第46話 慈愛の陽光

「――ふうーっ……きひひひっひ…………ふははははは! 出来た! 出来たっスよ!! 極上の妙薬がッ!!」



「おう!! 思ったより簡単だったな!! ガハハハハ……」




 ――――夜明けを迎える頃、セフィラの街、病院近くに設置したキャンプにて、鍋を煮て、薬品を瓶に浸し、薬研を転がし……イロハと親父はたった一晩で強力な治療薬を完成させてしまった。




 火元を扱ったので、身体中煤と薬品だらけで真っ黒である。本来扱いが困難な調合を徹夜で行なったので、イロハはやや精神テンションがハイになっている。





「――っと、もう朝っスか……エリーさんたちは……まだ寝てるんスかねえ」




「叩き起こすか!?」





「馬鹿。何言ってんスか親父!! 怪我人スよ? 安静にしとくっス!!」




「でもよお……せっかく薬が出来たんだ。早く元気になってもらいたいじゃあねえか!」





「……そっすねえ……普通に病院の人にでも渡しておい――あれ? グロウくん?」




 イロハが薬をどう手渡すか考えるや否や、宿からグロウの姿が見えてきた。





「――ふわあ……おはよう、イロハ…………うわっ、真っ黒だね。まだ薬作ってるの?」





 冒険者エリーたちと行動を共にしてきたグロウ。朝は早い。欠伸をしつつも煤や油、薬品で顔も手も服も真っ黒のイロハを見て驚いた。俄かにますます体臭が鼻について、思わず顔を引きつらせてしまう。





「たった今出来上がったとこッス……ジャジャーン!! この瓶に粉状にして入れてあるっス!! 大匙2杯を1日3回、食後に煎じて飲ませるッスよ!!」





 イロハは得意げに、完成したばかりの薬を瓶に封入した状態でグロウに差し出した。





「本当にありがとう…………これでセリーナもきっと…………お医者さんに渡してくるよ」





 薬を大事に受け取る。出来立ての薬はまだ少し熱を帯びている。緑青石を思わせる青みががった粉薬だ。




「――イロハさんたち、お疲れ様です。薬が出来たんですね! 私が責任を持ってセリーナに服用させます…………」





 と、そこへミラも歩み寄ってきた。希望の念を眼鏡越しの目に輝かせる。




「ミラさん、宿屋の受付係ッスよね? 傷病人の看病なんか出来るんスか?」






 ミラは、ほんの少し誇らしげに胸に手を当て答える。





「ええ。元々セリーナの居た家の使用人でしたし、福祉関係の学校での栄養士や看護の資格も取っています。」






「そスか。なら問題無さそうッスね…………ふあ~あ……一仕事終えたら眠くなったッス……ウチらも宿で寝るっスかねえ……」




「そうだなイロハ……くあ~あ~……」





 緊張感が解けたのか、イロハも親父も大きな欠伸をしながら、宿へと足を向ける。





「――ちょっと……まさかその状態で寝るつもりですか……?」





「へっ? 当たり前じゃあないっスか。こちとら徹夜で薬、調合してたんスよ? 少しは休んで飯も食わないことには働けないっス」






「……なら、せめてお風呂に入ってきなさい。ほら。煤だらけで顔も服も真っ黒じゃあないですか。それに、せっかくお若い娘さんなのに軽々と徹夜や汚れ仕事をするもんじゃあありません。」





「ウチの心配っスか? いいってことっすよ!! 大雨で一週間風呂無しの泥だらけの山越えをしても、風邪一つひいたことないっスから!!」





 ――平生、上品で穏やかと見えるミラの表情がこわばり、俄かに眼光と声が鋭くなる。





「――それを聴いてますます気持ちが定まりました。イロハさん。宿なら既に営業しています。お風呂も露天風呂を沸かしてありますし、洗濯用具もあります――――今すぐお風呂に入って服も洗濯してから寝なさい。さもなくば、食事をお下げします。」






 怒鳴っているわけでもないのだが、低く圧のあるトーンで年下の少女を叱るミラ。そういえば元々武門の家の使用人であった。作法や身だしなみは家中の者を厳しく躾けている様子だ。




「ヒッ……は、はいっス! 今、宿代を――――」



「結構です! エリーさんたちを救助してくれた御恩がありますから、私から宿長には言っておきます。だから今すぐお風呂に入りなさい。若いのに、貴女の女が泣きます」



「ええ~っ……別に、ウチの女らしさなんてどうでも~……」




「聞こえましたか!?」





「ハイッス!! すぐにお湯、いただいて来るッスーッ!!」






 言うなり、脱兎の如くイロハは宿へと全速力で走り去っていった。





「……タダで泊めてもらえるなんて、済まねえな。俺も風呂入ってきまさあああああー!!」





 続いて、イロハのような年若い娘を不潔にしている親父もミラからの刺すような視線を感じ、同じく脱兎の如く全速力で走り去っていった。





「――全く。冒険者とは言え、もう少し清潔に過ごすことは出来ないのでしょうか。危険な生き方をなさっている方々とは言え、女性の慎みや清らかさも知るべきですわ。グロウさんもそう思いません? 貴方は清潔になさっているのにねえ……」





「あっはは……」





 鍛冶錬金術師、そして商売人として世界を巡っていて、冒険者同様に修羅場を潜っている豪胆な娘とは言え、イロハはこういう教育者的な手合いの相手は苦手なようだ。ミラからすれば妹か姪を叱りつけている感覚なのだろうか。





「……ミラさん、セリーナにつきっきりで看護してくれてますけど……その、ミラさんこそ大丈夫ですか?」





 イロハを叱りつつも、ミラも充分に若い女性。だが当の本人も充分寝てないように見える。グロウは心配そうだ。





「……確かに、他人の看護をするには我ながら自己管理がなってないとは自覚しております。ですが…………長らく離れていた想い人がようやく私のもとへ帰って来てくれたのです。しかもあんなに深手を負って…………あの人が回復するまでどうして安心して眠ることが出来ましょうか。この身に代えても看るつもりです。」





 ミラは、受け取った薬の瓶を両手でぎゅっと握りしめ…………目には涙を溜めている。





 少年のグロウには生き別れた想い人の気持ちは察する程度しか理解出来ないが、それでもミラの様子からとてつもなく大きく、重く……そして温かな想いが感じ取れた。万感の思い。切なる感情――――





「……そっか。僕もエリーお姉ちゃんとガイにオミマイに行くけど、出来ることは手伝いますね……」





「――ありがとうございます。グロウさん……貴方は優しいわね。心も綺麗です――――さあ! この薬とこの街の栄養いっぱいの食事を召し上がっていただいて、エリーさんたちには元気になってもらわないと!」





 ミラは気持ちを入れ換える為、自らの両掌で頬をひっぱたき、気合いを入れた――――





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 それからグロウとミラは病院に向かい、エリーたちの病室で看護を行なった。





 とは言っても、エリーとガイは既に疲労や怪我による身体への負担以外はかなり回復しているので暇そうにしていた。





 ひとつ、ただの病人と違うところは――――





「がっ、がふっ、がふっ…………んん~っ。ここの食事、マジで美味いわあ~っ。あっ、もうちょいパンとか牛乳とかリンゴとか持って来て~」




「だが……さすがに病院での食事だな。味付けや油が少なめでちと物足りねえぜ……」






 ――過酷な戦いで消耗したエリーとガイはとにかくよく食べる。勿論、これも身体を癒す為に重要なことではあるが、病院の食料庫を食べ尽くさんばかりの勢いで食事を摂っている。朝から調理係も大慌てだろう。




 特にエリーは元々『鬼』の血で膨大なカロリーを必要とする為、いつも以上に激しい飲食のペースだった。





「――事情は聴いておりましたけれど……エリーさん、本当によく食べるのね…………この調子なら回復もあと少しでしょうね」





「……足りない食事を街中の人にテイテツが説得して廻って恵んでもらってるんだよね。街を助けた御礼って言っても……タダでいっぱい貴重な食料貰っちゃって、なんか、ごめんなさい」





「いいのですよ、グロウさん! 街の人たちの生命には代えられませんし、幸いこの街は自然の恵みが豊かで、行商の方も良く来られます。エリーさんたちに元気になっていただくまでしっかり食べて貰わないと! 町人が満場一致で協力しています」





「……重ねて、面目ねえ、ミラさん。俺たち穀潰しを許してくれ」





 森の幸を頬張りながらも、ガイは頭を垂れて一礼する。





 ミラは、エリーとガイに苦笑い。





 だが、身体を向き直せば――――忽ち真剣な、そして慈しみと不安の創面で……セリーナに食事を与えている。





「――う……ううん…………」





 未だ意識不明のセリーナ。飲食物が口、喉と通る度に刺激でやや唸る。





 ――――グロウにとっては後から聞いた話だが、皆が意識を失っていた間に最も献身的にエリーたちを看護していたのは、他ならぬミラだったらしい。





 病院には看護師や医者もいるわけだが、この街が軍人と冒険者による決闘で火の海になるかもしれない、と最初に知ったのはミラだ。





 加えて、これも運命の巡りあわせなのだろうか。セリーナという想い人との再会。





 せっかくこの街に来たのに決闘に敗北し、変わり果てた姿での再会だったかもしれない――――その恐怖や不安、焦りに打ち克って……街の者を避難させ、イロハたちが連れ帰ってくれば真っ先に手当てをして助ける準備も進めた。





 ミラ=ルビネックという女性は、最早単なる宿の受付係ではなく、並々ならぬ覚悟と正義感を携えるこの街の女神ミューズに等しかった。





 介護や看護をする者でも嫌悪する傷病人たちの入浴介助や排泄の世話、助け合う人への的確な指示など、難しいことを率先して行なった。





 如何にイロハたちがタフで、深手を負ったエリーたちを手早く街に連れ帰れたとしても、彼女のような人がいなければ助からなかったかもしれない。処と人が違えば『厄介な余所者は街の外へ捨て置こう』と冷酷に断じられていてもおかしくはなかったのだから…………。





 ――やがて、食事を与え切ると、例の薬を近くの湯に煎じて、セリーナの口へと少しずつ少しずつ飲ませていった。





「――う…………けほっ、けほっ……むうう…………」





「セリーナ様…………もう少しで貴女も目覚めるはず…………だからこの薬も飲んで……お願い…………」





 薬はなかなかに味が濃いようだ。意識が無いセリーナも眉根を寄せて時折咽ぶ。





 ミラは苦痛に喘ぐ想い人を痛ましく思いながらも、根気強く、丁寧に薬を飲ませていった。





「…………」


「…………」


「…………」




 エリーもガイもグロウも、最早見守るのみだ。セリーナの回復を祈る。





「――一先ず、今回は飲ませられました…………これを毎食後、ですね。何日かかるやら……いえ、何日でもやり通して見せます……エリーさん?」






「え、あ、はい……?」





「イロハさんやテイテツさん、それから医者の先生にもお話を伺っています。貴女も力を出し尽くして脳神経系が危ういようですね……その様子だと大丈夫だとは思いますが、この薬が余るようなことがあれば、念の為に貴女にも飲んでいただきます」





「げ……マジで~……セリーナ、めっちゃ苦しそうだったじゃん…………絶対苦くて不味いでしょ、その薬…………」





「『良薬は口に苦し』って言うからな。おめえの回復の為だ。覚悟しとくんだな」





「うう~……やだなあ…………セリーナ、飲み切ってよ~……そんでちゃんと目を覚ましてよ~」





「あはは……それ、復活するの祈ってるのか祈ってないのかわかんないよ……」





 如何にも薬の類いは苦手そうなエリー。グロウが苦笑いをし、ミラも不安ながらも屈託のない笑みを浮かべた。





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 ――そんな調子で、療養生活が3日過ぎた。






 エリーとガイは相変わらず多くの食事を平らげ、リハビリの運動訓練なども行なった(とは言ってもほぼ普段と変わらぬペースの鍛錬だが)。




 セリーナにはミラが付かず離れず看護をし、薬を飲ませ続ける。





 グロウは看護を手伝う傍ら、ボウガンの稽古と手入れをしたり、心配そうに見守る街の子供たちと遊んだりもした。





 テイテツはもう頭への一撃の影響も無いので、街の図書館などからニルヴァ市国へ至る為の有用な資料を集めつつ、今後の算段を練る。





 そしてイロハは……自分の出番が無いとなると徹底しているのか、ひたすら宿で、ガーガーといびきを搔きながら爆睡したり、起きて来てもエリーたちに負けない勢いで食事を摂るか、装備品の手入れをしているのだった。





 その日の昼――――






「――うっ、ううう…………こ、こ……は…………?」






 ――――遂に、薬と看護の成果が実り、セリーナは意識を取り戻した!






「!! ああっ……! セリーナ様! セリーナ様…………ッ!! わかりますか!? ミラです! 貴女様の……ミラ=ルビネックでございます!!」





「やったぜ! ようやく目覚めたか!!」


「セリーナ!!」





 病室で休んでいたガイとエリーも飛び起き、セリーナを見る。





「――う……ミ、ラ…………? 馬鹿な、本当に……ミラなのか…………!? ここは、一体――――」





「ここは、セフィラの街でございます! 貴女様はもう8日余りも意識が無かったのですよ…………よく目覚めてくださいました…………ッ!!」






 すぐに医者が駆けつけ、ミラと共に記憶や認知系に障害が無いかを問診し、調べた。





「――――そうだ……私たちはあのガラテア軍人たちに絡まれて…………あの、メランとかいう奴! あいつの、『練気チャクラ』だとか何とかの術にかかって、やられたんだ…………」






 記憶を思い出す度、激しい頭痛に襲われたが、薬のおかげか、奇跡的にセリーナは脳にも身体にも障害は残っていないようだった。






「――ああ、本当に良かった――――セリーナ様! 私の大事なセリーナ様っ!!」






 とうとうミラはセリーナの復活に感極まり、滂沱の涙を流しながら抱きつき、激しく泣いた。






「――まさか、この街にミラが居たなんて…………本当に、また会えたん、だな――――!!」





 セリーナもまた弱々しくもミラを抱き返し、温かな涙を流した――――






「――やっと会えたんだね……セリーナ、恋人と…………」


「そうね、グロウ…………何だか私まで泣けてきちゃった…………」




「……今は2人きりにしてやろうぜ、エリー、グロウ。テイテツと今後のことでも話そう……」




 そうして、3人は病室を後にした。





 彼女たちは実際、どれほどの間離れ離れだったのだろう。





 彼女たちにとっては、唯々、幾星霜。





 永遠にも思えるほどの長い別離があった。





 お互いの孤独、悲しみ、寂しさを一挙に埋め合わせるように、恋人たちはしばらく抱き合って過ごした。






 ――窓から差し込むオレンジ色の陽光が、慈悲の温もりを持って2人の真の再会を祝福するようだった――――

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