八つ当たり


 余計なことをしてしまったかもしれない。


 処置室から出た春明を真っ先に襲ったのは後悔だった。自分は余計なことをしたのかもしれない。


 これがサヤカでなく他の子供であったら、式神の付き添いなんて裏ワザは使えなかっただろう。素直に一人で我慢をしなければならなかった筈だ。あるいは、一緒にいたのが自分ではなく『ママ』だったら、こんな裏ワザを使わなくても泣く彼女を宥めることが出来たのだろうか。


 分からない。親じゃないので分からない。


 親心なんて分からない。


 人の心なんて分からない。


 視えなくてもいいモノは視えるのに、人の気持ちなんて複雑なものは自分には難しすぎて分からない。


 分かるとすれば。


「……さて。このへんでいっかな」


 病院内の、僅かな光を避けるように、暗い方へくらいほうへ。なるべく人気のない方に進みながら、適当な場所で立ち止まる。 


 サヤカについては心配ない。識に命じた以上は心配ない。何があっても――たとえこれから『何が起こっても』あの子の傍に憑いていろと命令したのだから。


 ゾワリ。ぞわりと。


 天井から床から壁から背後から四方のあらゆる全てから。彼を取り囲むように湧き出てきたモノたちに、その節操のなさに苦笑する。


「そりゃそうだよなぁ……すぐ傍にあんな美味しそうな子供がいたら、普通は付け狙うよなぁ。今までは目隠ししてたから見つからなかったけど。視えるなら視られる。視られるなら触れられる。あの子の見鬼眼を解放すれば、……?」


 それは分かっていたことだった。


 見鬼眼の持ち主は、総じて霊に憑かれやすい。ましてやここは病院だ。生と死に強くかかわる場所。ゆえに、人の思念が染みつきやすい場所。


「けどお生憎様。あの子をお前ら如きに譲ってやるわけにはいかないんだよ。ほら、それによく見ろよ。ここにも見鬼眼がもう一人いるぜ。あんな小さな子供より、俺の方がずっと美味しそうだろう?」


 霊力を持つ人間というのは異形にとって光のようなものなのだと教えられた。強い霊力を持つ人間はそれだけ明るく見えるし、見鬼眼のような強い霊視の持ち主は一際目立って見える。


 ならば。


 サヤカという仄かな光が異形共を呼び寄せるというならば。

 間宮春明というより強い光でそれを打ち消してしまえばいい。


 亡者にとって、生きた身体を得たいというのは半ば本能のようなものだ。目の前に餌があれば、誘蛾灯に引き寄せられる羽虫の如く縁ってくる。


 ああ、だけど。


 癒えない飢餓に突き動かされて、それを少しでも鎮めるために他者から奪おうとする気持ちはよく分かる。


 親心よりもよく分かる。

 人の心よりもよく分かる。


 視ないようにする、ということは逆説的に言えば視えるようにも出来る、ということだ。意識的に視ないようにしていたモノたちを、両の眼でしっかりと捉える。鬼を視る眼が形なき姿なきモノを捉え、同時にこの身も奴らによって囚われる。


 だがこれでいい。


 すでにこの場には、兄からぶん取った呪符で結界を張った。入ることは出来ても出ることは出来ない。現実とは少しだけ位相のずれた場所。ゆえにどれだけ暴れても現実に被害が及ぶことはない。


 こちらに引き寄せきれなかったモノたちは、サヤカに害を及ぼすより早く識に食われることだろう。


「おら、俺が欲しけりゃかかってこいや雑魚ども。基本的に時間外労働とただ働きはしない主義だが、弟子のためなら仕方ない。ついでにいうとさっき、それなりに可愛がってたつもりの弟子に手痛い拒否をくらったばっかで少しムシャクシャしてんだ。迷いなく惑いなく、きっちりまとめて全員浄化させてやんよ」


 そんなことは絶対に、口が裂けても本人には言えないけど。

 言わないけど。


 邪気を祓うことを生業とする陰陽師は、邪気のない笑顔で朗らかに告げた。



「俺の八つ当たりでお前ら全員もういっぺん死ね」



 *****



 その後、何日かするとサヤカは元気になった。念のため熱が下がったあとも様子見で自宅療養をさせていたが、いまでは全快していつも通り保育園にも通っている。


「いらっしゃいませー。ごはんやさんですよー。おきゃくさんはきませんかー」

「まあ、美味しそうなご飯屋さんですね。オススメはなんですか?」

「きょうはパンダでーす」


 衝撃でコーヒーを吹いた。


 思わずびっくりして目を向けると、サヤカは宣言通りおもちゃの皿の上にパンダのぬいぐるみを乗せ、いそいそと識の前に給仕していた。まじか。パンダって確かちょっと前までは絶滅危惧種だったはずなんだけどいいのかそれ。可愛がってるはずのぬいぐるみをそんな気軽に食材にしちゃうのか。しかも提供される相手が狐なものだから、まんま餌に見える。狐が肉食な分、余計にリアリティがある。


 しかし識は気にしていないのか、それともこの程度は慣れっこなのか、なんのツッコミもなく「わぁ、とても美味しそうですね。むしゃむしゃ」とごく当然そうにパンダにかぶりついていた。狐形態なので当たり前だが犬食いで。お前は狐だから似合うけどいいのかそれで。あと主君にはあんなに突っ込み厳しいくせに、その弟子にだけ甘いのはなんでだ。


「ご馳走様でした。お腹一杯です」

「じゃあおかねくださーい。ごじゅうえんでーす」


 金銭要求がどストレートな割に値段は案外良心的だった。


 識がお金(木の葉ではない)を払うふりをすると、サヤカも架空の金銭をおつりと言って返す。そんな理屈が通っているようで通っていない、ごっご遊びのようで突っ込みどころが満載な遊びを飽きもせず延々と繰り返している。見ていてとても面白い。


 普段の語彙にしても行動にしても、子供は基礎情報が少ないからか、普通の大人には思いつかないようなぶっ飛んだ発想をしてくる。思わず笑ってしまうこともあるし、時にこちらがはっとなるほど鋭いことを言う時もある。


 本当に、一緒にいて心底飽きない奴だ。


 風邪が治っても落ちた体力まではまだ回復しきっていないのか、サヤカはいつもより早く寝てしまった。居間で特に意味もなく腹筋をしていると、子供を寝かしつかせた狐がトコトコと戻ってくる。


「鍛錬お疲れ様でございます。精が出ますな主殿」

「なんか家で夕飯を食べるようになってから、最近ちょっと服がキツい……」

「痩せなさい」


 狐は相変わらず容赦がなかった。


 しかし腹筋は早々に飽きたので(疲れた)三十回まで数えたところであっさり諦める。汗をかいたのでビールで水分補給していると、式神に怒られた。


「なあ識」


「なんですか贅肉殿。言っておきますが、二十代過ぎてついた皮下脂肪が自然に落ちると思ったら大間違いですよ」


「サヤはやっぱり、母親に会いたいのかな」

「……主殿、それは」


 病院でのあの場に識はいなかったが、もとより主人たるものと式神は魂の緒で繋がっている。喚べばいつでも来るように、互いに見聞きしたことであれば情報共有も可能だ。


 何気ない春明の問いに、何気なさを装った春明の問いに、式神はどこか焦ったように続けた。


「あれは……あれは違うのです主殿。サヤカ嬢はけっして、あなたを嫌いになったりしたわけではありません。ただあのくらいの年齢の子供は、まず何より先に母を求めるものなのです。それはあの子に限ったことではなく、ごく普通のことなのです。あの子は、ただ当たり前の子供なだけです。主殿。あなたとは、違う」


 


 言外に告げられた狐の言葉に、春明はどうということもなく頷いた。


「うん。分かってる。いや別に気にしちゃいねーし傷ついてるわけでもねえよ、そんなこと。ただそういうんじゃなくて……そういうんじゃなくてさ」


 そう。そんな大仰なことではない。ただとても単純で、当たり前のことだった。


「そういうんじゃなくて。ただ約束したからな、あいつと。治ったら、なんでもお願いをきいてやるって」


 術士は嘘をつかない。


 子が母を求めるのと同じく、それもまた当然のルールだった。言霊を操る術士が虚偽を口にした場合、その効力が極端に弱くなってしまう。


 だから。


『ママに会いたい』


 あの願いは、今でもまだ有効だ。


「サヤを預かってもう結構になるし、会いに行くぐらい問題ねーべ。そもそも、子供が母親の見舞いに行くのはそれこそ普通のことだろうがよ。兄貴はどうもこっちと母親を接触させたくないようだが、アイツにどんな思惑があろうと知った事か」


 それは皮肉でも韜晦でもなく。


 まるきり屈託のない笑顔で、なんの裏もなく表もなく、春明は当然のようにそう言った。


「あの子がそれを望むなら――夢のように叶えてやろう」

 





 だけど狐は悲しんだ。

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