.oracle
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夕映えの下、ひまわりが咲いている。
いや、これは幻影だ。
九条は自らの居場所を過たない。今は夜半過ぎ。二ツ山麓の居恋荘北側二階、寂れた民宿の一室。そこで座椅子に腰掛け、
これは信者にだけ見ることが許された、ひまわりの國。二ツ山村の最深部。
背の高い花の影から、鴉が姿を現した。
《ここまで入れたって事は、やっぱり正解だったんだね》
《猪原さんのファジィな発想の賜物だ》
結局、最後の鍵はBOTに記憶された言葉の中にあった。それによって開かれた金庫には、許子の推理の通り、印鑑や通帳と並んで「ひまわりの國 パスワード」と解り易く記された紙片が入っていた。
目的を遂げた九条は、一方で許子へ帰宅を命じ、自身は離れた所から端末で二ツ山村フォーラムの深部へと入り込んだ。
虎穴に入る為に持ち込んだのは、鴉の視界をモニタするタブレットが二台と、指示を飛ばすためのPCが二台。バックドアを作るためのウェアラブル・コンピュータが右腕にひとつ。そして、それらすべてに繋がった排熱用機材が轟音を立てている。
民宿の人間を通さないように云ってあるのも、この光景を客観視すれば至極当然である。電気代と宿代を経費で落とせるか、そんな懸念に付きまとわれている暇は、今はない。
現実の九条が手許の
――より没入度の高い、仮想現実か。
現実の村にコミットされた拡張現実が、そのまま横滑りした形で仮想現実を構成している。今在る風景が、在るべき風景になり、在り得ざる風景へと変化した形。ひまわりの國の、宗教儀礼の中心地として使われている空間でもあった。
九条が決められた手順で操作すると、一面のひまわり畑の中に障子戸が浮かび上がる。
「フギン、ムニン。行くぞ」
《了解ぃ!》
《任しとけ、ノイン》
鴉が二羽、ファイアウォールを突破した。黒い羽根が何枚か飛び散る。直ぐ様、ソフトが走って痕跡を消した。硬い壁に打ち込まれる釘。最深部がモニタされる。ひまわりの國の、サンクチュアリが。
最後に認証を求められる。
《ノイン、開けるよ。許子さんが持ってきたパスワードを入れるからね。準備はいい?》
九条が首肯した。
ひとりでにキーボードが反応し、三八桁の英数字がカタカタと入力されていく。まさかこの期に及んでタイピングに頼るとは。
入力が完了し、モニタは寄合所を映した。九条が通されたリアルの其処でなく、舞台は祭壇として飾り立てられ、何事かを隠すのか御簾が引かれている。照明は無く、蝋燭の火を模したホログラフィーが光源となり、全体として祭儀場の雰囲気をまとっている。
厳粛な空気を醸す式場を、透明な鴉の視点から鳥瞰する。寄合所いっぱいに詰まった老人たち。みな、手に手に数珠や木彫りのお守りを持って、泣き腫らしたような顔で壇上を見つめる。彼らこそ、この村の住民であり、フォーラムの接続者。そして、この村に隠された秘密宗教の信者たち。
《誰か来る、ノイン!》
一段上がった祭壇の、御簾一枚隔てた奥部屋。腰をかがめて、そろそろと出てきたのは、見覚えのある顔だった。鴉に検索を頼まずともわかる。九条を村から追い出した、葬列の先頭にいたあの修行者だ。
《ボクを落としたやつじゃないか。嫌だなあ、また会っちゃったよ》とフギン。
「会いに来たんじゃないか。ちょうどいい。
《危ない橋を渡るんだな》
「信頼してるんだよ、合図を待ってろ」
九条の見守る中、集まった老人達が修行者に向かい「導師」と呼び立てる。
修行者――村人の言う所の導師――は勿体振って胡座を組み、胸の前で指を組み合わせて印契を作り、二度縦に振る。
――トーホーカミーヱミータメー。
深く息を吐くようにして、そのような言葉を吐く。それと共に、場の空気が張り詰めたものへと変わり、信者たちの間に重い沈黙が降りかかる。
――アハリヤ、アソバストマウサヌ、アサクラニ、ホシミノ大神、オリマシマセ。
――ベールマ、ヴラ、キルタ、ヴェーヤメリーフ、マールクター。ナーモ、アーミダー。
鬼気迫る様子に気圧されそうになる九条。老人たちは沸き立ち、修行者の声に合わせ「ナンマンダ、ナンマンダ」と繰り返している。何が始まろうというのか。いや、その前に。フギン、と声をかける。検索結果がモニタの右端に表示され、それを軽く要約したものをムニンが読み上げる。
《最初のが
「掛けているんだろう、じゃないぜ。僕は専門家か? 理解るか」
AIにキレても始まらない。かいつまんで解説してくれるほど、育ててはいなかった。
《だからね、色んな所の宗教から引っ張ってきてるってことだよ。とっても胡散臭い感じ!》
フギンが補足をしてくれるが、だからといって理解できる訳ではない。これはまた荒井の出番かもしれない。
やがて修行者が唱え終えると、ひとりの老婆が祭壇の前に恭しく進み出た。明日この世が終わってしまうかのような、苦悶の表情を浮かべている。老婆は修行者の前に
「打ち明けるがよい、ホシミ様は、見守っておられる」
修行者は手許に杖を引き寄せ、それを老婆の肩に置く。触れられた方の老婆は、救いの手が差し伸べられたとでもいうような、不安と希望を抱いた表情で悩みを告げる。
「導師様、ホシミ様、お聞きください。息子が、一人息子がまた悪い女に捕まりよったみたいなんです。もうええ歳なのに、ふらふらと遊び歩いとって、どもならずな子やけど、心配で心配で。わたしはこの歳じゃ、足も悪うなってしもうて、ろくに街までも出てけん。どないしたらええでしょうか」
一気にまくし立てた老婆は、修行者に縋りつつ御簾のほうを凝視する。何だ。あの向こうに、何があるというのか。
数秒の間。みなが固唾を飲んで御簾を睨んでいる。老人達は勿論、九条や鴉までも。
ふと、言葉が降りてきた。耳朶の奥からちりちりと刺すように、機械補正された不気味な女の声が。
――これは、立体音響?
「貴女は息子の事を愛していますか?」
「はい、私は息子を愛しております」
「でしたら、息子も貴女を愛しています。信じなさい。では御詞を授けましょう」
発せられた声に対し、老人達は「おお」とどよめく。
ワタシノコエハ、トドカナクテ、マダ、ナニモシラヌ、オサナゴノヤウニ。
カツテハシッタアイノカタチモ、モロクコワレキエテシマウサダメ。
アナタノアイヲ、ダキシメテイキテイコウ、イキテイコウ。
シンジテ、アイダケハシンジテイタ、シンジテイタイ。
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