第85話 苦悩以上に大切な真理

「――むう……ん……自分を、戒めることか…………?」

「――どんなことにも動じない、他者も自分も冷静に見る精神性、とか?」






 ガイとセリーナなりに考え、言葉にしてみる。また盲者の僧は軽く一口茶を飲む。






「――――素晴らしい。お二人とも既にそこまで達しておられるなら、あまり愚僧のような若い日々を台無しにした者の言葉など、釈迦に説法ですかな――――」






 2人の認識の深さに半ば感嘆、といった風情の僧は謙遜して言うが、ガイは首を横に振ってなおも教えを求める。






「――いいや。そんなことはねエはずだ。俺たちはいつだって危ねえ橋を渡って来た。剃刀の刃一枚の上を紙一重で渡るような、な。それでも、先人の教えが得られるなら何だって欲しいぜ。」


「――私たちは幸福を求めて戦うが、いつ奈落の底へ落ちたっておかしくない人生を歩んでいる。歩まざるを得ないんだ……お坊様。どうかもう一声助言頂けないだろうか。」





 ――2人の眼差しは、まさしくこの国にいる者たちの多くの目に灯る、求道者の光だった。





「――ガイ……セリーナ。」





 ――熱を持って盲者の僧に食い入るように話し込むガイとセリーナの姿と声が、たまたま食事を摂りに来たグロウの目と耳に入った。





 グロウもまた、途中からだが邪魔をしまいと意識して隠れながら、聞き耳を立てる。






「――はは。軽い気持ちでお声を掛けたつもりでしたが、そこまで期待を込めた声で返されるとこちらも尻込みしてしまいますなあ。私は本当に多少貴方方より長く生きているだけ。何ら悟りを得てはいないし……憎悪や悔恨のような穢れにまみれた凡愚なのですよ。愚僧はまごうことなき愚僧のまま――――」






 それでも、僧はひと息溜め息をついてから、背筋を正して2人に応えてくれた。






「――愚僧が敢えてヒントを与えられるとすれば……それはバランス。過不足なく己の肉体と精神……特に精神ですな。精神を制御し、時には開放する。まあ……何があっても焦らない心のゆとり、ですかな……お二人がおっしゃったことと何ら変わらないどころか、もっとレベルも難度も低いことですよ。」






「――それでも、迷ったら…………? 己の精神を制御出来なければ――――?」






 セリーナが続けて問う。






 ――――僧は、にこやかに微笑んだ。







「――どうしても気になれば、いっそのこと思いっきり気になされませ。ご自分の内面を、穴が開くほど。ただし、修行や戦いの最中には不可能です。日常からヒントを得るがよろしかろうと思いませ。そして……鍛錬している時や戦いの最中はただただ無心に。一切の余計な念を振り切って集中してやること。その度に、課題や何を正すべきか徐々に心に浮かんでくるはず。基本は、ただ臆するより行動あるのみ。1:9ぐらいで良いのではないでしょうか。9割何らかの試しをして、1割でどうすべきか考える。自分の力。自分の強さ。どうすれば希望へと至れるのか。どう制御すれば大切なものを守れるのか。人生と同じで、問答と鍛錬の繰り返しだと思いますよ――――」






「――結局は、行動あるのみってか。やっぱそうなっかなあ……」




「――自分の強さなのに、結局何を意識すれば良いのか……」







 ――未だに確たる答えを得ない2人は軽く嘆息するが、僧は優しく微笑んだまま言う。







「案じめされるな。貴方方には力が違えど、志や行く先を同じくする仲間がいるではないですか。どうしても自分で求める道が理解出来ない時は単純な事です――――仲間や周囲に訊き、助けてもらうのです。自分がどうすべきか。」






「えっ」

「何……?」






 ――自分の強さは自分一人のみで探求するものだと思っていた2人。意外な言葉に揺れる。






「お若いの。貴方方は恐らく人一倍我慢強いのでしょう。己の怒りや悲しみ、苦しみを押し殺すに殺して、生真面目に生きて来たのでしょう。ですが、人間はどんなに鍛錬しても独りだけではきわめて弱き生き物です。ならばいっそ他者を頼りなされ。自分の道が見えない時には、敢えて他者に手を貸したり、耳を傾けたりすることで見えて来るものもあるのではないでしょうか?」







「――ふむ……」

「――むう……」






 2人は唸るが、少し得心がいったようだ。先ほどまでの焦りと迷いに満ちていた目の光が、ひと際澄んでいった。







「――そして……如何に愚僧が凡愚の類いだとしても、これだけはハッキリと確信を持って言えることがひとつ、ございます。それは――――」





「それは……!?」

「何なんだ!?」






 盲者の僧はさらに一口茶を啜ってから、声のトーンも緩めてこう言った。







「――――疲れた時は存分に休みなされ。腹が減った時は存分に飯を食いなされ。退屈した時は存分に遊びなされ。ほら。もうお二方のテーブルには飯が来ておるのではないですか?」






「「あっ」」







 ――僧の話に夢中だった2人。僧の言う通り、向き直るととっくに飯は運ばれてきていた。思い出したように腹の虫が、またきゅぅ、と鳴る。







「――そ、そうだよな! まずは食わねえと始まらねエ。」




「――頭も働かんしな……悩むのも後回しにしよう。」







 ――人間として、もっと言えば生き物として当たり前の真実。疲れれば寝ること。腹が減れば食うこと。心が倦めば遊ぶこと。そんな根源的なことを、修行と向上心に『目が眩んでいた』2人は気付かされ、まずはワシワシと大量の馳走を平らげることにした。








「――――おお、少年! お前も来たかね。ささ、飯を食っていけ。タイラーさんの奢りだからな! 食べ盛りなんだし、今日も目いっぱい食ってけよ!!」






 ――調理場から顔を出した店の大将が、グロウに気付き、威勢のいい声を掛けて招き入れる。






「――あっ……はい! 御馳走になります。」







 グロウは駆け足で、空いている席へと進んでいく。






 食事に夢中で気付かない、エリー、ガイ、セリーナを見遣って、誰ともなしに呟く。






「――――自分の力。迷った時や悩んだ時は助けてもらう…………時には他者の為に……やると決めた時は無心に、かあ…………」






 ――グロウもグロウなりに、己の出自や秘めた力に惑う自分の苦悩をどう対処すればよいのか、密かに参考とした。

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