誤用岡っ引き
西居ちき
骨身に堪える(正しくは「応える」)
ネット小説で割りと見られるのが「骨身に堪える」です。「腰に堪えた」「足に堪えた」と言ったものも同類です。
書籍化作家さんでも使っているので書籍となった中にも含まれているのではないでしょうか。
しかしこれ、正しくは「骨身に応える」です。
辞書の「応える」の用例に、そのものズバリで「寒さが骨身に―・える」と書かれていたりするので確認してみてください。
ところが、「骨身に応える」と書いていると「『応える』は誤字で『堪える』が正しい」と感想に書かれることもあります。
アルファポリスさんでは表面に出ないと思いますが、小説家になろうさんでは感想欄への表示に作者の承認が不要ですから、感想欄を見ているとまれに目にすることができます。
恐らくですが、「応」の字には「心」が含まれるので精神的な事、「堪」には「土」が含まれるので物理的な事との認識なのではないでしょうか。漢和辞典の解字もそれらしい記述になっているようです。
骨身への影響なのだから物理的なものだと考えられているのではないかと愚考します。
しかし、実際の使われ方は逆です。
「堪える」は訓読みで通常は「たえる」「こらえる」と読みます。「骨身に堪える」だと「ほねみにたえる」になります。「こたえる」と読むのは「堪えられない美味しさ」のように少し強調表現っぽくなっている場合です。
この「たえる」「こらえる」はすごく頑張っている感じがあります。とても精神的です。
「堪えられない美味しさ」も甚だ精神的です。
「堪忍」と言う熟語も実に精神的です。
「堪る」と書くと「たまる」と読みますが、「毎日歩きづめではどんな靴でも-・らない」「この暑さは-・ったものではない」と言う用例のように精神的な感じです。
一方の「応」の方は「応答」「反応」「応力」「応用」と言った物理的な感じがひしひしとする熟語に使われます。
何らかの力を受けた時に生じた結果、あるいは返す力と言った意味合いです。
応力の「応」だから「骨身に応える」が正しい。
恐らく理系の方はこれで納得できるのではないでしょうか。
そうでない方々には……。
「的を得る」では辞書が間違っているように言っていながら、「骨身に堪える」は辞書を根拠に間違っていると言うのか。
……と思われるかも知れません。
そうだったらどうしましょう。
「堪える」も「応える」も自動詞でそこからは差が求められません。
英語文法的に「堪える」が現在進行形的で、「応える」が現在形的と主張してみる程度でしょうか。
◆2018/05/11追記
「持ち堪える」のように「耐える」意味で使われている言葉に間違って「応える」を使わないようにお気を付けください。
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