毒薬を飲みほしたら

浅縹ろゐか

第1話 最初の一滴

 「ところで、君は同僚の部屋に上がったことはあるかい…?」

スーツの上着をハンガーに掛けながら、さらりとそう聞かれた。

「いえ、まだ…。えっと、先輩は?」

もごもごと口籠りながら、そう答える。

「ご想像にお任せするよ。」

口角を上げて、冗談ぽくそう言われた。

「適当に座っていてくれ。飲み物を取ってこよう。」

冷蔵庫から、二本缶ビールを取り戻ってきた。

「飲み直しといこうじゃないか。」

「はい。」

テーブルに向かい合うように座り、缶ビールを手渡された。

「我が家にいらっしゃい記念に、乾杯。」

「乾杯。」

 「へえ、竜也たつや君って彼女いないんだあ。意外だなあ。」

「そうですか?僕みたいなダメダメな奴と、付き合おうと思う女性なんて、居ないと思いますよ。」

2人で缶ビールを、何本か空けた後は互いに仕事や私生活の愚痴を取り留めなく話していた。

普段からは考えられないが、これもいい機会である。

かける先輩は、どうなんですか?」

「んー、最近は居ないなあ。」

「へえ、そっちの方が意外でした。翔先輩、よく女性社員と話しているから…。」

「あはは、あれはただの井戸端会議だよ。」

「そうなんですか…(男も井戸端会議に混ざるのか?)。」

 「あ、やば、終電。」

ふと、壁掛け時計を見て、慌てる。

「いいじゃないか、今日は泊まっていきなよ。明日は休みなんだから。」

まだ飲み途中の缶ビールを振って、そう言われる。

「でも…。」

「大丈夫。先輩命令ってことで。」

「う…、では、お言葉に甘えて…。」

そう言われてしまえば、帰る訳にも行けなかった。

先輩が少し寂しそうに笑ったから。

改めて、缶ビールに口をつける。

昔はあんなに苦手だったのに、とふと思った。

「竜也くんさあ、もっと年上には甘えておくべきだよ。」

「…はい。」

「あ、これ説教とかじゃないからね?聞き流して。」

「え、あ、はい。」

ふと空気が楽になった気がする。この人の纏う空気は不思議だ。

「後輩を助けるのも、先輩の役割だからね。1人で全部やるのは大変さ。

そういいう時は、僕を頼ってくれ。偶には、先輩らしいことをしてみたいのだよ。」

「そう、ですね。確かに僕は1人で抱え込みがちなところがあります。

今後は色々相談させて下さい。」

「勿論、いつでもいいよ。もっと肩の力を抜いて生きていいと思う。」

「ありがとうございます。」

そう言うと、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。

 「はあ、結構飲んだね。もうこんな時間か。」

壁掛け時計は、深夜1時半を回ったところだ。

「すみません、長々と話を聞いて貰って…。」

「いや、いいんだよ。後輩の話を聞くのも、先輩の仕事さ。というよりも、僕自身興味があって聞いていた訳だし。」

先程の様に口角を少しだけあげた、ふわりとした笑顔だった。

この人はこんな風に笑うのか、と少し意外な気持ちがした。

仕事の時とギャップがあるのは、誰しもそうだろうけれど。

「あ、ゴミ捨て僕やります。」

テーブルの上に散らかった空き缶を集めて、台所で缶の中をすすいで潰してゴミ箱へと捨てた。

台所にあった布巾を濡らして、テーブルの上を綺麗に拭いた。

竜也たつやくん、ありがとね。」

「いえいえ、こういうのは後輩の仕事ですから。」

少しかける先輩の口調を真似て言ってみた。

酔っていなきゃこんなこと、普段の自分では言えない言葉だ。

「お、言うようになったね。」

そう言って何故か嬉しそうな顔をした。

「さて、シャワーでも浴びてさっぱりしたいところだ。」

「そうですねえ。行ってきていいですよ?」

「あれ、竜也くんに先に行って貰おうと思ってたのに。」

「え、僕ですか?明日家に帰ってからでも大丈夫ですよ…。」

「いやいや、折角来たお客人なのだから、一番風呂は君に譲るよ…!」

「もう、大袈裟に言わないで下さいよー。分かりました。お言葉に甘えます…。」

この人は自分が言いだした案を引き下げることは、なかなかしないということが分かったので大人しくお言葉に甘えることにした。

「服、僕ので良ければ貸すよ?」

「あ、じゃあお願いします。ありがとうございます。」

「これでいい?」

黒いジャージに青いシャツを渡された。サイズは少し大きそうだが、大丈夫だろう。

「はい、大丈夫です。ありがとうございます。」

「バスタオルは、洗濯機の上の棚にあるから好きなの使って。」

「はい。お先に行ってきます。」

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