲ぃ!助けて!!)


 いつの間にか死んでいるであろう相手の名前を心の中で叫んでいた。もしかすると、助けてくれるかもしれない。そう期待していたのだ。


 どうして。どうしてこうなってしまったの?


 私はこんな結末、考えてもいなかったのに……。



~*~



「明日、大丈夫?」

「……うぇ?」


 明日が顔を上げると、そこには見覚えのある親友の顔があった。

 明日の見間違いでなければ、彼女は赤沢美咲あかざわみさきである。いつもなら太陽のように眩しい笑顔で迎えてくれるが、今は心配そうな顔である。ただ眠っていただけなのだが。


(……眠っていただけ?)


 そこでようやく気づいた。今までのは夢であったことを。


「うん。大丈夫だよ。昨日、ちょっとだけ寝る時間が遅くなっちゃっただけだから」

「そうなんだ。それにしても珍しいね。明日が少しだけ寝る時間が遅くなるなんて」

「宿題がなかなか終わらなくてね」

「あれ!?宿題なんてあったっけ?」

「……もう」


 さっきまでの心配の顔から一転、今度は慌てるような表情に変わる。コロコロと表情が変わっていく様は見ていてとても面白い。彼女の場合は、天然である部分もあるため、直ぐに表情が変わっていくのだ。本当に忙しい子である。


 と、そこで予鈴が鳴り響く。昼休みの終わりを告げるチャイムが教室を覆い尽くす。それを聞いたからか、美咲の顔は真っ青になっていく。美咲は明日の裾を掴むと、今にも泣きそうな顔で告げた。


「お願い!宿題を写させてくれませんか!このお礼は何時か必ず!」

「もう。本当なら見せないけど、今日は心配してくれたみたいだから特別に写させてあげる。その代わり、お礼は結構高いけどそれでもいい?」

「見せてもらえるならなんでも」


 そう脅してはみたが、実際には美咲と共に帰りに寄っていくクレープ屋さんに売っている一番高いメニューのことを指しているのだが。一度食べてみたかったが、値段が他の寄り倍近く高いため、なかなか手に出せないでいたのだ。丁度いいので宿題代として出してもらおう。まあ、彼女が欲しいと言えばあげるのだが。


「はいこれ。早く写しちゃいなよ?時間だってそんなに無いんだから」

「ありがとう!ちょっとだけ借りるね!」


 美咲はそうお礼を言って身体を正面に向けて宿題を一生懸命写す。美咲と明日の席は前後に位置している。新学期早々席替えをした結果、最後列の窓側で前後の席になったのだ。おかげで話すときはとても楽である。


(それにしても、さっきの夢……)


 明日は先程見た夢を思い出していた。夢なんて脳が記憶の整理を行っている時だけにしか見れないので、その大半は覚えていることはまず無い。しかし、先程の夢は未だに覚えている。否、頭の片隅にこびり付いている。


 妙に現実味のある夢だった。しかし、彼女の見た夢は現実では無いことである。では、あれは一体何なのか。空想と言ってしまえばそれまでだが、空想ではないのだ。チラリと見えている歴史の教科書に目がいった。そこには夢にも出てきた緑色のしたスライム状の物体が教科書の表紙に載っている。


「やっぱり事実なんだよね……」


『シンソウ』。教科書では、そこまで深くは書かれていないものの、国家の問題になっている観点から歴史として載っているらしかった。教科書にも、この物体の名前を『シンソウ』として取り上げられている。


「明日?どしたの?」


 再び顔を上げると、先程まで宿題を写していた美咲がまた心配そうに此方を見ていた。本当に表情の忙しい子である。思わず、明日は笑ってしまう。


「ど、どうしたのさ。急に笑い出して」

「ううん。やっぱり美咲は可愛いなって」

「そ、そういうことは面と向かって話さないでよ……。そ、それよりこれ。写し終わったから返すね。ありがとう」

「ううん。それより、今日の帰りにでもクレープ奢ってよね」

「仕方ないな。まあ、写してもらったから逆らうことなんてできないけどね」


 今だってそうだ。彼女はコロコロと表情を変えている。その表情の変化に明日は美咲という少女に惹かれたのだ。別にレズビアン的な意味合いではない。友達として、である。


 そして、教室に再びチャイムが鳴り響くと同時に次の授業担当の教師が入ってきた。

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