煮詰まる(「結果が出る段階になる」の意味だが、好ましいものばかりとは限らない)

 話者が違えば意味が180度変わってしまう代表にもなり得る言葉に「煮詰まる」が有ります。

 議論や計画の「結論が出そう」だとの意味で使う向きと、議論や計画が「頓挫している」との意味で使う向きとの違いです。

 本来の意味は前者で、後者は誤用とされますが、後者の意味で使われることが多くなったために市民権を得るようになりました。


 と言うのが、恐らく一般的な見解でありましょう。


 しかし、そこも含めて錯覚が有るかも知れません。

 語源は調べるまでもなく料理です。美味しい煮物を作るには煮汁を煮詰ます。そして煮詰ったら出来上がりです。


 ここで問題。

 「煮詰る」は意図して行うものですが、「煮詰る」は意図したものとは限りません。

 煮物なら煮詰まれば美味しくなりますが、味噌汁が煮詰まったらしょっぱくて食べられたものではなくなります。


 どちらも煮詰まった結果です。好ましいか好ましくないかの違いはあれど、結果には違いありません。


 言葉の意味に戻って、「結論が出そう」にしても「頓挫している」にしても議論や計画の結果には違いないのではないでしょうか。

 煮物なら料理の「結論が出そう」、味噌汁なら料理が「頓挫している」とも言えます。


 つまり、誤用とされる「頓挫している」と言う意味での用法も、元来誤用ではないのではないでしょうか。

 元々曖昧な言葉である筈が、「煮詰る」が議論や計画の「結論を出す」ことを意味するために「煮詰る」が引き摺られて「結論が出る」が正しいとされたのかも知れません。


 だからきっと単独で使うのは避けた方が良いと思われます。


 文脈に「煮詰る」が有る場合なら、議論や計画を煮物に譬えていることになり、「煮詰る」なら「結論が出る」を意味すると確信が持てます。だから「煮詰る」の文脈で出す分には誤解が起きないと思われます。


「今日こそはこの計画を煮詰るぞ。煮詰ったら直ぐに実行だ」


 こんな感じでしょうか。


「この計画も煮詰ったぞ」


 これだけだと計画を味噌汁に譬えているかも知れません。

 何とも水物じみています。


 ところがやっぱり煮物に譬えているかも知れません。


 もう、判断しろと言う方が無理な相談です。


 確からしいのは、「煮詰る」を「頓挫させる」の意味で使っちゃダメってことくらいでしょうか。

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