俺、あなたの羽なら全部ペロペロできます

第1話 恐怖のストッキング事件

　一ヶ月前の寒い風とは大違いの、柔らかな春風とあたたかな日光が気持ち良い。

　緑も生い茂り、桜の開花宣言も出された。あと一週間もすれば満開になるだろう。

　ここＮ市　相泉（あいせん）高校の屋上からは、この町一帯が見渡せる。そんなに大きな町ではなく、みんなが群がるような商業施設も、背の高いビルも、有名な観光スポットもない平凡な町だ。

　山もすぐ近くに見え田んぼや畑があちこちにあるため、ここは誰が見ても田舎と言うだろう。だけど、決して住みにくいわけでもない。落ち着いた雰囲気のかなり好きな町だった。

　現在午前一一時。三時間目の現国の真っ最中の時間帯。

　俺はこの学校の屋上でスマホをいじりながら仰向けに寝ていた。どうでもいいニュースサイトを巡回しながら、無駄な知識を地味に増やしていく。

「はあ、眠……」

　無事高校二年生に進級して一週間。つい独り言を発してしまうようになった今日この頃。俺は目を閉じながらため息混じりにそう呟き、身体全体を使って大きく欠伸をしてから再びスマホに目を向けた。

　しばらくニュースサイトの記事を目で追っていると、俺は一つの記事に目を奪われた。

《Ｎ市　相泉（あいせん）町で奇妙な事件》

「ん、なんだこれ」

　この町のニュースなんて珍しい。俺は身体を起き上がらせてその記事を読み始めた。

　そこにはこうあった。

『一週間ほど前から、Ｎ市相泉町の公園や空き地で、中・高生が不審者に襲われるという事件が発生している。内容は、両腕をロープのようなもので縛られ、頭をストッキングで被せられているというもの。危うく窒息死しそうになる被害者もいるため、町では警戒を強めている。犯人は小柄で、背中に翼らしきものが生えていたという証言もある』

　もっとすごい事件かと思えばただの変態かよ。えーと、被害者は男女様々で、すでに被害は六名に及ぶ……か。そういや聞き流してたけど朝礼でそんなこと担任が言ってたっけ。

　期待して損した。まだ犯人は捕まっていないらしいが、この程度の犯人なら仮に俺が襲われたとしてもなんとかなるだろ、きっと。

　それにしてもこの町でそんな事件が起きているなんて。事件があった公園というのも俺の通学路じゃないか。中・高生を狙ったり翼が生えてるとか、おそらくその辺のコスプレした小さいおっさんが犯人だろう。この町は狭い。放っておいてもすぐに捕まるのがオチだ。

　そんなことを考えながら、再び仰向けになろうと思ったその時、屋上への扉が突然開け放たれた。

　バンッという強い音と共に現れたのは、少し呼吸は乱れているが、制服には一切乱れのない、ふんわりとしたショートボブが特徴の女子生徒だった。

　俺はその扉から見えない場所――その真上の塔屋にいるため、その女子生徒からは俺のことは見えていない。俺は塔屋から少しだけ顔を覗かせる。

　女子生徒は屋上の入口から二、三歩前へ出ると、キョロキョロと周りを見渡し始めた。誰かを探しているような、もしくは誰もいないことを確認しているような、まあどっちでもいいのだが、とにかく挙動不審だった。

　後ろ姿ではどこのどいつかまではわからない。正直誰でもいいいのだが、授業をこんなところでサボっているのを誰かに見つかりたくはないので、俺は少しずつ音を立てないようにその場から後退し始めた。

「ねえ、どこにいるのよ！」

「――っ！」

　突然女子生徒から発せられた声に心臓が跳ねた。

「いるのはわかってんの。出てきなさいよ！」

　誰かを探している？　ここには俺以外誰もいないはずだ。俺は授業をサボる際だいたいここに来るのだが、来たらまず最初に先客がいるかをよく確認している。そもそもこんな人の少ない田舎学校で授業をサボるやつなんか俺しかいないと思う……。

　まさか俺を探してんのか？　サボリ魔の俺のことを……！

「そこね、やっぱりいた。はぁ、もういいかげんにしてよ、さっきからなんなの？　わたし授業に出たいんだけど。単位は落とせないんだから用があるなら早く済ませてくれないかしら」

　なんだ？　いたって、誰がだ？　

　それにしても今の発言からすると、どうやら今のは俺への言葉ではないらしい。なら一体誰に話しかけている？　探し人がここにいると本気で勘違いして喋っているのか……。しかし今完全に「いた」と言ったな。まさか普通の人には見えない〝なにか〟とコンタクトを取っているのか。もしくは完全独り言か。どちらにしても今そこにいる女子が痛い奴のは確かだ。

　女子生徒は腕を組みながら強い口調で言った。

「あんたの目的は知らないけどね。ここまで来られるのは正直迷惑なの。それに最近起きてるあの事件、どーせあんたの仕業でしょう？」

　あの事件？　もしかしてさっき見たストッキング事件のことか？　俺はその発言が気になり塔屋から再び顔を出した。

「わたしはねえ、あんたの世界征服になんて、まっっったく興味ないんだからっ。大体なによ、頭にストッキング被せてなにがしたいの？　バッカじゃないの？　あんなことして楽しい？」

　身振り手振りを巧みに使い、興奮しながら段々と独り言の声量が増していく女子生徒。

　世界征服発言まで出ちゃったし、ここまでくるとなにかの病気としか思えない。さっきから俺も周囲を見渡しているが、やはり誰も屋上にはいなかった。

　俺はこの痛い人物を憐れむように一瞥した。

　そして。

「え、なに？　後ろ？」

　そう言って突然前触れなく、女子生徒は振り返った。

　ただ自分の後方へと振り返るのではなく、まるで誰かが指をさしたかのように。

　彼女は的確に俺のいる位置を見上げた。

「あ――」

　彼女は小さい声を漏らした。俺たちは今、思いっきり目が合っている。

「あ、えと、おお俺は、その……」

　俺の声は震えていた。こんな現場を見てしまったことの罪悪感みたいなものはもちろんのこと、なにより俺は重度の〝コミュ障〟である。人との会話にそもそも慣れていない。

「見た？　見たわよね？　今の話、聞いてたわよね！」

「はひっ。みみみ見てまひぇん！　へっへっどんほ、ヘッドんほんホしてたから！」

　ここまで噛むやつはそういないだろう。俺はヘッドホンなどしていないが思わずそう言ってしまったため、エアーヘッドホンを外す仕草をした。

「……」

「俺ふぁっ」

　くそ、声が裏返る。

「あれ、君確か同じクラスの」

　俺は素早く三回頷いた。

　振り向いた時にようやくわかったが、この子の名前は『赤月緋音（あかつきあかね）』。一応一年の頃から同じクラスで、俺は当然この子の名前を知っているわけだ。なのになんだ今のこの反応は……！　

　まるで俺のことをほぼ知らない、それどころか同じクラスだったけ？　と確認してくる程度の認知度らしい。二年は三クラスしかないというのにな、はは。

「ねえあんた、人間の記憶って消せる？」

　赤月さんは再び元々見ていた方向に身体を向け直し、そこにいるらしい〝なにか〟に訊ねた。

「できなくはない？　なにその曖昧な感じ。まあいいからできるならやってよ、これじゃあわたし変な人だと思われるじゃない！」

　数秒の沈黙のあと、

「は？　面白いし疲れるからいやだ？　ちょ、なに言ってんの……ならば協力って……。だからそれは嫌だって言ってるでしょ？」

　本当になにか見えていることをアピールしたいのか、彼女はその〝なにか〟に必死にお願いしていた。

　確かに演技にしては上手すぎるが、幻覚が見えているならそれは演技ではないわけで、まあよくわからん。どうでもいいさ。見られたのが俺でよかったな。俺なら誰かにこのことを言うことは確実にない。

　俺にはそんなことを言う友達などいないのだから。