.oracle

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   4


 夕映えの下、ひまわりが咲いている。

 いや、これは幻影だ。


 九条は自らの居場所を過たない。今は夜半過ぎ。二ツ山麓の居恋荘北側二階、寂れた民宿の一室。そこで座椅子に腰掛け、HMDヘッドマウントディスプレイを被り、忙しなく端末をいじっている者こそが九条だ。


 これは信者にだけ見ることが許された、ひまわりの國。二ツ山村の最深部。

 背の高い花の影から、鴉が姿を現した。


《ここまで入れたって事は、やっぱり正解だったんだね》

《猪原さんのファジィな発想の賜物だ》


 結局、最後の鍵はBOTに記憶された言葉の中にあった。それによって開かれた金庫には、許子の推理の通り、印鑑や通帳と並んで「ひまわりの國 パスワード」と解り易く記された紙片が入っていた。


 目的を遂げた九条は、一方で許子へ帰宅を命じ、自身は離れた所から端末で二ツ山村フォーラムの深部へと入り込んだ。

 虎穴に入る為に持ち込んだのは、鴉の視界をモニタするタブレットが二台と、指示を飛ばすためのPCが二台。バックドアを作るためのウェアラブル・コンピュータが右腕にひとつ。そして、それらすべてに繋がった排熱用機材が轟音を立てている。


 民宿の人間を通さないように云ってあるのも、この光景を客観視すれば至極当然である。電気代と宿代を経費で落とせるか、そんな懸念に付きまとわれている暇は、今はない。

 現実の九条が手許のFDフローティング・ディスプレイによって浮かび上がった、光学キーボードを叩く。


 ――より没入度の高い、仮想現実か。


 現実の村にコミットされた拡張現実が、そのまま横滑りした形で仮想現実を構成している。今在る風景が、在るべき風景になり、在り得ざる風景へと変化した形。ひまわりの國の、宗教儀礼の中心地として使われている空間でもあった。

 九条が決められた手順で操作すると、一面のひまわり畑の中に障子戸が浮かび上がる。


「フギン、ムニン。行くぞ」


《了解ぃ!》

《任しとけ、ノイン》


 鴉が二羽、ファイアウォールを突破した。黒い羽根が何枚か飛び散る。直ぐ様、ソフトが走って痕跡を消した。硬い壁に打ち込まれる釘。最深部がモニタされる。ひまわりの國の、サンクチュアリが。

 最後に認証を求められる。


《ノイン、開けるよ。許子さんが持ってきたパスワードを入れるからね。準備はいい?》


 九条が首肯した。

 ひとりでにキーボードが反応し、三八桁の英数字がカタカタと入力されていく。まさかこの期に及んでタイピングに頼るとは。


 入力が完了し、モニタは寄合所を映した。九条が通されたリアルの其処でなく、舞台は祭壇として飾り立てられ、何事かを隠すのか御簾が引かれている。照明は無く、蝋燭の火を模したホログラフィーが光源となり、全体として祭儀場の雰囲気をまとっている。


 厳粛な空気を醸す式場を、透明な鴉の視点から鳥瞰する。寄合所いっぱいに詰まった老人たち。みな、手に手に数珠や木彫りのお守りを持って、泣き腫らしたような顔で壇上を見つめる。彼らこそ、この村の住民であり、フォーラムの接続者。そして、この村に隠された秘密宗教の信者たち。


《誰か来る、ノイン!》


 一段上がった祭壇の、御簾一枚隔てた奥部屋。腰をかがめて、そろそろと出てきたのは、見覚えのある顔だった。鴉に検索を頼まずともわかる。九条を村から追い出した、葬列の先頭にいたあの修行者だ。


《ボクを落としたやつじゃないか。嫌だなあ、また会っちゃったよ》とフギン。

「会いに来たんじゃないか。ちょうどいい。接触コネクトできないか、盗めるだけ盗みたい」


《危ない橋を渡るんだな》

「信頼してるんだよ、合図を待ってろ」


 九条の見守る中、集まった老人達が修行者に向かい「導師」と呼び立てる。

 修行者――村人の言う所の導師――は勿体振って胡座を組み、胸の前で指を組み合わせて印契を作り、二度縦に振る。


 ――トーホーカミーヱミータメー。


 深く息を吐くようにして、そのような言葉を吐く。それと共に、場の空気が張り詰めたものへと変わり、信者たちの間に重い沈黙が降りかかる。


 ――アハリヤ、アソバストマウサヌ、アサクラニ、ホシミノ大神、オリマシマセ。

 ――ベールマ、ヴラ、キルタ、ヴェーヤメリーフ、マールクター。ナーモ、アーミダー。


 鬼気迫る様子に気圧されそうになる九条。老人たちは沸き立ち、修行者の声に合わせ「ナンマンダ、ナンマンダ」と繰り返している。何が始まろうというのか。いや、その前に。フギン、と声をかける。検索結果がモニタの右端に表示され、それを軽く要約したものをムニンが読み上げる。


《最初のが天津祓あまつはらえ。古神道系の新宗教では頻繁に用いられる文言で、次も同じような神道系の招神詞しょうしんことばだ。最後はユダヤ教の祈りカディッシュと浄土真宗系の阿弥陀仏への祈り。ヘブライ語で祈りのことをアミダーと言うから、そこと掛けているんだろう》


「掛けているんだろう、じゃないぜ。僕は専門家か? 理解るか」


 AIにキレても始まらない。かいつまんで解説してくれるほど、育ててはいなかった。

《だからね、色んな所の宗教から引っ張ってきてるってことだよ。とっても胡散臭い感じ!》


 フギンが補足をしてくれるが、だからといって理解できる訳ではない。これはまた荒井の出番かもしれない。

 やがて修行者が唱え終えると、ひとりの老婆が祭壇の前に恭しく進み出た。明日この世が終わってしまうかのような、苦悶の表情を浮かべている。老婆は修行者の前に額衝ぬかづいた。


「打ち明けるがよい、ホシミ様は、見守っておられる」


 修行者は手許に杖を引き寄せ、それを老婆の肩に置く。触れられた方の老婆は、救いの手が差し伸べられたとでもいうような、不安と希望を抱いた表情で悩みを告げる。


「導師様、ホシミ様、お聞きください。息子が、一人息子がまた悪い女に捕まりよったみたいなんです。もうええ歳なのに、ふらふらと遊び歩いとって、どもならずな子やけど、心配で心配で。わたしはこの歳じゃ、足も悪うなってしもうて、ろくに街までも出てけん。どないしたらええでしょうか」


 一気にまくし立てた老婆は、修行者に縋りつつ御簾のほうを凝視する。何だ。あの向こうに、何があるというのか。

 数秒の間。みなが固唾を飲んで御簾を睨んでいる。老人達は勿論、九条や鴉までも。


 ふと、言葉が降りてきた。耳朶の奥からちりちりと刺すように、機械補正された不気味な女の声が。

 ――これは、立体音響?


「貴女は息子の事を愛していますか?」

「はい、私は息子を愛しております」

「でしたら、息子も貴女を愛しています。信じなさい。では御詞を授けましょう」

 発せられた声に対し、老人達は「おお」とどよめく。




 ワタシノコエハ、トドカナクテ、マダ、ナニモシラヌ、オサナゴノヤウニ。

 カツテハシッタアイノカタチモ、モロクコワレキエテシマウサダメ。

 アナタノアイヲ、ダキシメテイキテイコウ、イキテイコウ。

 シンジテ、アイダケハシンジテイタ、シンジテイタイ。



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