第33話:衝突
33、
「別に、因縁があるわけではない。だが、正体を鬼と分かって見逃してやるほど、俺は甘くない」
そう言いつつ、道満は歩み寄る。その目は敵意に満ちており、梨花たちなど眼中にない様子で、樹神に向かって歩み寄りつつあった。
「これまで、一体何人の者を喰らって来たかは知らない。そして、何故この娘たちには手を出さなかったかは知らぬ。が、鬼は殺す。必ず殺す。放置してなどやるものか」
坦々とした語調で言葉を紡ぎだすと、道満は手に術符を出す。その口調には乗ってこそいないものの、あれの身からは薄ら殺気が滲み出ていた。
そんな道満を、樹神は静かに見据える。忌んだり鬱陶しがったりせず、ただ無言でじっと静観していた。
その中で、
「鬼……? 樹神様が……?」
梨花が茫然と、呟きを漏らす。
道満が漏らした事実が衝撃的だったのだろう。彼女は勿論、桃花や梅の二人も、その事実に愕然としていた。
当然の反応だ。長らく共に旅をして、慕っていた相手の正体が、人ではないと知らされたのだから。
「う、嘘よ! そんなはず――」
「事実だ。お前たちには黙っていただけで、そいつの正体は鬼神――人にひどく精巧に化けた化生だ。生まれながら高い霊力を持って符術も使えると言う方便も、本当のところは自身が鬼神ゆえに使えただけの話だったんだよ」
咄嗟に否定的な反応を示した梨花に、道満は淡白な口調で指摘する。殺意を腹の
そんな彼女らに、道満は鼻を鳴らす。
「悪いが、お前たちにこれ以上に
そう言うと、道満は手にした木の術符を持ち上げる。もはやこれ以上の説明は不要と考えたのか、彼はそれを投擲する構えを取る。それを見た樹神は軽く身構え、攻撃を待ち構える。
だが、そんな両者の間に影が飛び込む。梨花であった。彼女は両手を広げ、両者の長い間合いの中間点へ身を飛びこませる。
「やめて!」
「……なんのつもりだ?」
疑問と同時に、ひどく苛立った声色で道満が問う。
その剣幕に一瞬身を震わした梨花は、しかし言う。
「樹神様の正体は、鬼なのかもしれない。嘘なのかもしれない。けど、一つはっきり分かっていることはある! 道満殿は、樹神様を傷つけようとしている!」
心中は様々な感情で迷いつつも、梨花は声を張る。
「それだけは、絶対に駄目! 見過ごすわけにはいかない! 樹神様に手を出させない!」
「……ふざけるな。どけ」
「嫌だ! どかない!」
心の底から静かに沸々とした感情を見せだす道満に、しかし梨花はもう怖気づくことなく言い返す。半ば意地になっているのだろう。こうなった時の彼女は
そんな彼女の態度に、樹神が戸惑うように固まると同時に、道満は舌を打つ。普段こそ慇懃な口調の青年だったはずだが、この場に至っては完全にその仮面を取り払っている。
「邪魔だ。死にたいのか?」
「死にたくはない。けど、見過ごすことなんてもっとできない! 樹神様と道満殿が争うのなんて、絶対に見たくない!」
目尻に涙を浮かべながら、梨花は叫ぶ。
その様子を見て、道満は忌々しげに頬を歪める。彼女が叫んだこともあってか、屋敷の外では少しざわつきが生じている。
実を言うと、樹神も道満も警備の隙をついて密かに屋敷へ侵入していた。それが今となって気づかれたようであり、屋敷外の警備の者も動き出している。
その様子に、侵入者である道満は、あまり時間はかけられないと感じる。
「……分かった。ならば、力づくで行かせてもらう。悪いが、お前に構っている時間はない」
梨花の態度が、却って決意を促したとでもいうかのように、道満は掲げていた腕を翻した。その瞬間、彼の手にあった木札は放たれる。木札は円弧を描くと、梨花を避けるようにして樹神へとひた走った。それを見て、樹神は後方へ大きく飛び退く。跳躍して避けた彼女の前で、木札は地面にぶつかり、爆ぜる。当たっていたら痛いでは済まなかった程度の爆発だった。
それを見て、梨花は血相を変える。
「っ! やめて!」
道満の行動に、梨花は顔色を変えて道満へと駆け始める。無謀にも、力づくにでも道満を止めようとしているのだろう、彼女は道満めがけて突進する。
その行為に、遠巻きにいた桃花たちや樹神が顔色を変えた。
「梨花!」
「梨花、よしなさい!」
それぞれ焦った様子で制止の声がかかる。
が、梨花は止まらない。彼女は半ば目を閉じながら、危険を覚悟で道満へ向かう。
そんな彼女へ、道満は先に翻した手とは逆手に木札を取り出すと、梨花へ放る。木札は素早く宙を裂き、そして彼女へとひた走った。
危ない、と皆が思ったその時だ。
梨花に直撃するかと思われた術符が、横合いから突然飛んできた小鳥の
その煙に、梨花は足を止め、道満と樹神は鳥の飛んできた方向へと振り向く。小鳥が飛んできた方向、その先にある屋敷の塀の上から、二つの影が飛び降りた。その影は、着地と同時にこちらに向けて駆けてくる。
そんな二人に視点を向けると、彼らは驚いていた。
「樹神殿? どうして……」
「知るか。だが、状況を見ろ!」
地を蹴りながら、二人は会話する。片や困惑する中で、もう片方が冷静に大声で告げた。
「時間はない――本能で察せ! 己が信じるままに動け!」
「! あぁ!」
相手の言葉に頷くと、片方の白張姿の青年は爪先の角度を変え、走る。そして、同時に懐から術符を取り出すと、それを向かう先――道満めがけて投擲した。
飛燕の如く宙を裂く術符に、道満は咄嗟に木札を投擲して応戦。共に奔った術符は衝突し、激しく爆裂する。衝突して破裂した術符は真空波を周囲に撒き散らし、風となって砂塵を巻き上げた。
爆裂によって空気が震える中、その間に青年は樹神と梨花の更に前辺りへ身を滑らせる。そうして、彼は道満と対峙した。
「……何の真似だ?」
それを見て、道満は険しい顔で訪ねる。その鋭い視線を印象づかせた剣幕に、しかし青年は怖気づくことなく睨み返す。
「見て分からないか。二人を庇っている」
「貴様……自分が何をしているのか、分かっているのか?」
問いかけながら、道満はその手に木札を滑り取り出す。訊きながらもすでに次の行動へと移りだす辺り、すでに道満も交渉が叶うとは思っていないのだろう。
現に、次の言葉には侮蔑と敵意が籠っていた。
「みすぼらしい道士もどきの分際で、退治すべき鬼神を庇うなど、どういったつもりだ!」
「在野のはぐれ陰陽師に言われたくないな。それと、樹神殿は『退治すべき』邪悪な存在ではない」
術符を構え返しながら、青年・晴明は言う。
その言葉に、道満は憤りを露わにした。
「知った風な口を叩くな! その女は鬼だ! 鬼を庇うなど気でも狂っているのか!」
「鬼だとすべてが邪悪だと? 決してそういうわけではない。化生だからすべてが邪悪だというわけではない。むしろ、そう考えて排他的になるようなことこそ愚でもある――師匠の受け売りだが、俺も実際そう思う」
「くだらない考えだ。ろくな師ではなかったのだろうな」
唾でも吐き捨てる勢いで、道満はそう罵倒する。
その一言に、静かだった晴明の顔色が変わった。
「……俺への侮辱はまだいい。だが貴様、今俺の師を侮蔑したな?」
「だったらどうした、狂人。俺の邪魔をする気か?」
「邪魔はしない。俺は守るだけだ。貴様を……ぶちのめしてな!」
両足を開き、晴明は道満に対し、樹神や梨花の前へ完全に立ち塞がった。
そんな彼の言葉と態度に、樹神や梨花は思いもよらなかった展開に唖然とする。一方その中で、晴明と共に塀から屋敷へ入ってきたもう一人の男・満仲が梨花の傍らへと歩み寄った。
「俺の側を離れるなよ。どうやらあの野郎、少し暴れる気だ」
「あ、暴れるって……」
「しっ。始まるぞ――」
満仲がそう言った矢先、両者は動いた。
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