第31話:解けぬ謎

31、


「――おい、晴明! しっかりしろ晴明!」


 真っ暗な視界の向こうから、呼び声が聞こえた。

 重く感じる瞼から視野を開く。するとすぐ目の前に、自分を覗きこむように屈む男の顔があった。

 見知らぬ顔ではない。が、今目の前にいるのには、少なからず困惑を覚える相手だった。


「……保憲さん?」

「起きたか。まったく、心配させてくれる」


 返事を返すと、保憲は安堵した様子で息をつく。そんな相手の前で、晴明はうつ伏せの体勢から上体を起し、周りを見る。混乱した思考の中で、冷静になろうと努めながら現状を確認した。

 自分がいるのはあまり見慣れぬ場所、であるが見知った場所だ。

 つい先ほどまで、意識があった時に見た光景――京の外れにある空き家の中のようである。

 その事を理解して辺りを見回すと、保憲の背後に二つの人影がある事に気付いた。共に武者の装いで、こちらも知らぬ相手ではない。満仲と季国だった。

 意識を取り戻して身を起そうとする晴明に、満仲が手を挙げる。


「よぉ晴明。どうしたんだ、こんな所ですやすや寝やがって。そんなに梨花殿たちと夜伽ではっちゃけて寝不足だったか?」

「……はっちゃけても夜伽もしてねぇよ」


 相手の軽口に、ややむっとして晴明は言葉を返した。

 思わず、といってよい反応を返してから、彼はあることに気づく。周りを見回し、そのことを確信する中で、満仲を季国がたしなめる。


「殿。冗談はそのくらいに。安倍殿、何があったのですか? 樹神殿を追いかけたところまでは、儂も目撃したのですが……」


 訊ねられ、晴明は直前の記憶を思い返す。樹神と邂逅し、その正体を告白された後、何者かによって当て身を喰らわされたようだということ。そしてその直前で、樹神が見せた涙のことを、である。

 表情を強張らせた晴明に、満仲と保憲が目を合わせた後、再び晴明を見た。


「何があった、晴明? 何故お前だけが、こんなところで気絶していたんだ?」

「それは……」


 ゆっくりと記憶を思い出しながら、晴明はここで何があったか、樹神に何を教えられたかを語っていく。一つずつ語りだす晴明に、他の三人は耳を傾けた。


   *


「――それがここで樹神殿から聞かされた話のすべてです」


 樹神との会話を、晴明はすべてありのままに語った。彼女が鬼神であったことや、今回の一連の事件の犯人だということを暗に認めたことなど、彼は詳細に分かりやすく説明する。

 それを聞き、保憲たちは頷き合う。


「そうか。樹神殿というのは鬼神だったか」


 晴明の話を聞き、保憲が開口一番に苦い顔で呟く。

 それに晴明は肯こうとして、ふとあることに気づく。彼がここにいることから最初に覚えるべき疑問である。


「ところで、何で保憲さんがここに? 満仲からの要請を受けたのですか?」

「ん? あぁそうだ。俺からの協力要請を快く受けてくれてな。今回の件で手を貸してくれることになったのだが……」


 満仲は答えつつ、少し乾いた笑みを浮かべる。


「まさか、本当に陰陽師が必要になる案件となるとは思ってもみませんでした。保憲殿、どうかご協力お願いいたす」

「あぁ。それは構わない。だが、気になることがいくつもある」

「気になる事?」


 繰り返すと、それに保憲は頷いた。


「晴明。樹神殿は、本当に今回の一件の犯人であることを認めたのだな」

「えぇ。はっきりとは頷きませんでしたが……あれ?」


 肯定しようとして、晴明は不審そうに眉根を寄せた。

 そういえば、自分の問いかけに樹神は明確な答えは返さなかった。否定はしなかっただけで、肯定したわけではない。黙りこみ、晴明の糾弾を聞いていただけだった。


「……いえ。はっきりと頷いたわけではないですね」

「と、なるとおかしいな。彼女が犯人だとすれば、おかしいところがまだ残っている」

「ほう。保憲殿。それはどういう意味で?」


 保憲の言葉に、興味深そうに満仲が目を細めた。問いかけられ、保憲は顎に指を馳せながら回答する。


「彼女が鬼神であることは事実かもしれない。だが、彼女が鬼神であったとしても、被害者をすべて食った鬼と断じるには証拠不足だ。まず、彼女が京に着いたのが、事件が既に起こっていた時以降なのが一点。宿泊先の屋敷に隠し部屋があることに気づいていたのが彼女だけであり、またそこに一人で秘密裏に死骸を運び込んだということが不審なのが一点。それから、食人を行なったというなら、何故これまでの旅で一緒だった梨花殿たちには手を出さなかったことも一点――挙げようとすれば、まだまだ不審な点がありすぎる」


 冷静に指摘する、保憲の言う通りだった。

 仮に彼女が一連の事件の犯人だと証言したところで、解決されていない謎はあまりに多すぎる。細かく言えば、彼女を糾弾する立場の人間からは詭弁であると反論されようが、その内容はどれもが不明確な推測ばかりになるだろう。

 彼女が鬼神である、というのは事実かもしれない。

 だが、それ以外の部分、彼女が犯人であるというのは事実と反するかもしれないというのだ。


「つまり、賀茂殿は樹神殿が犯人だという話に偽りがあるとお思いなのですか?」

「正確には、彼女が犯人だと認めたという事実はないと言いたいのでしょう?」


 季国が問うと、それに満仲が言葉を付け足す。

 保憲は頷いた。


「えぇ。そもそも彼女は、鬼としての性を封じていたといいます。性が封じられた以上、人を喰うという衝動も抑えられるはずなのです。それが何故、本人が望んでいないのに再発したかということも謎です」

「じゃあ、結局樹神殿は今回の一件の犯人じゃない、と?」

「というより、真犯人は別にいるということなのでしょう?」


 やや驚きながらの晴明に、満仲がまたも言葉を重ねて問う。

 それに対し、保憲は再び首肯する。


「彼女は鬼神であるかもしれない。しかし、今回一連の事件の犯人と決め付けるのは早計です。弁護するならば、何者かが犯行を彼女の物にしようとしていると見るべきかもしれない」


 思案顔の保憲の推理に、晴明と満仲は顔を合わせた。そういえば、二人は彼女が犯人であるという容疑を否定しようとする面で動いてはいたが、別の犯人が彼女に罪を被せようと動いているとは考えてはいなかった。

 そのため、保憲の考えは盲点であって、同時に留飲が下がる、納得がいくような考えであった。


「なるほど。確かに、彼女を犯人と決め付けるような事実ばかり出てくると思いました。誰かがそう意図していると考えれば、そういった考えも出来る」

「そういえば、俺がここで意識を失う前、誰かの気配がしました」

「……本当か?」


 晴明以外の三人が振り返り、晴明は頷く。


「えぇ。ですが、確認する前にその……不意を衝かれまして。確認することは、出来ませんでした……」

「いや。そのことだけで充分だ」


 悔しく、また少し恥ずかしく思いながら言う晴明であったが、保憲はその証言に確証を得ることが出来たような納得の顔をする。


「何者かが、晴明と樹神殿の会話を打ち切らせた――その事実があれば充分だ」

「非違の連中は、そういったところで『晴明の妄言だ』と断じるでしょうがね。しかし、晴明の言葉が嘘でないだろうことを俺たちが分かっていれば、それで今は充分ですね」


 それは、検非違使が認めなくてもいい、自分たちが知っていればいい情報なのだと満仲は言う。


「ともかく、樹神殿が主犯ではない可能性を証明できるのは俺たちの働き次第だ。彼女が自らを鬼と認めたことは非違には今しばし黙っていましょう。その上で、調査を進めるべきだ」

「晴明に語った、『助けてほしい』という言葉の意味が気になりますね。誰かに脅されているのかもしれませんね」

「これからまた何かが起こることの暗示かもしれないですね。それを、樹神殿が教えてくれたとも」

「要するに、俺たちがやるべきことは変わらないということですね」


 晴明が確認すると、満仲と保憲は頷く。

 彼らがやるべきことに変わりはない。樹神の無罪を証明しつつ彼女を探す――それだけだ。

 その事を四人が理解すると、彼らは向きあう。


「そういうことだ。ひとまず、ここを出ることにしよう。いつまでもこの空き家にいたところで――」

「いや……それは少し待って下さい」


 この空き家を出ようと提案する満仲だったが、それに保憲が待ったをかける。

 それに、他の三人は胡乱がった。


「いかがいたしました?」

「この空き家、ほんのわずかですが人が過ごしていた形跡があります。もしかしたら、ここ数日はここに樹神殿たちがいた可能性も……」

「まことですか?」


 目を丸める季国に、保憲は頷く。この発言には、満仲だけでなく晴明も驚いた。彼はよくその場を見回すが、保憲が言うような明らかな形跡は見てとれない。おそらく、保憲ほど人物の洞察力があってようやく気付ける程度の微細なものなのだろう。


「少し調べてみましょう。もしかしたら、何か分かるかも――」

「ん? 何か来ませんか?」


 保憲の提案を聞いていた晴明たちだったが、その時晴明が、外からの気配に気づいた。彼の言葉で他の三人も気づいたようで、その中から季国が先んじて、外の様子を確認する。

 そして、すぐ小屋の中へ顔を戻す。


「殿! 満季殿です!」


 その言葉を聞くと、晴明たちは外へ出る。

 すると京の方角から、馬に乗った武者・満季がやってくるのを視認出来た。彼は小屋のやや手前で馬を止めると、綱を掴んだまま馬から飛び降りる。


「兄上! 非違に動きが!」

「何があった?」


 満季の様子を見て何かあると踏んだのだろう、満仲が訊ねると相手はすぐに答えた。


「非違の一人が、樹神殿の姿を発見したとのこと! 場所は右京の西側。そこから東に消えたそうです」


 その言葉に、晴明たちは息を飲んだ。

 樹神を探していた彼らにとって、その内容は吉報であると同時に凶報でもある。もし仮に検非違使が先に樹神を確保するようなことになれば、検非違使たちは強引にでも樹神の嫌疑を確定させるだろう。牢へ入れるだけならよい。だが下手をすれば、連続殺人の罪で即斬首も有り得た。

 そのために、晴明たちが先に樹神を捕まえ、彼女を保護しつつ真犯人を探さなければならないのだ。

 満季の知らせに、満仲と保憲が同時に晴明を見る。


「晴明。式神は?」

「京方面に一羽飛ばしています。まだ帰って来ていません」

「なら、急ぎ向かうぞ。非違の連中は、血気盛んな馬鹿ものばかりだ。どんな乱暴な手を使ってでも樹神殿を捕えようとするはずだ」


 満仲がそう言うと、晴明は即座に頷く。

 それを見て、満仲は満季に視線を戻す。


「満季。奴らを撹乱してくれ。京の西の外れで、樹神殿を見たとな」

「承知!」


 言葉少なに頷くと、満季は再び馬上の人となって馬首を返した。そして、急いで京へ戻っていく。

 満仲の命は検非違使を騙すものであるが、決して嘘ではない。何せ、いつ見たのかは明かしていないので、それがかなり前の事実であったとして、後に糾弾されても言い訳が立つ。

 その事を悟り、晴明は満仲の咄嗟の機転と狡さに感心する。そんな彼へ、満仲は振り向く。


「晴明。いきなりだが、走れるか?」

「はい。多少は」

「保憲殿はどうする? この小屋の調査をするのなら、季国を置いておきますが?」

「お願いします。少し調べれば、樹神殿と、他の人間の形跡も発見できるかもしれない」

「よし分かりました。晴明、行くぞ!」

「あぁ!」


 頷くと、晴明と満仲は駆け始める。検非違使より先に樹神を見つけねばならない――そのことを胸に刻みながら、二人は急ぎ京の内部へ戻っていくのだった。

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