第90話 幼き日の理想

 ――ニルヴァ市国に来て、練気の修行を始めてから6週間あまりが過ぎた。





 グロウの『ここでしか修行出来ないならば、もっと強くなってから幻霧大陸へ』という決意。






 決して問題を先送りするわけではないのだが、ひとまずグロウがすぐに一行から離脱すると決まったわけではないことで、正直なところ、一行は安堵した。







 特にグロウに対する思い入れの深いエリーは言わずもがな、口では本人の人生を尊重すると言ったガイですらも本心は少し安心した。






 だが、今やモノにするまで修行に打ち込むと決めた手前、そんな感慨に浸っている場合ではない。






 ヴィクターからの強い助言で、ニルヴァ市国の図書館に来て、あてもなく手当たり次第に本を読み漁っているのだった。







「――ふーむ……座学とは違うたあ言え……この歳で図書館に通い詰めて知見を深めるなんて思ってなかったぜ……エリーほど苦手じゃあねえが、学生気分なんざガキの頃にエリーたちを守る為に気張ってた孤児院以来だぜ。」






「……そうか? 私は…………正直、ひたすら稽古に打ち込んでいたいのが本音ではあるが……こうして書を嗜むのも悪くは無いと思うがな。いくつになっても。」






「そりゃあ結構だぜ。さすが武門の子とはいえ、道場の姫様だった奴ぁ言うことが違うねえ~……」






「……もう過ぎ去ってしまった話だ。確かに幼い頃は学業も苦手だったが、ミラや爺やたちからの薦めで読書は習慣付いた方だと思う。身体を動かす稽古ほどじゃあないが、これもまた楽しい。それより――――」






「――お勉強、というよりは俺たちの知見を深めて……要は習得したい能力を思い描くだけの想像力を養えっつー話だったよな。もうかれこれ1週間ぐらいここで読み耽ってるが…………正直、まるで想像力とやらが豊かになる気がしねえ。俺の感性の問題なのかねえ、こりゃ。」






 ――取り敢えず目に留まった物から読み進めてはいるが、いまいち要領を得ないガイ。書を読むのは好きと答えたセリーナもまた、求める能力を思い描くにはどうしたらよいか、見当がつかないようだった。







「――――まだ思い当たらんか。ガイにセリーナよ。」






「――うおっ!?」

「びっくりした……」






 ――突然背後からヴィクターに話しかけられ、思わずびくついて驚いてしまう2人。どうもガイやセリーナは、教育者然とした人もそうだが、強面で圧がある先生タイプの人に声を掛けられると子供心が一瞬蘇るのか委縮してしまうようだ。






「図書館で大声を出すんじゃあない。ここには難関大学に挑む書生や研究に励む学者も多いんだぞ。」






「……あんたがいきなりゴッツい声で凄むからだろうが……ああ、心臓に悪ぃ。」





「……わざわざここに来て声を掛けて来たということは、ヴィクター……何か読む本の指針を教えてくれるのか?」






 セリーナの問いに、ヴィクターは低い声で唸った。







「――1週間ほど前に、会得したい練気の技をあれだけ言葉に出来ただけでもなかなかに上出来とは思う。だが、より確実に会得するにはやはり本を読みこんで、欲の形を鮮明にすることが近道と思うぞ。」






 ヴィクターは、悩んでいるガイたちに向け、平生の凄味の効いた態度を和らげ、少し朗らかなトーンで話す。







「――自分の望む強さ。それも戦闘に関わることと言うものは、案外そこまで哲学的なことよりは、もっと子供の頃の純粋でシンプルな欲求に立ち返ることの方が見つけやすいこともある――――どうだ、2人とも。お前たちにも子供時代に憧れた強さを持った存在…………そんな理想像があったのではないか? 本当に子供時代の幼稚な憧れでもいいのだ。」






「子供時代の……」


「理想像か……」





 2人はしばし、幼き日々に憧れていたものを思い返してみた。






(――俺はガキの頃は……力は強いのにいじめられっ子だったエリーとかつてのグロウを守る為に剣を…………)


(――私は……ただ地上で戦うだけでなく……空を飛んで、もっと風を顔に受けながら自在に戦う戦士に…………)





 ――ガイが先に思い当たったようだ。




「――そうだ……俺は……か弱い者を奇跡の御業と剣技で守り抜く、聖騎士に憧れたんだった。だから、剣技も回復法術ヒーリングも――――」






「――それだ、ガイ。聖騎士とはずばり、どんな御業を以て戦う者だ? どんな剣技や回復法術を使う者なのだ?」







「――そうか。そうだったぜ……! ありゃあ、確か――――」






 かつての自分の理想像、聖騎士の威容を思い出し、ガイは急いで立ち上がり、聖騎士にまつわる書棚に向かった。






「――私は…………思い出した。書物と言うか絵本だが、蒼天を自在に駆ける竜。その竜に跨り、操って戦う竜騎士に憧れたんだった。だから少しでも空を飛べる空中走行盤エアリフボードを手に入れて――――」






「セリーナ、お前も『騎士』か。なるほど、2人とも根は真面目だからな。高潔で精悍な騎士に憧れていたわけか。お前たちらしいと思うぞ。」






「……だが……竜騎士なんて、どんな書物を当たればいいのか…………そんな存在したかもわからん、絵空事みたいな――――」







「たった今言うたではないか。『絵本』で読んだ、と。対象が幼児向けだろうが、ファンタジー色の強い幻想冒険譚だろうが、イメージの補強になりそうなものならば何でもかまわん。探してみろ。」







 ――能力の形に悩んでいたセリーナ。ようやくきっかけが見つかりそうだ。目が覚めたような晴れやかな顔をして、彼女も立ち上がった。






「――そうか。まさかそんな単純なことで良かっただなんて…………!」






 セリーナもまた、竜騎士というフィクションの世界の存在をも練気チャクラならばそれらしい能力の手本になると気付き、その手の書棚へと向かった。






(――――ふふふふふ…………そうだ、ガイ。セリーナ。お前たちは目標さえ定まれば、エリーやグロウには及ばないとはいえ、確実に比類なき使い手となれる! どんなことでもいい。成長の糧とするんだぞ――――)






 ヴィクターは一人頷き。微笑みながら図書館を後にした――――

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