平安陰陽奇譚
嘉月青史
序章:道士と化生の童
序章
燦然とした星々の煌めきが記憶に深く刻まれるだろう、そんな美しい夜空の日のことである。
山中の薄暗い辺り一帯を、
電灯がないこの時代、人工的に夜の闇を引き裂く光源は存在しないものの、その代わりに月光や星の光は現代よりも遥かに明るく、深い闇の空間を照らす役割を果たしている。
薄暗くも広い視界を保つ山中の合間に、複数の人影が身を置いていた。
木々の群れから離れた、上空から俯瞰すれば広場のようになっている台地において、複数の男性が横一列に並んでいる。いずれも
彼らが視線を注ぐ先には、か細い人影が一つ座り込んでいる。
「本当に、よいのだな?」
男たちの中から、深緑の狩衣を羽織った人物が代表して口を開く。
「そなたがこれから歩み道は、これまでのように化生の者として生きるよりも遥かに厳しいものとなる。多くの制限で束縛され、自由気ままに生きることは元より、これまで獲物であったものと共存していかなければならない至難の道だ。それでも、覚悟はいいか?」
「はい。初めから、そのつもりです」
相手の男性からの確認に、童は声を返す。たいそう美しい、鈴の音を転がしたような可憐な声だ。少年とも少女とも取れる中性的な雰囲気で、その曖昧さが
その言葉に、男性の脇に控えていた他の若い男性たちは
緊張の面持ちの彼らに対し、先に声を放った男性はというと、一人落ち着いている。多少なり、横の男たち同様の気の張りは見受けられるが、彼は比較的
「本当に、よいのだな?
「それも、覚悟しております。私は、この身の上から変われるのであれば、いかなる苦行にも耐えると決めております。道士様がたからすれば奇怪なことやもしれませんが、私自身が強く望んでいることです。後悔はいたしません」
やや脅迫気味の男性の言葉に、童ははっきりと、明朗な態度で答える。その返答は、とても童と思えぬほどに大人びていた。
童は一向に後ろの男性たちには振り向こうとはせず、その表情は夜の闇に染まっているため判然とは映らない。
ただ声からは、童は薄ら笑っているように感じられた。
笑うといっても、齢相応の明るい笑みではない。
人間とはかけ離れた存在が浮かべる独特の、少し冷たく危険な笑みだ。
そんなことを連想させる中で、童の言葉を聞き、男性は小さく顎を引く。
「ならばよい。では、始めるぞ」
そう合図を出すと、男性は童に対して近寄る。気配が接近するのを悟ると、童はおもむろに衣服の肩をはだけさせた。露わになった白い肌は大層綺麗で、童の美しさをさらに際立たせる。肩を露出した童は、その後に両袖からも腕を抜き、上半身分の衣服を取り払った。
腰から上を裸体にさせた童に、男性は近づくと、その背に手を押し当てる。その手には、一枚の呪符が携えられていた。
華奢で柔らかいその肌へ札越しに右手で触れると、男性は逆の左手で剣印を結ぶ。そして、目を瞑りながらなにやらぼそぼそと呟き始めた。
「……縛鬼伏邪百鬼消除……邪鬼呑之如粉砕……急々如律令!」
所々が微かに聞こえてくる
するとその言葉と同時に、童の背中に青白い光が刻まれる。何かの文字が刻まれたように走った青い光は、しかし一瞬で消えて童の背から消えた。
だがその直後、童は苦悶するように声を漏らし、前のめりに地面に倒れる。座った体勢から柔らかく前のめりに倒れた童に、男性はその様子を心配しようとはせずに目を細めた。まるで、その反応が当然だと言った様子だ。
「お望み通り、そなたに封をかけておいた。これで、そなたはこれから『化生』ではなく『人』として生きていくことになるだろう」
倒れて、荒く息を吐く童に対して、男性は冷然と告げる。
その言葉に、何故か背後の若い男性たちは顔を見合わせた後、安堵の様な吐息を漏らす。だが、男性と童はそれを気に留めなかった。
「この度は、そなたが望む通りにしてやった。これ以上人に害を与えるような存在ではいたくない、というそなたの化生とは思えぬ心に免じてな」
男性がそう言っていると、それを聞いていたのか、童はゆっくりと身を起こす。
荒れた息を整えながら身体を持ち上げた童は、ゆったりとした動きで首を回して背後に振り向く。露わになったその容貌は、人にしてはあまりに出来過ぎていて、童にしても美しく、背後の若い男性たちが、分かってはいても思わず息を呑むほどに秀麗なものであった。
そんな容貌に、男性は心奪われた様子なく、厳かに告げる。
「ただし、このような処置をするのは今回だけだ。もし、私が掛けたそなたの邪性を封じる
男性は言葉を溜めると、目を鋭利に細め、童の目を見据える。
「私は必ずお前を殺しにやって来る。今度こそは命はない。そのことを、よく覚えておけ」
「……はい。分かりました。元より、承知しております」
荒げていた息を整え、冷や汗を額に浮かべながら、童は頷く。
相変わらず、齢とはかけ離れた大人びた受け答えで首肯すると、童はぎこちなく、取り繕うかのように微笑む。
「ありがとうございました。道士様。この御恩は一生、忘れません」
「礼には及ばん。ただ……」
「ただ?」
「……私はただ、お前が二度と封を破らんことのみを望む。それが何よりの恩返しと心得よ」
厳然とした口調で同士が言うと、その言葉に童は一瞬目を丸める。
だがすぐに、その顔に笑みを浮かべる。
人とはかけ離れていた存在であった童は、そうやって初めて、人としての心からの笑みを刻む。
こうして、童は人として歩みだす。
このことが、時を経た後に、ある騒動を生むことなどは露知らずに……。
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