第23話:警戒の源邸

23、


 六条通り沿いにある源邸に辿りつくと、屋敷の周りは物々しい空気を放っていた。

 その理由は、屋敷の周囲に配置された武者たちの存在である。やや離れた位置で等間隔で控えた武者たちは、気を張ってはいないものの緩んだ様子もなく、静かに重々しい双眸で辺りに目を凝らしていた。如何にも周囲を厳重に警戒していますといった様子は、自然と屋敷全体を、またその辺りの空気を厳つくしている。


「随分と厳重な警備ですね」

「あぁ。樹神殿の一座の娘たちを守ると共に、彼女たちが逃げ出さぬようにしているからな」


 周囲の兵士にすれ違うたび挨拶しながら門へと向かった晴明に、満仲が答える。

 その言葉の内容に、晴明は眉根を寄せた。


「逃げ出さぬように、というのは?」

「あぁ。彼女たちの仲間が一部行方不明になっていることから、これ以上仲間がどこかへ消えてしまわない様に警戒するという意味もある。だがそれと共に、もし彼女たちが容疑のかかっている樹神殿と共謀していた場合を鑑みて、その連絡を遮断する意図があるのさ」


 さらりと、しかしどこか苦々しさを含みながら満仲は言う。

 その言葉を信ずれば、疑いは樹神だけでなく、一座の仲間である彼女たちにもかかっているということになる。まだ幼い少女たちをそのような扱いするのは、満仲としては心地よいことではないのだろう。


「まぁ、実際はそういった体裁を装っているだけで、俺たちの中に彼女たちを疑っている者はいないがな。あくまで、彼女たちがこれ以上どこかへ消えていかぬように守っているのが本意だ」


 いくらか明るく言ってお茶を濁しつつ、満仲は屋敷の門をくぐる。晴明もそれに続き、屋敷の敷地へと足を踏み入れた。

 そこでは、外以上に多くの武者の姿があった。こちらは整然とはしておらず、武者が思い思いに散在している。何人か固まって言葉を交わしていたり、一人離れて周りを注視していたりと……その数は、三十はくだらないだろう。

 かなりの大人数に晴明が密かに驚いていると、その中の一人が、満仲の姿を見て駆け寄って来た。

 それは、顔に太い皺が刻まれ始めた壮年の武者だ。生真面目さと愛嬌が半々に混じった容姿で、言葉を交わす前から妙に話しかけやすそうな親しみが不思議と感じられる、そんな武者だった。


「殿! お帰りですか」


 その武者が声を掛けると、満仲は鷹揚に頷く。


「おう。警備の方はどうだ? 何か異変あったか?」

「いえ。一時、梨花殿が外出を試みましたが、阻止した程度です」

「……それ、異変じゃないのか?」


 武者の言葉に、満仲は少し苦笑いを浮かべ、それから晴明に対して彼を紹介したい様子で向き直った。


「そういえば晴明には紹介していなかったな。こいつは卜部季国うらべのすえくに。俺の部下で今一番頼りにしている男だ」

「はじめまして、安倍殿。お話は主より伺っております」

「どうも。御丁寧にありがとうございます」


 丁重に頭を下げた相手に、晴明は挨拶を返す。

 頭を下げ合った両者のうち、先に言葉を発したのは季国だ。


「いろいろとお話を交えたいところでありますが、検非違使庁での件は聞き及んでおります。今は屋敷でゆるりとお休みください。では」


 そう言って頭を再度下げ、季国は素早く持ち場へと戻って行った。齢のわりに、と言っては失礼かもしれぬが、きびきびとしたその動きに、晴明は好感を覚える。


「随分と、お気遣いの行き届いた方ですね」

「俺の部下だからな。それに今は凋落しているが、あいつはあれでも坂上さかのうえ一族の末裔の武士団を率いている男だ」

「……坂上って、もしかして、あの?」


 満仲が何気なく言った言葉に、晴明は内心驚きながら、声色は平静を装って訊ねる。

 坂上、という名を聞けば、この時代の人間が思い浮かべる武者は一人だけだ。坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ――歴史上最初の征夷大将軍せいいたいしょうぐんであり、当時においては伝説として扱われている武者だ。その功績は、東夷とうい北狄ほくてきの輝かしい戦歴・天皇を始めとした都の守護など多岐に渡り、武者が華々しく活躍していなかった時代にもかかわらず、現代にもその名が轟いていることから著名であろう。


 そんな武者を輩出した坂上という一族の、後裔たる武者の集団を、満仲は配下としているというのだ。そのことに、晴明は少なからず驚嘆した。歴史上有名な武者の、末裔とはいえ一族を主としていただいているならまだしも、配下にしていることは、彼が隠れた実力者であることを物語っているといってもよいからだ。

 また一つ、満仲が大人物であるということを察知する晴明に、満仲はニヤリと笑う。


「あぁ。多分お前が想像している坂上だ。末流ではあるから、本流ではないがな。本流はとっくの昔に武門の家系を放棄して――ってこれは余計だったか。アイツの言葉じゃないが、とりあえず屋敷へ上がれ。それから、先の話をしよう」


 気になる話であったが、満仲はそう言って話を早々に切り、晴明に屋敷へ上がる様に提案する。

 その言葉に、話の続きが気になる晴明だったが、特に反論することなく従う。満仲の配下についても気になるが、それ以上に今は気になっていることはある。

 それを把握するためにも、満仲からそれを説明されるべく、晴明は屋敷へと上がるのだった。


   *


「全く、身に覚えのない話よ」


 声には、多分に苛立ちが込められている。

 屋敷へ上がり、満仲は梨花たちから話を聞いた方が状況を確認しやすいだろうと言って、晴明を彼女たちの許まで案内した。そこでは、樹神・山吹・杏を抜いた一座の面子が揃っており、満仲から彼女たちに、晴明へ事情を話すことを提案したのだ。

 その催促を受けた直後、梨花は不満の声を口にしたのである。


「こともあろうに、樹神様が人攫いを行なっただなんて。そんなこと、あるわけないじゃない!」

「そ、そうだよ。樹神様がそんなこと行なう筈は、ないよ」

「そんなことしていたら、私たちも、気づく。そんな素振りは、まったくない」


 憤るように梨花が言うと、仲間の桃花や梅もそれに同調する。これまで、気弱でそういった意思を面に出すことはなかった桃花と、無表情でいまいち感情が読みづらかった梅だが、今回の件に関してはだいぶご立腹のようだ。

 そんな三名に、晴明は理解を示す。


「それは分かっている。ただ、俺たちはどうしてあの人が消えたのか知りたいんだ。一体どうして、いなくなってしまったんだ?」

「……そんなの、私たちにも分からない」


 憤怒の表情から一転、梨花を始めとした三人は表情を歪める。半ばぶっきらぼうにも見える反応だったが、すぐにそれでは晴明の問いに不誠実だと反省したのか、険しい表情ながら梨花は答える。


「いないことに気が付いたのは昨日の昼下がりよ。私たちに何も言っていないのに、突然姿がみえなくなったの。最初はおかしいな、って思った程度だったけど、夕方になったら非違の連中が押しかけてきて、それで……」

「山吹殿と杏殿も、か?」

「いや。彼女たちは違う。彼女たちは昼ごろに、市へ買い物に向かったのを確認している。いなくなったのはそれ以降だ」


 梨花に代わって満仲が答え、「なぁ?」と梨花たちに同調を促す。梨花たちはそれに肯いた。


「そう。だから、私たちはきっと樹神様は山吹たちを探しに出て行ったんだと思うの。でも、それなのに非違の連中ったら……!」

「あらぬ疑いをかけられたのか。まぁ、仕事・調査のためとはいえ普段から人を疑ってかかる連中だからな」


 再び憤激を露わにする梨花に、晴明は苦い顔で納得した。彼とて、ついさっき検非違使からあらぬ疑いをかけられたのだ。梨花の気持ちは、ものすごくよく分かる。


「でも、山吹殿たちを探しに行ったとしても、何も言わずに出て行くものか? 樹神殿は、そのあたりきちんと説明するなりして、出て行く人柄だと思うのだが」

「うん……。そのはずなの。こんな風にいなくなるなんて、今までなくて」

「きっと何か、理由があったのではないでしょうか。何が理由かは、分からないけど……」


 梨花に続いて桃花が控えめに答えて、三人は顔を合わす。彼女たちとて、樹神がいなくなった原因・理由は把握しきれていない。だが、彼女たちは樹神を信じているのか、一様に疑いの色はない。

 それを確認して、満仲が口を開く。


「そのあたりは、非違とは別に俺らも調査中だ。非違は樹神殿の嫌疑を確実にするため動いているが、俺たちは潔白を明らかにするために動いている。その点は安心してくれ」

「はい。お頼り申しています」


 力強い満仲に、梨花を始めとして三人は頷く。これまでの付き合い、殊にここ数日の対応で満仲を信じるに値する人間だと確信しているのだろう、三人はそこに少しも不安や迷いをみせない。


「一応確認なんだが、最初にいなくなったのは山吹殿と桃花殿で、その後に樹神殿がいなくなったんだよな? 一緒にいなくなったわけではない、と」

「そうよ。だから、樹神様が二人を連れていなくなったわけじゃない。それなのに、非違の連中ったら――」

「まぁ恨み言は尽きないだろうが、その辺は晴明には勘弁してやってくれ。晴明も、ついさっきまで奴らに詰問を受けて、挙句あげくその後に拷問までされそうになっていたわけだからな」


 苦笑しながら言って、満仲は梨花を抑える。彼女の怒りはもう痛いほど伝わっていた。それには充分同情しているし、納得もしている。

 なお、すでに彼女たちには晴明の件、彼が検非違使庁に連れ去られてそこで訊問されたことは伝えてある。その時の内容も教えているため、改めてそれをこれから喋るようなことはしない。

 そのため、それを前提に話を進める。


「それからさっきも言ったが、しばらくこいつもこの屋敷で匿うことになったから、仲良くしてやってくれ。実際には、俺たちの調査にいろいろと使うつもりでいるがな」

「使うって、なんか酷い言われよう……」


 満仲の少し雑な言い様に、梅がぼそりと言う。根は優しいのだろう、その言い方が気になったようだ。

 それに対し、晴明と満仲は微苦笑する。


「文句は言えない。助けてもらっただけでありがたいし、それぐらい当然だ」

「言い方が悪かったな。正確には『協力』だ。別にこいつを道具扱いしたわけではない」


 そこまで言うと、満仲は腰を上げる。着物の皺を払って整えつつ、彼は梨花たちと晴明をぐるりと見回す。


「まぁ、しばらくは晴明、彼女たちの話相手にでもなっていてくれ。協力するのは、後でいい。今はゆっくりくつろいでくれ」


 そう告げると、「それじゃあ俺はまた調査に動いてくる」と言い加え、満仲は退室していった。

 部屋には、晴明と梨花たちが遺される。去っていた彼を見送ってから、湯呑みにあった水を飲み、梨花がぼそりと言う。


「気遣いの行き届いた方ですね」

「あぁ、本当に……」


 感謝と共に同意をしようとした晴明だったが、その時部屋を出て行き去って行こうとしていた満仲が急に戻ってきた。

 彼の帰還に一同が鼻白む中、満仲は晴明を見る。そして、やや笑いながら言う。


「あと、一応釘を刺しておくが、樹神殿がいないところで、彼女たちに妙な手を出すんじゃないぞ? いいか、絶対出すなよ? フリじゃないからな?」


 それだけ告げると、満仲は今度こそ部屋を去っていく。まさかとは思ったが、本当にそれだけを言いに戻ってきたようだ。


「……本当に、いらぬ気遣いをしていく奴だ」


 憮然と、晴明が言葉を口にするのに対し、梨花たち三人は黙って頷くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る