ハロウィンの妖怪大作戦

夢月七海

第一話 事の始まり 


 東京のとある飲み屋街の一角に、「居酒屋 面面」という名前の店があった。


 一見すると、瓦屋根に藍色の暖簾をかけて引き戸のついた、よくある少し古いタイプの居酒屋だった。ただ、普通の店と全く違うのは、そこの店長と店員、客は皆、妖怪であるという点であった。


 そして十月二十九日の夜も、暇を持て余した妖怪たちが店に集まっていた。

 しかし、土曜日や、すっかり日本になじんだハロウィンの騒ぎもどこ吹く風で、店内はいつもよりも静かであった。


「やっぱりさあ、西洋の怪物をちやほやする日があるんだったら、日本の妖怪も贔屓する日がないと、釣り合わないよねー」


 カウンター内でそう愚痴を零しているのは、藍色の甚兵衛を着た店長ののっぺらぼうである。つるつるとした顔の表面のどこから声を発しているのかは不明だが、誰もその事を気にしていない。ちなみに、人間に化けた時は「平井」と名乗っている。


「店長って、毎年この季節になると、同じことを言ってるわね。でも、私も時々思うわ」


 カウンターの椅子腰かけて、顔を少し赤くしながらそう言う女性は、顔半分を真っ白なマスクで覆っていた。彼女は普段正体を隠して、「高口麗美」という名で、三件茶屋のデパートで働いている。

 今日はその帰りに店へ寄ったのだが、腰まで伸びた黒髪と白いコートは、東京の街でも非常に目立つ。

 今はカルアミルクを、マスクを外さずにストローで飲んでいた。


「けどさ、もしも妖怪の日を作るとしたら、一体いつにするんだい? おいらは、菅原道真が死んだ、三月二十六日がいいと思うんだけど」


 カウンターの上からそう話し掛けてきたのは、普通の烏よりも二回りほど大きく、足が三本生えた八咫烏である。

 彼の先祖は神の使いだったが、彼自身はフランクな性格で、妖怪とわいわいすることが大好きであった。目の前に置かれた、半分に切られたオレンジも、とてもおいしそうに食べている。


「いや、妖怪の日が出来て、ハロウィン並みに盛り上がったら、逆に俺たちはやりにくくなっちゃうんじゃないのか? あちこちで自分と似たような格好の人を見るとか、なんか恥ずかしいし」


 カウンターの中、店長の隣に立っていた店員の天久飛丸あまひさとびまるが、苦い顔をして助言する。

 彼は山に囲まれたある地方から上京して、この居酒屋でアルバイトをしながら大学に通っている。短い黒髪に、涼しげな流し目を持っているが、目立つことは苦手なようである。


 その事を、早速店長と麗美に突っ込まれている。


「天久くん、君もまだ思春期丸出しだねえ」

「その若さ、羨ましいわあ」

「別に、そういう訳じゃあ……」


 気恥ずかしくなった飛丸が、顔を赤くして、手ぬぐいを巻いた頭を掻いていた。

 客と店員が二人ずつという居酒屋だったが、いつもと変わらない雑談に花を咲かせていると、がらがらと戸が開かれる音がした。


「いらっしゃ……ん?」


 すぐさま出入り口に目のない顔を向けた店長だったが、目線の先には誰もいない。

 しかし実際はなんてことはない、店長の目線よりも下に、幼いお客がいただけだった。


 見た目は小学校に入るか入らないかぐらいの女の子は、おっかなびっくり店の中に入ってくる。

 しかし、ただの子供が間違えてきてしまったわけではなく、今時珍しい白地にピンクの花の浴衣や、染めた訳ではなさそうな鮮やかな金色の髪の毛、そして何より弱々しいながらも妖力を持っていることが、彼女の正体を物語っていた。


 この居酒屋では初めて見る顔だったが、一先ずこの子の警戒を解こうと、一番近くにいた麗美が、彼女の目の前に駆け寄ると、屈んでにっこりと微笑みかけた。


「どうしたの? 誰か探しているの?」

「は、はい。友達の、雨降らしの女の子を探しているのですが……」


 女の子はまだ怖がっているのか、うつむいたまま小さな声で答える。


「ごめんな、ここには来ていないんだ」


 麗美が後ろを振り返ると、店長が申し訳なさそうに返した。


「そう、ですか……。ありがとう、ございます」


 体を強張らした女の子は、消え入りそうな声で礼を言ったが、堰を切ったように泣き出してしまった。


「だ、大丈夫?」

「こっち座って、ジュースでも飲むか?」


 それを見て、慌てだす麗美と店長。麗美は自分のいた席の隣に女の子を座らせて、店長の言葉に従ってオレンジジュースを用意した飛丸が、彼女の前にそれを差し出した。八咫烏も、心配そうに女の子の顔を覗き込んでいる。

 ストローでオレンジジュースをすすった女の子は、幾分か落ち着きを取り戻して、手で涙を拭うと、事情を話し始めた。


「ありがとうございます。わたしは、こんと言います。友達の雨降らしは、しずくと言います。滴は、一週間前から、行方知れずなんです」

「その滴って子は、最後にどこに行ったか知っているのかい?」


 八咫烏の質問に、こんは小さく頷く。


「はい。滴は、戸ノ内デパートに傘を見に行くと言って、それっきりなんです」

「戸ノ内デパート……うちのライバルじゃないの」


 麗美が、困ったような顔で小さく呟いた。


「滴ちゃんの家族も、居場所は知らないの?」


 不安そうな声色で店長が尋ねると、こんは次は悲しそうに首を横に振った。


「滴にはお兄さんが一人いるのですが、どこにいるのか分からないと……。お兄さんは、いつか滴が帰ってくるかもしれないと、家で待っているのですが、まだ何も連絡がないのです」

「それは心配だ」


 八咫烏の言葉に、飛丸も頷く。


「じゃあ、滴ちゃんが戸ノ内デパートに行ったことは、確かなのね?」

「は、はい」


 麗美はこんの返事を聞くと、顎に手を当てて考え込んだ。


「ちょっと面倒なことになったわね……」

「心当たりがあるのか?」


 今まで腕を組んで皆の話を聞いていた飛丸が、口を開いた。


「戸ノ内デパートから、三キロくらい離れた場所にね、デパートの本社が立っているんだけど、最近そこの近くを通ったらね、本社ビル全体に対妖怪用の結界が張られていたのよ」


 麗美の一言に、全員が目を見開いた。神社や寺、古い武家屋敷などを除いて、妖怪用結界が張られている場所を見かけることは、昨今殆ど無い。

 それが、近代的なビルで、さらに最近から急に結界が現れたのは、普通ならばあり得ないことだった。


「対妖怪の結界があるのは、妖怪からビルを守りたいのか、」

「逆に、妖怪を外に出さないためってこともありえるよな」


 店長の意見を引き継いで、飛丸も続ける。

 すると、こんは見る見る青ざめてしまった。


「心配しないで、滴ちゃんがビルの中にいるのなら、まだ生きてるってことだから、ね?」

「でも、結界のせいで、中には入れないのですよね?」


 麗美が必死に慰めようとするが、こんはますます小さくなってしまう。

 しかし、店長は明るい声で話しかけてきた。


「大丈夫。そんなに大きな結界だったら、どこかに必ず穴があるはずだ。八咫くん、ちょっとひとっ飛びして、見てきてくれないか?」

「任しときな!」


 八咫烏は威勢よく返事をすると、くるりと身を翻して、開いた窓から夜の町へと飛び出していった。

 彼らの連携を見て、こんは再び涙ぐんでいた。


「皆さん、ありがとうございます。見ず知らずの滴の為にここまでしてくれるなんて……」

「そんな気にしなくてもいいって! 同じ妖怪仲間の危機を、ほっとくわけないだろ?」

「そうそう。私も、元々あのビルの事は気になっていたんだから、いい機会よ。ね、飛丸くん」

「へっ? ああ、そうだな」


 いきなり話を振られて、飛丸は慌てて頷いた。

 それからしばらく、店長と麗美はこんの気を紛らわせようと、日常の何気ない話を続けていると、八咫烏が出て行った窓から元のカウンターに戻ってきた。


「ちょっくら見てきたぜ。確かに、麗美姉さんの言う通り、怪しい結界が張られたビルが、戸ノ内デパートの近くにあった。だが、あちこちよく見て飛び回ったら、三階の東の窓が、一つだけ結界が無かったんだ。そこは窓も開いていたし、侵入することが出来るんじゃないのかな?」


 飛び続けた疲れからか、漆黒の羽を大きく伸ばして、八咫烏がビルの状況を報告する。

 それを聞いた店長は、大きく頷いて、皆を見回した。


「どうやら、その結界は、窓に札を張って発動するタイプのようだ。開いてる窓から、中に侵入して、札を壊すことが出来たなら、俺たちも入ることが出来そうだな。八咫くん、悪いけど、もう一度そのビルに行って、」

「待ってください!」


 八咫烏の方に顔を向けていた店長の言葉を、こんが店に来て初めて出した大声で遮った。


「ビルへの侵入は、私がやります。あの中に、本当に滴がいるかどうかも、きちんと確かめない限りは、皆さんを危険な目に遭わすわけには行きません」

「けど、こんの妖力だけじゃあ……」


 初めて、真っ直ぐに店長を見据えながら、こんは強い決意を口にする。

 しかしそれだけでは不安が残ると、店長が窘めるが、


「見ててください」


 こんは椅子からぴょんと降りると、皆が見守る中で、息を大きく吸うとその場でとんぼ返りをした。

 すると、こんの姿は煙に包まれて、それが晴れると、一羽の鳩の姿になった彼女が、カウンターの後ろのテーブルに降り立っていた。


 麗美はそれを見て、にこにこ笑いながら、割れんばかりの拍手を送る。


「こんちゃん、すごいわ!」

「ほほう、これは中々」

「結構やりますなあ」


 店長と八咫烏も、驚きと関心の声を上げる。飛丸はただただ目を丸くして、その場に立っているだけだった。

 彼らの反応を受けて、こんは初めて鳩の胸を大きく張った。


「私、化け狐として、変身にはちょっと自信があるんです」


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