第79話 メラン=マリギナの場合
「――メラン=マリギナ。こいつだけは……なんか他3人と雰囲気違う気もするよなあ…………色気あるし、攻めた改造軍服ばっか着て来るしよお……肩出し胸出し脚出しミニスカのさあ。扇情的な女だよなあ……」
「だから、やーめーとーけーっての。全くお前は…………被験体とは言え遙かに
「いぎっ…………それもそうだ。気ぃ付けるわ…………」
「それ以前にれっきとした軍属だしな。例えこいつが許したとしても上層部……そうだな。この4人を軍へ引き入れたリオンハルト准将閣下に厳罰を下されるだろうな。玉のような女だが、触らぬ神に祟りなし、と。」
「……でも、他の3人と何か雰囲気違うってのは認める。殺人狂、戦闘狂であることは間違いないが…………生まれも育ちも結構違ってた気がするな。ええと確かレポートには――――」
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――――メラン=マリギナ。そう名乗る前は本名をタチアナ=ツルスカヤと言った。
当時のガラテアの隣国・メリジンという国の裕福な家庭に生まれ、両親は大病院の医者であり、社交界とも通じているほど地位の高い名家の令嬢であった。
生まれながらの美貌に加え、裕福な医者の令嬢として厳しく英才教育を施されて育っていた。
バルザック=クレイドのように家族から冷遇されたわけでもなく、むしろ箱入り娘のように手厚く、手塩をかけて育てられていた。
慎ましく、上品に。知的に、優雅に。
そう振る舞うことを義務付けられ、かつてのタチアナはその生に窮屈さ、息苦しさを感じていた。
本当はもっと奔放に、開放的に……草原に放たれた野鳥のように強かに、真に美しく、趣味を大事に…………そんな人生に内心憧れを抱いていた。
しかし、すぐ隣国にガラテア帝国。いつ攻め入って来るかもわからない不安な戦況下で、そんなに『贅沢』で、高貴な家柄からすればはしたない生を期待することは、幼少の頃より家中の者から厳しく躾けられていた。
やがてタチアナ=ツルスカヤは憧れを抱きつつも諦観し、「まあ、それでもこの不安定な世界で生きられるなら充分か」と我を主張することをやめ、淑女らしく生きることを良しとしていた。
――――だが、良くも悪くも運命は流転であった。
ガラテアとしのぎを削り合っていたほどのメリジンは強国であったが、長年のガラテア軍の侵攻を受け、ついに陥落してしまった。
メリジンの政府は解体され、一般市民が大きく割りを食う末路を辿ったのは言うまでもないが、資産家であるタチアナの家も例外ではなかった。
財産は全て没収され、一家は離散。頼みにしていた両親も、殺されたり人体実験されたりはしなかったものの、知識と技術ある人材としてガラテア軍の研究機関に徴収された。
政財界にも通じていたとは言え、富と医術で市民を救うことを生業としていた両親が…………ガラテアのように死と恐怖と戦を撒き散らす者に理不尽で不本意極まりない事業に協力させられた、その苦悩と苦痛は計り知れない。
離散したまま、結局タチアナ=ツルスカヤは両親はもちろん、家中の者と誰一人再会出来ていないまま今に至る。
そして、タチアナは何とか戦火を逃れながらも、ガラテアへと下った。
下った先で待っていたのは――――言うが早いか、練気を使う改造兵の研究を押し進めるリオンハルト=ヴァン=ゴエティアとの謁見だった。
だが、是も非も無い情況であったライネス=ドラグノンと目亘改子、そしてただ絶望して自棄になったバルザック=クレイドとは違い、当初のリオンハルトからの誘いはもっと柔らかいものであった。
「――――君は、敗北した旧メリジン領内の医者の名家の令嬢だったな。君には知恵も教養もあるだろう…………如何かね? 我がガラテア帝国の国立大学へ進学した後、ガラテアの産業や工業……それこそ医学などで貢献出来る道を探してみては? 学費と学籍を入れる権利は私が保証しよう。どうかね?」
――そう。後の練気使いの改造兵特殊部隊4人に加わる前、タチアナ=ツルスカヤだけは比較的平穏な人生を歩むチャンスがあったのだ。
それは、恐らくリオンハルトの温情というだけでなく、離散したとは言え政財界にも名が知れた名家の令嬢。政治的、軍略的に見て何らかの
『一手』として生きることがどういうことか、聡明な当時のタチアナは理解していた。
『力』を崇拝するガラテアのこと。ガラテアにとってきわめて都合の良いように、籠の鳥。或いは弄ばれる人形細工。そんな扱いを、さも自分から甘んじて受け入れているようなこれまで以上に『利口な令嬢』を演じ続ける人生。
国立大学とやらの在学中どころか、下手をすれば一生――――この時、タチアナの本心は、怖気がした。
自分は本当は草原を飛び、遊びまわる野鳥でありたかったのに、籠の中の鳥や人形細工で終わる。青春時代も、女盛りも、お祖母ちゃんになってからも――――
――――その瞬間。タチアナ=ツルスカヤの魂は悲鳴を上げ…………代わりにずっと押し殺していたはずの願望が歪んだ形で顔を出した。
「――――いいえ。リオンハルト准将閣下。私は学校へは行きません。それよりも……貴方様が研究なさっている改造兵の被験体に志願致します――――」
――――名家の令嬢として窮屈に押し込められていた自我。最悪のタイミング。最悪のきっかけでタガが外れてしまった瞬間だった。
それも、半ばタチアナの本性でもあった。
医者の一家で生まれたがゆえか、他人の肉体や精神を切った、貼ったと刻み潰す愉悦や好奇心を密かに持っていた彼女は、とうとう家も失い、もっと人間的な道があったかもしれないにも関わらず…………度の過ぎた好事家や猟奇的な趣味人としての狂気が最後の一押しとなり、ガラテアには『一手』としてではなく、戦闘戦斗の改造兵として生きる道を選んでしまった――――
「――それは……過酷な道だぞ、タチアナ=ツルスカヤ嬢。生き場を失ったみなしごや、人生に絶望し切った人間ならまだしも、前途と可能性あるうら若き淑女が行くような道ではない。考え直し給え。」
「――いいえ。わたくし……ようやく、自分の道に目覚めましたの。自分の意志で…………自分の為に生きる道を…………希望を失ったのではございませんわ。むしろ、眩しいばかりに希望の光が、わたくしの頭上から降り注いでおりますの――――他者を刻み付け、美に醜を。醜に美を。かぐわしく甘美な、それを闘争の歓喜の中で見出し続ける人生を――――。」
――その時のタチアナ=ツルスカヤは、本来の希望や人間らしく生きる道を捨てたばかりか、突如羽化した己の中の狂気に酔いしれ、陶酔していた。その陶酔をそのままに、地獄のような闘争の中でただそのままに抱いて死んでいける。そんな社会の純粋なるアウトサイダーとしての生を受けた瞬間になってしまったのだ。
「――――その目。どうやら、もはやかつての可憐な『令嬢』ではないようだな。だが…………それも我がガラテアの業と罪がゆえか――――憐れな。」
同時に、リオンハルトもまた、目の前の陶酔する淑女を憐れみ、自らと、自らの猛火の如き罪悪に苦しみつつも、改造兵の人柱として扱うと決めた――――
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――そうして、かつてのタチアナ=ツルスカヤ――――今のメラン=マリギナは、他の改造兵3人同様練気使いの戦闘狂と化したが、どこかでかつての令嬢の如く上品さと余裕、4人の中でも際立った知性と教養、猟奇的な好事家としての一面も併せ持つ、美しくも禍々しい、耽美な戦士として生まれ直すことへと至った。
メリジンの箱入りの令嬢として禁じられていた時の戒は全て破った。
人間を切り刻み、オトコもオンナもふしだらに乱淫し、狂気的な彼女なりの趣味とファッションに身を包み、好き勝手に買い物をし、他人の心も身体も無惨に破壊する。
やっていることは十二分に人道的に大きく外れたことばかりなのだが…………ある意味、己を開放してひたすら物事を愉しみ、箱入りの令嬢、籠の中の鳥から脱出し切った彼女の人生は、皮肉と言う他なかった――――
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「――――そうだったそうだった。この女は元々メリジンのお嬢だったんだった。」
「だからか……他の3人とどうにも毛色が違うのは。お嬢様だった頃の知性や品性みたいなものが少し残ってるんだ。」
「――こんなにイイ女なのに、改造兵として最前線で狂うほど戦って、そんでおっ死ぬ人生なんて…………つくづくもったいねえなあ……」
研究者たちは、メンテナンスルームで眠る特殊部隊4人を睥睨し、まるで他人事のように憐憫と侮蔑を口にして回る。
「――おっと。みんな、無駄口はその辺にしとけ。そろそろメンテナンスが完了する。余計な事を聴きとられないように気を付けろよ。」
「うわっ……了解。」
間もなく改造兵たちのメンテナンスが終わる。研究者たちは緊張感を新たに、職務へと向き合った――――
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