万華鏡のような君に

松永エマ

万華鏡のような君に

「────ねぇ、」


雨の音が彼女の声をかき消すほど

車の中は 静かだった。

夏の夜なのに、この雨のせいで少し肌寒い。


「ん、なに?」


「何かにね、魅せられたことってある?」


「えっと、見せられる・・・何を?誰から?」


「その見せるじゃないよ、魅力の魅。」


「あー、そっちか。」


彼女は時々 変なことを言い出す。

この前、昼間 2人で散歩していたとき

目の前で猫が横切ると、

「猫ってさ、何考えてるんだろうね。」

「やっぱり猫にも猫の社会があって、

私達にはわからない言語で会話してたりする

のかなー。」と、

幼稚園児ばりの発想力のある発言をしてきたり、

2人で遊園地に出かけた時には、

「ぬいぐるみの中の人ってさ、

お客さんがキャーって言いながら

一緒に写真撮ってくださーいとかって言っ

ってきた時、どんな気分なんだろうね。」

「もし、イライラしてる時とかに来られたら

うるせーな、この女共。とか思われてるか

も・・・、今度からちゃんと落ち着いて声掛け

なきゃね。」と、

なんでそんな発想に至ったんだ?といいたくなるようなことを にっこり笑顔で言ってくる


そんな彼女なのだが、今日はいつもと様子が違うようだ。いつも屈託のない笑顔と一緒にやってくる素っ頓狂な言葉が、今日は笑顔を置いて独り歩きしてきている。


「私ね、1度だけ魅せられたことがあるの。

子供の頃に、1度だけ。」


「その日の天気は曇りで 少し風も強かった

んだけど、私がどうしてもドライブに行き

たいってねだるから お父さんが仕方なく連れ

ていってくれたの。」


「言った先が海で・・・

今思えば、なんで海?って感じなんだけど。

その日の海、凄い荒れててね。

ちょっと怖かったんだけど、なんか見入っち

ゃって。」


「砂浜に立って、波が荒れてる海を見てて

思ったの、

ああ自分、あと数メートル先に行ったら

すぐ死んでしまうんだろうなって。

子供の頃の私には、その日の海はとても

怖くて、強く見えて、そしてなにより、」


「すごく─── 美しいなって思ったのよ。」


そう言うと彼女は、黙って外の街を見つめてしまった。窓に反射した彼女の顔は、何か昔のことを思い出しているかのような、そんな哀愁漂う顔をしていた。


彼女は画家の仕事をしている。

海外でも活躍するような けっこう名の知れた画家で、いつも世界の何処かで個展が開かれているような、そんな人気ぶりだった。

彼女の描く絵は とても美しく、繊細で、どこか儚げでありながら、雄大さをも感じさせるような絵らしい。

僕は 芸術などにはからっきし弱い質なので

ただ素直に綺麗だなとしか 言葉にできないのだが。


2人で借りているマンションに着くと、

さっきとはうって変わって 彼女は明るくはにかんで見せながら、疲れたーと言って階段を登っていった。


え、さっきまでの

あの雰囲気はなんだったんだ?

驚きと同時に、ふふっと笑みがこぼれる。

彼女は何年経っても 掴めない人だなー

まるで万華鏡見たいな人だ。

少し角度を変えるだけで、ガラッと模様が変わってしまう万華鏡のように、

彼女も、少し何かあるだけで 画家特有の

感受性が働くのか、ガラッと雰囲気も顔も、

何もかもが変わってしまう。

そんな彼女が、何故 僕のような平凡な男と一緒に居てくれるのか。それは分からないが、きっと とても幸せなことなのだろうなと思う。


家のドアを開け、リビングに入ると、

彼女が先にソファの上で休んでいた。


「ねえねえ、録画してた映画

いっしょに見よー」


にこやかな笑顔で 自分の座っているところの隣をポンポンと叩きながら、僕を手招きする。


「おっけー。ちょっと待っててね。」


映画のお供に、コーヒーでも入れようかな。

僕の大好きな、万華鏡のような君に。

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