第3章 作家生活
第15話 テーマ
ということで、野間会長がこの別荘に引きこもっていた理由が判明したのですが・・・
その理由が小説の執筆という、私がこれから始めようとしている事と同じなので、偶然の一致にしては話があまりにも出来すぎているという感を否めず、やはり初めから誰かに仕組まれていたのではないかと思いました。
しかし、よく考えてみると、私が長谷川につまらない嘘をつかなければ、私自身は小説を書くことにはならなかったので、やはり思い過ごしの勘違いということになるのでしょう・・・
そして、この別荘の特別な場所といえば、書斎以外に思い当たりませんし、書斎の代表的な使用目的を考えますと、本を読むか文章を書くということなので、野間会長が別荘に引きこもって、小説を書いていたとしても、特に驚くほどのことではありませんし、別に不思議な話ではないように思えます・・・
むしろ、私を知る人は勿論のこと、私を全く知らない他人から見れば、何の肩書きも実績も無い私が小説を書こうとしている方が、よほど滑稽に映ることでしょう。
野間会長は大企業のトップであっただけに、機械工学や経営能力以外にも、文才を筆頭に多才な方であったのだろうと思ったとき、
「さっきからずっと黙って、どうかしたん?」と、瑞歩が声を掛けてきました。
「あ、ごめん」と言ったあと、「野間会長って、作家活動もしてたん?」と訊ねました。
「うぅん、違う。たぶん、個人的に趣味で書いてただけやと思う」
「個人的に趣味で書くって・・・ どんな小説を書いてたん?」
瑞歩は私の質問には答えず、
「話が長くなるから、ソファーに座ってお話ししよう」と言って、体を反転させてゆっくりとした足取りで書斎のソファーに向かいましたので、私も椅子から立ち上がってソファーに向かいました。
瑞歩はソファーに座るなり、少し気難しそうな表情で、
「先に結論から言うけど、私はバァバがどんなことを書いてたのか知らんねん。それで、この書斎で書いてたのが、小説かどうかも、本人に確認したわけじゃないから、はっきり分かれへんねん」と言いました。
「えっ? それって、どういうこと?」
「それは、今から2年位前に、バァバがこの別荘に引きこもりだしてすぐの時やねんけど、私はバァバがなんで引きこもったのか理由が分かれへんかったから、すごく心配になって、学校が休みのときに様子を見に来てんな。それで、私がここに着いたとき、ちょうどバァバはお風呂に入ってて、それで私はここに来るのが久しぶりやったから、バァバがお風呂から上がるまで、各部屋を見て回って、この書斎に来たとき、ちょうど今みたいに机の上に原稿用紙があったから、私は何やろうと思って見たら、いっぱい文字が書かれてたから読み始めてんけど・・・
その時は原稿用紙2枚分しか読んでないから、はっきりしたことは言われへんけど、何かの物語の途中からって感じの文章やったから、たぶん小説やろうと思って、3枚目を読もうと思ったときに、お風呂から上がってきたバァバがいきなり書斎に入ってきて、
『瑞歩! 出て行き!』って、大声で怒鳴られて・・・
私はバァバから生まれて初めて怒られたから、すんごいショックでトラウマになって、1週間学校休んだし、それ以来、私はバァバがこの書斎で何を書いてたのかは、本人とも一回もお話ししてないから分かれへんねん」
瑞歩が読んだ原稿用紙に、どんなことが書かれていたのかを具体的に訊ねてみましたが、
「もう忘れた」と言ったあと、「私が憶えてるのは、野間製作所って、バァバの会社の名前が出てきてたことと、四国の香川県って地名が出てきたことだけ」と言いました。
「四国の香川県?」
「そう、野間製作所は、今の関東に移る前は、四国の香川県に本社があってん」
ということは、おそらく野間会長は会社に関連した物語を書いていたのではないでしょうか・・・
「だから私は、バァバが何を書いてたのかが凄く気になってたから、バァバが亡くなってから、ありとあらゆる所を探し回ったけど、何も見つけることができんくて、結局なにをそんなに一生懸命に書いてたのか、分からずじまいやねん・・・
それでな、とにかくバァバは引きこもり始めた頃から、何かに取り憑かれたみたいに、急に人格が変わってしまってん」と言いましたので、野間会長の人格がどういう風に変わったのかと説明を求めました。
「それは、小説を書き始めてから、バァバの表情が硬くなったというか、感情の起伏が小さくなったというか・・・ とにかく喜怒哀楽の感情表現が乏しくなったって感じ・・・」
私はまだ、本格的に小説を書き始めたというわけではありませんので、執筆というのがどれほど苦しい作業なのかは分かりませんが、個人差はあるとして、人によっては顔の表情や人格まで変化するほどの、苦痛を伴う作業なのかもしれません。
「それまでのバァバは、確かに厳しい部分はあったけど、私に対してはめちゃくちゃ甘かったし、どんな我が儘もすべて叶えてくれたけど、私がこの書斎で怒られてからは、私に対する態度も、なんか急によそよそしくなったって感じた・・・」
野間会長がどんな小説を書いていたのかは分かりませんが、ひとつだけ分かったことは、瑞歩が我が儘になってしまったのは、間違いなく野間会長に責任があったということです。
それにしても、野間会長はいったい、どんな物語を書いていたのか気になりますが、溺愛していた瑞歩を初めて叱りつけたほどなので、よほど他人に読まれては困るようなことが書かれていたのかもしれません。
もしかしたら、野間製作所の隠された闇の部分などが書かれていたのではないでしょうか・・・
「それで、涼介は原稿用紙なんか持ってきて、この書斎で何をするつもりなん?」と、いきなり訊ねられましたので、どう答えようかと迷いましたが、(俺も今から、ここに引きこもって小説を書くねん)とは言わないほうがいいだろうと思い、何か適当な言い訳はないかと考えました。
しかし、ものが原稿用紙なだけに、思いつくのが小説や作文や記事といった、物書きに関連するイメージしか浮かんでこなかったので、どちらにしても苦しい言い訳にしかならないと諦めて、
「実は俺もな、せっかくこんなに立派な書斎があるし、素敵な机まであるねんから、何を書くってわけじゃないねんけど、とりあえず原稿用紙と万年筆を買ってみてん」と言いました。
すると瑞歩は、とつぜん目を輝かせて、
「じゃあ、せっかくやねんから、涼介も小説を書きいよ!」と言いました。
「書きいよって簡単に言うけど、俺は小説なんか書いたことがないし、どんなことを書くん?」と訊ねると、
「そんなん、もちろん私が主人公の物語に決まってるやん!」と、瑞歩は自分の物語を私に書かせることが、まるで勤労、教育、納税といった国民の義務であるかのような言いかたをしたあと、
「私が全面的に協力してあげるから、涼介は作家を目指しいや!」と、力強く無責任な発言をしました。
(作家を目指すんじゃなくて、長谷川にとっては、もう既に俺は、変態作家やねんけどなぁ・・・)と思ったとき、
「!!!」
またしても私は、重大なミスを犯そうとしている事に気付きました。
その重大なミスとは、私の当初の予定では、嘘をついてしまった長谷川だけを相手にしておけばよかったのですが、想定外でいきなり瑞歩が現れましたので、もしもこの先、いつ長谷川が瑞歩に、スカトロやSMとは言わないまでも、私が作家だと言ってしまった場合、この時点で既に私は、瑞歩に嘘をついていることになってしまいます・・・ ということは、私は長谷川という名の、いつ爆発するのか分からない時限爆弾を抱えてしまったようなもので、今の時点で何らかの手を打たなければ、私はこれから先、長谷川と瑞歩の二人を向こうに回して、嘘をつき続けなければならなくなってしまうのではないでしょうか・・・
瑞歩と長谷川の主従関係を考えますと、長谷川がいつ口を割るか分かりませんし、それ以外にもアキちゃんの登場や、何らかの理由で私が長谷川に嘘をついていたことがバレたとき、何よりも懸念されるのが、瑞歩から嘘つきの変態扱いされた挙句、彼女も敵に回るかもしれませんので、今後のことを考えると是が非でも瑞歩を味方に付けておいたほうが断然有利だと思い、(正直に話すんやったら、今しかないな!)ということで、私は嘘で塗り固めた作家人生を、瑞歩に正直に話すことにしました。
しかし、いくら正直に話すからといっても、まさかスカトロやSMとまでは口が裂けても言えませんので、至ってノーマルな官能小説家止まりすることにして、
「あのなぁ、瑞歩・・・ 聞いてもらいたい、大事な話があるねん」と言って、私は長谷川の誘導尋問的な勘違い話に自ら進んで乗っかってしまい、立場が苦しくなったところで、起死回生の逆転ホームランを狙って大振りするも、見事に空振りして気が付いたときには、官能小説家となってしまった、ということを話したのですが・・・
話している途中で瑞歩は、
「信じられへん、なんでそんな嘘をつくの?」とか、「涼介って、もしかして虚言癖持ってる?!」という感じでつっこまれるたびに、
「だから、話の流れで、ほんまはそんなこと言うつもりはなかってんけど」とか、「長谷川さんがどんどん喰いついてくるから、こっちも引くに引けなくなって、段々エスカレートしてしまって、」と言って、私は何度も話を引き戻しては説明を繰り返しながら、ようやく瑞歩に真実を伝えることができました。
話をすべて聞き終わった瑞歩は、
「もしかしたら、涼介ってほんまは思いっきり賢いんか、それともめちゃくちゃアホなんか、どっちかよう分かれへんなぁ?・・・」と誉め殺ししたあと、
「分かった! もし涼介の嘘がバレて、ハッセが怒ったとしても、私が涼介を守ってあげるから、心配せんでも大丈夫やで!」という、いかにも頼もしい、理想的な返答を得ることができましたので、私は積年の溜飲が下がったような気持ちになり、今日から枕を高くして眠れると思ったとき、瑞歩は私に無邪気な子供のような笑顔で、次のようなことを言いました。
「とにかく、いま思いついてんけど、これから涼介はほんまの作家を目指して、捨て子の親に捨てられた捨て子の物語を、私と一緒に書いていくことに決めたから、二人で頑張ろうな!」
ということで、私が書くべきテーマが決定してしまいました。
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