第6話 膝下5cm、黒縁眼鏡の秘密③


 本当にやめてよね、って思う。沙羅の気まぐれで生死が決まるなんて理不尽すぎる。桜井さんに一体何を言いに行ったのか。見に行きたいのに見に行くことも出来ず、私は昼休み中そわそわしていた。


「一発お見舞いしてきた」


 帰ってきた沙羅は誇らしげに豪語した。私の学校生活、終わった。いや、最初から始まってもいないのかもしれないけれど、終わった。何が「あたしったら、こわーい」だよ。呑気に振る舞う親友の横で、頭を抱えた。



 しかし心配とは裏腹に桜井さんは私に何も言ってこなかった。どんな嫌がらせをされるのだろうと身構えていただけに、なんだか拍子抜けしたような気分になる。――これが、沙羅の力?


「桜井さんに一発かましたって、何してきたの」

「別に~、私の本心を言っただけだけど?」


 沙羅は適当なことを言って誤魔化すし、桜井さん本人にそんなこと面と向かって訊けるわけがない。ただ、平和でグレーな日常をありがたく受け止めるしかないようだ。



 うちに帰ると、母親が郵送されてきた模試の結果を渡してきた。


「油断しないように」


 一言だけ残して、点数やら偏差値やら五教科のバランスを示す紙を渡してくる。母の口調から、大体の出来は想像が出来る。まあ、良かったのだろう。


 このままいけば第一志望の大学には合格する。塾でも学校でも、いつもそう言われている。国立の法学部。親からは医学部に行けと言われていたけれど、理系の実習に体力的についていけると思えず、無理を言って文系に進ませてもらっている。だから絶対に浪人するわけにはいかないし、ちゃんと良いところに就職しなきゃいけない、と思っている。わかっている、私は恵まれている。教育にこんなにお金をかけてもらって、文句を言える立場ではないと分かっている。


 だけど、休日に友だちと遊びに行く約束をしている子や、おしゃれな世界に手を伸ばしてキラキラしている沙羅を見ていると、なんだか居たたまれない気持ちになってしまうのは、贅沢なことなのだろうか。やることはちゃんとやっているのに、少しくらいの娯楽に手を伸ばすのはそんなにいけないことなのだろうか。




 今日も今日とて、沙羅は私に絡んでくる。


「沙羅は私以外に友だち居ないんですかあ」


 一度、そう言ってみたことがある。そんなわけないと思ったから、冗談で済むと思ったのだ。――しかし沙羅は、ちょっとだけ困ったような顔をした。


「友だちって言葉の基準にもよるけど?」


 沙羅にとって「友だち」という言葉がどれほどの意味を持つのかは知らない。ただ、彼女が満足する「友だち」の基準を満たすのは、どうやら私だけみたいだ。



 本当に?



 睫毛の長い、大きな目。実は極細アイラインを仕込んでいるんだけど、うちの学校には老眼のおばさん教師しかいないから、バレない。ゆるくヘアアイロンで巻いた髪の毛はツヤツヤ。綺麗な肌をした彼女だけれど、すっごくナチュラルにフェイスパウダーをはたいている。リップグロスで少し光る唇は綺麗な桜色で、なんだか少女漫画のヒロインを彷彿とさせる。


 高めの声でちょっと語尾を伸ばして喋る。表情が大袈裟にコロコロと変わる。誰彼構わずすぐに抱きつくし、そんな彼女からはいつもなんだかいい匂いがする。


 女しかいない女子校で、それだけ可愛らしくいる必要が有るのだろうか、と時々疑問に思う。――しかし、これだけは言える。


 見ていて飽きない。




 すごくどうでもいい話だが、その日私は学校の近所のドラッグストアで450円の透明グロスを買った。沙羅が愛用しているやつの、色違い。流石に発色の良いものを買う勇気はなかったが、それでも満足だった。そういうことに厳しい母に見つかってはいけない。高校の友だちにも見つかってはいけない、きっと似合わないものを持っていると笑われるだろう。沙羅だけになら――いや、やめておこう。


 これは、私だけの秘密なのだ。今日も明日も、私はダサい制服と黒縁眼鏡をかけて学校へと通う。――時々、透明のグロスを薄くつけているかもしれない。それは唯一の友だちへの憧れと、秘密の気持ち。



                    『膝下5cm、黒縁眼鏡の秘密』――――fin.

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