第70話 ニルヴァ市国へ

 ――――そこは、薄い靄がかかる中、険しい山に沿って幾つもの白や赤の石造りの住居や、円形の広場が築かれた、神聖な雰囲気に包まれた国であった。





 国とは言っても、険しい山の高所に築ける土地などそう広くはない。ちょっとした街ほどの面積や居住地を構える程度である。(現実の我々現代人の国に例えるとチベットとカンボジアのアンコールワットを混ぜた感じだろうか)






 空気も薄く、いよいよグロウやテイテツのような持久力が心許ない者は疲労困憊に至りかけている。





 道中はカシムが先頭を歩いて一行を守り、ヴィクターが最後尾を守っていた。幸い、8合目付近からはドルムキマイラのような怪物に遭遇せずに済んだ。






 カシムに次いで先を歩き先導するタイラーが、息を弾ませながらも行く先を指差し声を上げた。






「――見てくれ! あれがニルヴァ市国…………あらゆる人間が自分の『道』を求めて立ち寄る修行場にうってつけの国さ!」






 一行は、眼前のニルヴァ市国を望む。







「――やっと着いたか……おいグロウにテイテツ。もうちょいだ。行けるか?」






 日々厳しい鍛錬を積んでいるガイでもなかなかに堪える山道。心配し、2人に声を掛ける。






「――ふうっ……私は……何とか……」






 テイテツは呼吸も荒くなりながらも、こまめにスポーツドリンクを飲む。肉体派ではない科学者とはいえ仮にも10年以上エリーやガイと冒険を共にして来た男だ。疲弊してはいるが、何とか踏ん張りが効きそうだ。






「――ぜっ……ぜっ……ぜっ…………ぼ、僕ぅ…………もう、駄目――――」





 ――だが、とうとう年少のグロウが音を上げた。疲労のあまり意識を失いそうになり、崖の方へ倒れる――――






「――危ないッ!! ちょっとグロウ、だいじょぶ~? ヘロヘロじゃあないの!」







 済んでのところで、倒れかけたグロウの腕をエリーが掴んで抱きかかえる。







 さすがに普段から厳しい鍛錬を積んでいる上に『鬼』としての強壮な体力を持つエリー。これだけの山道を登ってきても息一つ乱さず、最も余裕があるように見える。






「――はーっ……はーっ……はーっ…………」






 酸素も薄い高山地帯。グロウは呼吸だけで精一杯。返事をすることもままならない。







「……やっぱグロウにはまだ山登りは無理があったかあ…………しょうがないわね、よっ、と――――」






 エリーは、自分の分の荷物をガイとセリーナに分けて渡し、グロウを背負って助けた。グロウは弱々しくも両腕でエリーにしっかりと掴まる。







「――へへ~っ! なーんか、こういうの思い出すわね~……」







 グロウを背負うエリー。俄かに幼少の頃の、今のグロウに瓜二つであった過去の弟分を背負った記憶を思い返し、微笑んだ。






「――ちっ。エリーよ。何度も言ってるが……『本物のグロウ』は…………もうとっくにこの世にいねえんだ。いつまでも思い出に浸り続けて、今のグロウに代わりをやってもらおうなんて、考えるんじゃあねえぞ。そいつは飽くまで別人なんだ。」






「――わ、わかってるわよォ…………もう! いいじゃん! 背負ってみてちょっと思い出しただけだっての!!」






「ふん」







 ――ナルスの街近くの謎の遺跡で出会った当初から、今いる謎の少年にかつてのグロウ=アナジストンを重ね、投影して自分の心を紛らわせる、エリーの、そんな幻想とも取れる行為に難色を示していたガイ。疲れもあるせいか、やや神経質になってエリーを非難し、不満そうに鼻を鳴らしてしまう。







 だが、当のエリーはさほど気にしてはいない。今のグロウにかつての弟分を重ねてしまうことは欺瞞であると認めつつも、今現在背に負うている少年に確かな親愛の情を傾け、嘘偽りでも幻想でもない優しさを注ぐのみだ。







 出会った当初はそれこそ自己欺瞞を認められないでいたかもしれないエリーだが…………共に旅をするうちに、今いるグロウは姿かたちは瓜二つでも飽くまで別人である。そう感覚的に理解していった。






「――ほら、グロウ見てみ~! もうちょいでニルヴァ市国だよ!」





「……う、うん…………」






 険しい山道も徐々に人の手が入った道路のエリアへと入っていき…………やがてエリーたちはニルヴァ市国の入国の為の門へと至った。







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 ――――入国する為の門は質素な木造建築、されど実にエキゾチックで、シャンバリアの街とは対極にあるような俗世間から離れた、清貧と心の豊かさこそを良しとする精神性がよく現れている装飾や彫刻が散見された。さすがは修行場として有名な国ゆえだろうか。







「――入国手続きか。すぐに戸籍を……」






「大丈夫だ、要らないよガイ。ここは出自も名前も門地も関係ない…………自分の『道』を求める者なら誰でも受け入れる寛容な国さ。門兵に軽く挨拶するだけで充分さ。」







 慌てて身分証の類いを取り出そうするガイを見て、タイラーはそう教える。どうやら単なる入国管理が必要な他の多くの国とは何か違うようだ。







「――やあ、タイラーさん。お帰りなさい。その人たちが……例の友人たちかい?」






 門の傍らの椅子に座って槍を手に持つ初老の門兵が気さくに話しかけてくる。






「ああ、そうとも。ちょっと…………訳アリな一行ではあるがね…………」






 振り返り、エリー一行を見遣るタイラーは、苦笑いを浮かべる。






「――訳アリ。迷い人というわけですかね。結構、結構…………自らの道に迷われた時や自らを見失いかけている人にこそ、ここ、ニルヴァ市国は相応しい。さあ、門の鍵を開けて差し上げよう。」





 門兵の男はそう朗らかに言いながら立ち上がり、大きな鍵を取り出して門を開いてくれた――――







「――わあ…………」








 ――山道の途中でも見て来たつもりだったが、改めて門から中に入ると、殊更厳かな雰囲気が視界全体から感じられた。






 思わず身なりを整えたくなるような厳かな…………とは言っても、そこで居住し、生活をしている人たちは柔和な顔つきをしている人が多かった。特別活気に満ちているわけではないが、静かで、どこかストイックな精神性を感じさせる空間だ。






 エリーのようなやんちゃ気質の人間ですらも、道を進むうちに何だか神妙な心持ちになってきて、自然と背筋が伸びる気がした。







 背に負うているグロウも弱々しくもエリーに呟く。







「んんっ…………ここ……静かだね…………何だか、気持ちが清らかになってくる気がするよ……」






「……ええ……そうね、グロウ…………」







 グロウも疲労困憊ながら、この国全体に立ち込めている厳かな精神性を感じ取ったらしく、目を薄く開けながら辺りをゆっくり見回す。







 エリー自身もまた、苛烈で刺激的な旅を常とする冒険者としてあまり立ち寄ったことの無い風土に、ただ返事をするのみで呆然と辺りを見回す。







「――おい、見ろよ…………あそこの広場にも……こっちでも…………修行する連中があちこちいるぜ…………」




「――ああ……具体的な修行の内容まではわからないが……どうやら、本当に私たちが修行を積むことにも一役買いそうだ、このニルヴァ市国は。」






 ガイが言う通り、往来のちょっとしたスペースには、ヴィクターやカシムと同じような装束に身を纏い、何やら精神統一や厳しい肉体訓練と思われる修行者が沢山いた。エリーもガイもセリーナも、想像していたものと違わぬ自分たちの修行による成長に、心を躍らせていた。






「――では、私たちは修行に戻る。後は任せてよろしいな、タイラーさん?」






「――ああ。もちろんだ。彼らは俺が連れていく。本当に助かったよ。護衛をご苦労、ヴィクターにカシム。」






 タイラーがそうヴィクターに返すと、2人は例の胸元で両の拳を突き合わせてお辞儀する一礼の挨拶をしたのち、駆け足で彼ら自身の修行の場へと戻っていった。






「――うう~…………それはいいっスけど……どっかに飯屋は無いんスか? 割りとさっき食ったはずっスけど、もう腹ペコっスよ~……」







 一番重い荷物を持ちながら、とうとうド根性でニルヴァ市国までの山道を登り切ったイロハは、珍しく弱気とも取れる声を出す。精神はともかく、肉体はカロリーを欲しているのだろう。悲鳴とばかりに腹の虫が鳴る。






「ハハハ! それもそうだろうな。タタラ=イロハちゃん、だったか? 君も食べ盛りの年頃だろう。あの、奥の家が俺の自宅兼研究所だ。到着したら飯にしよう。近くにたらふく食える飯屋もあるさ。」






 そう告げながらタイラーが少し遠くの建物を指差す。






 周囲の石造りの建物と馴染んではいるが、研究所を兼ねているという点が頷ける。石造りの住居のすぐ隣に、無機的な感じがする研究所と思しき建物がある。






「俺の家に着いたら、荷物などを置いていくといい。まずは飯にしよう。悪いが独り暮らしなもんでな。寝床は足りないから近くの宿に泊まっていってくれ。宿泊代と飯代ぐらいは出すぜ。」





 タイラーのその言葉に、大食漢のエリーとイロハは目を輝かせた。





「うっひょーッ!! タダ飯っスか! バテバテの身体にそれはたまんないっスねえ~!!」




「遠慮はしないわよ~? へへへへ、この国の食糧庫がもつかしらね~♪」






 2人共食べれるだけ食べ尽くすつもりだ。





「言いやがったな、タイラーさんよぉ。イロハもそうだが、エリーの食事量、舐めてんじゃあねえぞ? 常人とは比較になんねえからな?」






「……これも、せめてもの償いのひとつだ。これぐらいは是非させてくれ…………ガイもセリーナも存分に飲み食いしてくれよ?」






「……ふふっ…………まあ、当然だろうな。私も腹が減ったよ。」






 ガイとセリーナはやや意地の悪い笑みを浮かべたが、協力の為の負担は甘んじて受けると言ったタイラーだ。贖罪と言えば重い言い方だが、タイラーは快活に笑い、飯と寝床を提供するつもりだ。それは恐らく贖罪の精神と言うよりは、単に外来の人の為に友好の印に代えてサービスをすることが喜びである、といった感じなのだろう。





「――ここで…………僕の力の正体がわかるかもしれない……のか…………」






 グロウは独り、不安と恐怖を胸に抱えていた。それはどんなにエリーたちが明るく接しようが、己と言う存在が不明な以上、ただ独り、孤独で拭い難い苦悩だった。






「――でも、それを晴らす為にここに来た。」








 グロウは内心、不安と恐怖に押し潰されそうな中にある僅かな光明を信じ、手を伸ばしているのだった。






 ――――やがて、タイラー=アドヴェントの自宅兼研究所へと辿り着いた。ひとまずは旅の労を癒す為の飲み、食らい、休みに入る一行だった。

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