真相2
「まず最初に、今回の件で俺はお前に謝らなきゃならない。実は当初の予定では、こんなに長い間サヤカちゃんをお前に預かって貰う予定じゃなかったんだ」
「ですよねぇ」
頭を下げる兄に、それ自体は意外に思うこともなかったので頷く。
当初、サヤカの持ってきた荷物には数日分の着替えしか入っていなかった。それと、保険証や医療証などの救急セットや、歯磨きなどのお泊まり道具。最低限必要なものは全て揃っていたが、逆にいうとそれだけとも言える。いまの間宮家には生活道具一式の全てが揃っているが、それはほとんど識が(趣味で)あとから買い足したものだ。最初に持ってきた荷物だけでは、こんなに長い間預かることは出来なかっただろう。
「ええっと……どこから話したもんかなー。お前、日向グループって知ってる? 元は地方の地主が始めた小さな製糸工場だったんだけど戦後から手広く商売を広げて、今じゃ同族経営ながら一部上場までしてるそこそこの優良企業なんだけどさ。実はサヤカちゃん、そこの会長の孫娘なんだ」
「は?」
つまりはお嬢様ってことだね、と兄の口からいきなり飛び出してきた弟子のトンデモ設定に、春明は思いきり怪訝そうに顔をしかめた。
「いや、お嬢様って……嘘だろ? だってアイツ、別に語尾にざますとかですわとかつけないし、羽のついた扇子もってヲホホホホとか笑ったりしないぜ?」
「……お前の中のお嬢様のイメージがあまりにステレオタイプすぎて、お兄ちゃんはいま少しビックリしてる」
実際に少しばかりビックリというか軽く引き気味の兄に、こちらこそ心外になるが。兄はそれ以上拘ることなくすぐ本題を続けた。
「まあ、会長の実の娘である彩華さんがとっくに実家と絶縁しちゃってるから、戸籍上では赤の他人なんだけどさ。それでも遺伝子上は間違いなく、あの子は日向グループの一員なんだよ。厄介なことに」
そこから語られたのは、よくある世間話だった。
いまからそう遠くない昔。ある裕福な一家がおりました。
母は早くに亡くなって、父一人。娘一人。蒲柳な母の血を引いた娘は病弱な子でしたが、それでも立派に成長し、父は娘に苦労させまいと一生懸命に働きました
もともと父には商才があったのでしょう。裕福な家は父の代においてその勢いを増し、さらにさらに巨大になりました。
しかし仕事に勢いがつく反面、肝心の家の方ではどんどん賑わいを失っていきました。
母を亡くし父も滅多に家に帰らず、残された娘は一人で勝手に成長し、やがて家を飛び出しました。
父は勿論止めようとしましたが、娘はけっして止まろうとしませんでした。
最終的に、聞くに耐えない言語を絶する親子喧嘩の末に、父は娘を勘当しました。
娘もまたこれ幸いと、裕福だった家の財産や権利を一切惜しみなく放棄して、そうしてやっと自由になりました。
自由になった娘はやがて母となり可愛い娘に恵まれて、仲良く楽しく暮らしておりました。
父は父で、その後も娘を失った後悔も悲哀も感じる暇もないくらいバリバリと精力的に働いていましたが――そんな父にもやがて老いが訪れました。
やがて死期が訪れました。
もはや実務を引退し、自分の育て上げた会社を立派に後進に譲り渡した彼は、そこでふと気づいたのです。
自分の血を残せるものがどこにもいないことに。
生涯をかけて築き上げてきた会社を、先祖から受け継いできたものを譲りわたす相手が、赤の他人しかいなかったことに。
死を間近にした老人は、悟って急に怖くなりました。
老人の家は、もともと古い古い血筋の家でした。ですがずっとずっと続き続けてきたその古い血が、このままだと老人の代で絶えてしまいます。
会社は残るけれど、財産は残るけれど、それが全て赤の他人の者になってしまいます。
彼にはそれが――耐えられませんでした。
ですが、どんなに探しても後悔しても、彼に残された血縁は昔勘当した娘だけ。とっくに絶縁した娘に、今更家を継がせることは出来ません。老人はさらに調べて――勘当した娘に子供が生まれていたことを知りました。
自分の孫が生まれていたことを知りました。
そして老人は決意しました。
この子に。
自分の血を引くこの孫に、築き上げてきた全てを譲り渡そう。
そのためには。
そのためには――
「日向グループの会長さんがサヤカちゃんを後継者として指名した当時、周りは結構荒れたらしいぜ? なにせそれまでまったく警戒もしてなかったぽっと出の四歳児の手に一企業がまるまる渡っちゃうんだもんな。そのせいもあってしばらくあの子の周りじゃ誘拐未遂も多発したそうだが、サヤカちゃんに手を出す奴らは全て彩華さんによって『殲滅』されてる」
「殲滅」
なかなか日常会話では出てこないパワーワードだった。兄は特に気にすることなく続ける。
「もうちょっと詳しく説明すると、日向グループはさっきも言ったがもともと同族経営で成り立ってきた企業で、いま会長――つまりサヤカちゃんの爺さんにあたる人物はそこに婿養子として入ってきた人物だったんだ。経営手腕は良かったらしいけど、所詮は外様の中継ぎ。血の正当性という意味では、むしろ出奔した彩華さんとサヤカさんこそが相応しいと社内でも考えられている」
「さっきサヤカが後継者に指名された時に荒れたって……」
指摘すると、兄はそりゃあね、と苦笑してみせた。
「そりゃ、企業たって一枚岩じゃないから賛成意見があれば反対意見もあるよ。同族経営っていったろ? 会長の爺さんは外様扱いだが、他の役員は彩華さんの従兄弟やらハトコやら……少し遠いが親戚筋がぞこぞこいる。もちろん、一番血が濃いのは彩華さんとサヤカちゃんだ。彩華さん自身は絶縁した時ご丁寧に財産放棄の手続きを済ませてるそうだから、実質跡を継げるのはサヤカちゃんだけってことになる」
「……母親が相続放棄してんのに、その娘が跡継げんの?」
「んー、俺もあんま詳しくはないが、法律的には出来ないこともないらしい。でも仮にサヤカちゃんを後継者として引き取って養子縁組する場合には、母親である彩華さんの同意が必須だ。逆に言うと、彩華さんからの同意が得られない限り日向側がいくらそれを望もうが、ただの絵空事で終わる。彩華さんが生きている限り」
生きている限り。
その言葉に、ちらりと横たわる彼女を見る。
呪詛に蝕まれた彼女を。
「親権者である親が亡くなればその子は養護施設か――引き取ってくれる里親の元に送られる。いまはどこも予算がないからな。そんな折に、たとえば疎遠になっていたとはいえ、裕福な直系の血縁者が後見人として名乗り出てきた場合、よほどの事情がない限りは認められるだろうな」
それは。
その言葉の意味するところはつまり。
「それにもう一つ、彩華さんが亡くなった場合、爺さん側にメリットがある。普通、原則的な法廷相続人は第一順位の直系卑属だが、親が亡くなってる場合は代襲相続っつって、サヤカちゃんが第一位の法定相続人になるんだ。つまり、このままの呪詛が完成すれば、日向側は合法的に後継者を確保した上に財産を血族に継がせることが出来る」
そこまで言えば、もう充分だった。
充分すぎるほどに。
「だったらいま、彼女を呪っているのは……」
「断っておくが、彩華さんが倒れたこと自体は純粋な病気だった。いつもの風邪をちょっとこじらせて肺炎にまで進化させちゃったただけの純然たる風邪だった。けど、その最悪のタイミングでこの呪詛が発動した」
この、という部分で兄は視線だけで忌々しげに呪印を示した。
本当に、心から厭わしそうに。
「あるいは呪詛自体は前から完成してて、ずっと発動の機会を窺っていたのかもしれない。ともあれ、彩華さんの生命力と抵抗力が弱った最悪のタイミングで血呪式は発動した。結果は見ての通りだ」
見ての通りと言われた結果は、実際のところ見るまでもなかった。
見るに耐えなかった。
「この呪詛の主は――父親か」
呟くこちらの言葉は肯定せず、兄はガシガシと苛立たしげに頭をかいた。
「最初は俺もただの肺炎だと聞いてたんだ。念のための検査入院みたいなもので、すぐに退院出来るからって。なのに、それがまさかこんなことになるなんてな……」
はぁ……と沈鬱そうにため息をつく。その顔にいつにない疲労の影を見つけて、春明はようやく合点がいった。
「兄貴がずっとここにいるのは、彼女の呪詛を抑えるためだったのか……にしてもお前、やけに色々と詳しいな?」
単なる職場の同僚のプライベートにしては、些か知りすぎている気がする。疑問に思って尋ねると兄はあっさりと続けてきた。
「入院が決まってサヤカちゃんの世話を頼まれた時に、彩華さんから教えて貰ったんだよ。実際に誘拐未遂も起こってたし、警護も兼ねて警察関係者に預けたいって。その後に呪詛が発動してそれどころじゃなくなって、結果としてお前にお願いしちゃったんだけどさ」
「だったら俺にも最初から教えてくれりゃよかったのに」
八つ当たりもこめて睨みつけるが、相手は気にした様子もなく肩をすくめる。
「言っただろ。プライベートな事情だって。それに、最初にサヤカちゃんを預けた時はお前がいつまで預かってくれるかも分からなかったし、そうぺらぺらと他人様の家庭事情を吹聴なんて出来ねーよ。ひょっとして、預けた翌日に『やっぱ無理』って言われる可能性もあったんだからな」
「そんなことするわけねぇだろ。信用ねーな俺も」
いささか不貞腐れて告げると、兄はむしろ焦ったようにぶんぶんと手を振った。
「違う違う! お前は楽しくやれてるみたいだから自覚ないかもしれないけどさ、本当に結構大変なもんなんだよ子育てってのは。性格の相性だってあるし、もともと赤の他人なんだから生活のリズムだって違う。よほど気があうか根気がなきゃ、我が子でもない子供をこんなにいつまでも預かれないよ」
じゃなきゃ、世の中の母親たちがあんな育児に悩んだりするわけないだろ、と。
実際に預かれなかった奴が言うと説得力が一入だった。
背もたれに体重を預け、ぐしゃりと髪をかきあげる。今日は仕事でないので前髪を固めていないが、少し伸びてきた。識に注意される前に、そろそろ切りに行かなきゃな、と思う。
春明は少し冷めた紅茶を飲んでため息をついた。正面に座る兄をひた、と見据える。
「なるほどね……まあ、事情は分かった。サヤカと彼女を会わせられない理由にも納得した。――それで、彼女の呪詛はいつになったら治るんだ?」
鋭い視線で弟に詰問されても――
兄の表情は一切変わることはなかった。気にせずに続ける。
「うちであの子を預かる分には別にいいよ。幸い識もサヤを気に入ってるし、俺だってなんだかんだで楽しくやれてる。でも、それでもあの子はずっとママに会いたがってるんだ。このままいつまでもこのままにしておくわけにもいかんだろ」
それを聞くために――その答えを得るために、わざわざここまで来たのだから。
そう言うと、兄は確かにそうだな、と言って頷いた。特に隠すつもりもなかったのか、あっさりと言ってくる。
「一応……あと二週間ほどすれば、霊課所属の祓い師が出張から帰ってくる。それまでは俺が呪詛の進行を止めておくんで、出来ればその間は引き続きお前のところで預かってて貰いたい」
「二週間か」
長いような、短いような、微妙な期間だ。大人にとってはあっという間でも、子供にとっての二週間はきっととても長い。
会いたい人を待つ時間ならば、なおさら。
黙り込んだこちらが躊躇っているとでも見たのか、兄は懇願するように手を合わせた。
「頼む! 相手が呪詛を使って来てる以上、普通のシッターさんに頼むわけにもいかないんだよ。爺さん側の狙いはあくまでサヤカちゃんを後継にすることだから、よほどのことがない限り手荒な真似はしてこないとは思うが、いまの日向グループにはサヤカちゃんの存在を邪魔に思う奴らも少なからずいるはずだ。けどお前の見鬼眼があれば、たとえ呪詛をかけられたとしても発動前に見抜く事が出来るだろ? 自分で呪詛るのはめっちゃ下手だけど、見抜くだけなら出来るだろ?」
「黙れ。最後の一言は余計だ」
この兄といい式神といい、どうにも自分の身の回りには言わなくてもいい一言を敢えて言う奴らが多すぎる。
しかし兄の言葉はもっともだった。
兼業とはいえ春明も一応陰陽師を名乗る身ではあるが、自他共に認める程度には呪詛は苦手だ。ついでに荒事も得意ではないが、反面、眼に関してはそれなりに自信がある。仮に彩華を呪った相手がサヤカにまで手を出そうとしたところで、春明なら発動前にその僅かな邪気を感知出来るだろう。呪いなんてものは所詮、カタチを成す前に潰してしまえば害はない。
「分かった……その代わり、あと二週間でママに会えるってことだけはサヤにも伝えるぞ。あいつは本当に、ずっと母親に会いたくて我慢してるんだ」
「いいよ。肺炎自体はとっくに完治してるから、呪詛さえ解呪出来ればいつでも会える。呪いが解けたら俺から連絡するよ」
得られた答えに満足して、春明は立ち上がった。約束を取り付けた以上、ここにはもう用はない。
「んだよ。もう帰るのか?」
「うん。病院嫌いだし。聞くこと聞けたからもう用はない」
そして、ここにいて出来ることもない。
兄のように呪詛を中和することもできず呪いを解けない身であっては、ここにいても意味はない。そもそも意識のない相手に、見舞いも何もないだろう。声をかけても届くとは思えない。彼女の魂はいま、肉体から断絶された場所にあるのだから。
「じゃあな」
「おう」
特に気の利いた挨拶もせず、後ろ手に別れを告げて、春明は病室を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます