私のパラダイスを返せ!

こまち たなだ

お家へ帰りたいだけなのに

 他人から言わせればきっと、ただのボロいアパートの、ケチな部屋なんだと思う。けれどそこは、住めば都の、私の大切なお城だったわけで。


 コンクリート作りの四角い建物は、錆びだらけの螺旋階段があって、登ればカンカンと音がする。音を鳴らして三階部分へ上がり、共用部分のひび割れた踊り場から、薄暗い廊下を歩いて、並んだ緑のドアを手前から数えて三つ目、そこが私の借りている部屋。

 見た目だけは重い、馬鹿みたいに軽いドアの二重ロックを開けて、何度掃除しても埃っぽい玄関から、入ってすぐが台所。その狭小スペースは、中古屋で手に入れた、大き目で可愛い私の最愛の彼、冷蔵庫くんの独壇場になってる。

 冷蔵庫くんから発泡酒とチーズを取り出したら、まずは磨りガラスの向こうでトイレと相部屋暮し中の、小さな浴槽にお湯をはり、お気に入りの木製ビーズの暖簾をくぐって足元のビーズクッションに埋まって、リモコンをテレビへ向ける。

 お湯がたまるまでチーズを食べてニュース。テレビの向こうのお天気アナウンサーに、前日の予報が外れたら文句を言ったりもする。冷蔵庫くんの前で裸になってお風呂に入り、その後はどうでも良いTシャツにパンツ一丁の姿で、お腹が空いていたら料理したり、再びクッションに埋まってテレビタイム。あー今日も素晴らしい時間をくれる、私のお家最高。

 LINEに入ってくる友達からのメッセージは、彼氏欲しいとか別れたとか、結婚したいよとか、正気の沙汰とは思えないものばっかり。二十代後半過ぎたあたりから、みんな、一体どうした。きっと恋愛依存症か極度の寂しがり病にかかってしまったに違いない。こんなに楽しいおひとり様ライフを、何故終わらせようとするのか。まったく、理解出来ないよ。

 私の素晴らしいお家の近所には、午後八時以降、ディスカウントセールをするスーパーマーケットと、首が取れかけているカエルのマスコットがいる薬屋、漢方薬を処方してくれる耳鼻科もあるから、駅からは離れていたけど、本当に住みやすいよ? g百円内で豚肉が買えて、風邪を引いたら薬屋へ、悪化したら耳鼻科へ駆け込めば良くて、雑務を主とした事務職を勤めている職場には二駅で着くし、帰り道をぶらぶら無駄に歩けば気分転換にもなる。もう、私のお家ったら、パラダイスと言っても過言じゃない。

 ちなみに今までのは、先週の金曜日のお話です。

 今は月曜日。渋々出勤して、お仕事をして、月曜日は定時で帰ろうねっていう皆さんと一致団結した後、電車に揺られて二駅分をがたんごとん、スイカちゃんを華麗にすぱーんと叩きつけ、駅前のコンビニでおでんと発泡酒を買って、冷蔵庫くんが守ってくれている筈の昨日のカレーと、録画した刑事ドラマを楽しみに、ぶらぶら歩いて帰る予定でした。

 奇しくも今日はハロウィン。

 会社では仮装の話で皆で盛り上がって、後輩ちゃんから「せんぱあいい彼氏と食べて下さいねネえ♡」って紫と緑のカップケーキをプレゼントされた。何を練り込んだらこの色に発色すんのかは知らんがありがとう、彼氏の冷蔵庫くんも喜ぶと思うよ。寄ったコンビニの店内は、笑ったカボチャや定番の白いお化けのガーランドで飾り付けられ、家々の玄関にもカボチャランタンがある。

 いいよね、経済効果がありそうなイベントって。

 好きですよ、私も。ぜひ現代日本を明るく盛り上げて欲しいです。ついでに言うと、私の知らない所でな!

「申し訳ない、そこの女の子」

「あー、はいはい、ですよね、おめでとうございますですよね、ハロウィン。美味しいですよねーカボチャ。私も好きですよ、カレーに使ったばっかりなんですよーじゃ、それでは良い夜を」

 目を合わせないようにしていたのに、声を掛けてきたのは、電柱の真下に置かれた〝拾って下さい〟の文字が殴り書かれたダンボールに突っ立ってる、金髪碧眼の帯剣者だった。しかも、立ち去ろうとした私の腕を掴んできやがった。

 いやあ、外国人さんって、背が高いなあ、羨ましい。

 ねえ、イケメンの常識あるお兄さんになら、分かりますよね? 私もね、ハロウィンに仕事帰りに駅とかの更衣室で? 異世界の軍服みたいなの着て、マントとか付けちゃったりして? で、剣とか持とうかなって思ってます。ってやっだあそれって銃刀法違反に引っ掛かりませんかーアハハハ.....って職場の皆さんと盛り上がったばかりだったんですよー。でもお兄さんやだなあ。仮装する場所間違えてますって。やっぱり皆さんそういう格好した人が多い場所へ行くんだと思います。ここ、人影少ない、閑静な住宅街ですし。

 笑いながら、頭の中でせっせとイケメン外国人を説得したけれど、彼は困惑顔で佇んでいる。困惑してるのはこっちじゃぼけえ。

「御礼なら幾らでもします。私の言っていること、分かりますか? 翻訳機能が上手くいってないのかな.....カボチャを差し上げれば良いのでしょうか? せめて、ここが何処か教えて下さいませんか?」

「ここは北町三丁目でえす。じゃ、用事がありますのでえ.....」

「良かった! 通じているんですね!」

 電柱の看板を頼りに住所を申告差し上げて、揉み手でそそくさ退散しようとしたのに、金髪碧眼のお兄さんは腕を離してくれない。翻訳機能ってなに。スマホか何かで翻訳して話しかけてるんですかね? とりあえず、これって、叫んで良い所でしょうか。

「あの、重ね重ね申し訳ないんですが、私をここから引っ張り出してくれませんか?」

 困り顔のお兄さんが指さした足元を、叫ばずに見てしまったのが間違いだった。そこにはお兄さんの長い足が入ったダンボールがあって、ダンボールの中のお兄さんの足の周りを、白と紫の煙の渦が取り囲んでいて、その渦の真下は上からのぞき込んだみたいな状態で、お城のホールみたいな所を走り回る人々が、剣で切ったり切られたり.....

「うっわー.....なにこれ最新のゲームか何かですか」

 ドン引く私の腕をお兄さんが引っ張った。

「私はこちらの世界の小国の王子なのですが、実は、クーデターの真っ最中でして」

「ああ、そういう系! なりきっちゃう系ですか! なるほどなるほど、王子様ね、はいはいはい、分かります、あれじゃないですか? クーデター起こした宰相さんとかに殺されかかってて、こっちの世界に逃げてきたい設定!」

「そ、そうです。貴女はまさか、この国の賢者様でいらっしゃいますか?」

「あ、そういうの私はちょっと.....」

 賢者設定とかまじいらねえから。なりきり系王子様を手で制して、笑いを引き攣らせる。王子様は私の腕をまだ離してくれない。それどころかどんどん顔を近付けてくる。イケメンだろうが変人だろうが、キスしちゃうくらいの顔面ドアップとかもマジいらねえし、私はただ、私のパラダイスに帰りたいだけなんだよ!

「分かりました、余計な詮索はしません。ですが、お願いします。私が作った魔法陣では、そちらの世界の誰かから引っ張って貰えない限り、抜け出せないのです。私の手を、引いてください! 私を支えてくれた人達のために、民のために、私はまだ死ねない、死にたくない! お願いです! 何でもします」

 乗ってきたよ、こいつ! しかも必死か! そういうのいらないってば!

 心の中で彼に突っ込んでいたら、ダンボールの中から、王子は何処だ? とか、見つけ出して殺せ! とか、物騒な声が聞こえてきた。しかもその声がどんどん近付いてきているような.....いやあ皆さん、ハロウィンにすごい凝っていらっしゃるんですね。協力してこういうお芝居までやっちゃうわけですかー.....つまり、時間を置くと、他の殺し屋系仮装まで出てきちゃうわけですね。

「分かりました」

 手を引いてダンボールから出してあげさえすれば、きっと、お仲間と謎の仮装を楽しむこの自称王子様も満足して、いつも通りパラダイスへ帰れるんだろう。そう思った私は、彼の手を繋いで引っ張ってやった。

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