みにくい白鳥の子

岩城忠照

第1章 嘘つきは作家の始まり

第1話 手紙


 正直者か嘘つきか、どちらかといえば私は嘘つきな方だと思います。3年近く通い続けている散髪屋のおばちゃんに、2年以上も嘘をつき続けているからです。

 散髪屋の中での私は、実在しない妻に対する日常の些細な愚痴や、かけがえのない架空の一人娘の成長を、おしゃべりなおばちゃんに現在も話し続けています。

 きっかけは散髪屋のおばちゃんの勘違いで、私を誰か他の妻子持ちの客と間違えて妻と娘の話をしてきたのですが、その時に人違いだと否定をせず、子供がいるという家庭生活に対する憧れと興味本位から、つい適当に受け応えをしてしまったことから嘘が始まりました。

 しかし、私は自らすすんで散髪屋のおばちゃんに嘘などつきませんし、相手を騙すつもりで嘘をついているのではありません。

 向こうから妻や娘のことを、あれこれと質問されなければ、私からは決して話題にはしないからです。

 要するに私は、38歳にして結婚もせずに独り者でいるという、世間に対する何かしらの負い目や後ろめたさを感じて、消極的に嘘をつき続けているのです。

 できることならば、区画整理や地上げなどによる立ち退きといった何らかの理由で、おしゃべりなおばちゃんが店舗ごと私の前から無くなってしまうか、それともいっそのこと、本当に亡くなってしまってもかまわない、とさえ思っています。

 店を替えれば済む話なのですが、私からしてみれば、店を替えて新たに髪形をリクエストするのが面倒ですし、変な髪形にされるかもしれないというリスクを負うよりも、おしゃべりなおばちゃんに嘘をつき続けるほうが楽なのです。

 以上のように、私は嘘つきな上に面倒くさがりという性分なので、これまで生きてきた中で、何かと不便や不都合が生じることもあり、多少の波風はありましたが、どちらかといえば平凡な人生を歩んできました。

 しかし、今回はそんな性格が災いして、つい苦し紛れについてしまった嘘がきっかけとなり、どういう訳か小説を書くことになってしまいました。

 では、どのような嘘がきっかけとなり、小説を書くことになってしまったのかというと、全ては一通の手紙が始まりでありました。


 その日、仕事が無かった私は午後の1時頃に目を覚まし、歯を磨いて顔を洗っているときに、

「ピンポーン」と、来客を知らせる呼び出し音が鳴りました。

 誰が訪ねてきたのかと、顔を拭いて玄関のドアの前に立ったとき、

「ごめんください。書留郵便です」と、若い男の声がしました。       

(書留郵便?)と思いながらドアを開けると、そこにはニキビだらけの赤い顔をした若い郵便配達員がおりまして、

「西村さんですね」と言って、白い封筒を差し出しました。

 小さく頷いて封筒を受け取り、間違いなく自分の名前が書かれていることを確認したあと、いったい誰から送られたものかと裏返してみると、そこには大阪市北区の住所と、『長谷川法律事務所 弁護士 長谷川健二はせがわけんじ』という文字が印刷されておりました。

「!」

 見知らぬ名前の人物、それも弁護士からの郵便物に驚いていると、配達員はボールペンを差し出しながら、

「こちらに受け取りのサインをお願いします」と言いましたのでサインをすると、彼は満足そうな笑顔で去っていきました。

 あらためて、弁護士から私宛に送られた郵便物だということを確認したあと、何がなんだか訳が分かりませんでしたが、中身についてあれこれと想像してみました。

 清く正しく、とは言えませんが、貧しいながらも社会の隅っこで慎ましく暮らしている私は、幸い借金はありませんし、誰かともめているという自覚もありませんので、弁護士からの通知やコンタクトなど、思い当たる節が全くありません。なので、嫌な予感やトラブルの臭いといった、ドラマティックな展開などは想像しませんでしたが、直感的に(新手の振り込め詐欺か?)という思いとともに、そんな身に覚えのない郵便物は、中を見ずにそのままゴミ箱に破棄しようかと思いました。

 しかし、振り込め詐欺がわざわざピンポイントで、しかも書留で送達してくるとは考えられませんし、もしも本当の弁護士であった場合、なにか重要な事項が記載されている可能性が高いですし、無視した場合は何らかの不利益を被るかもしれません。

 そして、何よりも後で、自分の想像以上に面倒なことになっても困ると思い直して、中身を確認することにしました。

 密封された封筒の口を指で破くと、中には薄いブルーの便箋が2枚入っており、とても綺麗な文字で文章が書かれておりましたが、

「?!」

 出だしの一行目で、送り主となっている弁護士が書いた文章ではないことが分かり、ますます頭の中が混乱してしまいました。

 この手紙を書いた人物は、私の20年来の友人で、2ヶ月前にとつぜん行方不明となってしまった、福山章浩ふくやまあきひろこと、通称アキちゃんが書いた手紙でありました。

 訳の分からないまま、全ての文章を読み終えたあと、アキちゃんが私に対して何を訴えかけているのかが理解できなかったので、内容を確認するためにもう一度初めから読み返しました。

「?」

 しかし、当事者である私自身が二度読み直しても、彼が何の目的でこのような手紙を寄こしたのかさっぱり理解することができず、読み終えたあとに奇妙な印象が残る不思議な内容でした。

 手紙の内容を簡単に説明しますと、まずアキちゃんは突然居なくなってしまったことを詫びたあと、なぜか私がいまやっている仕事とボロ家暮らしを心配して、新たな住居の確保と就職の斡旋といった、生活のサポートを長谷川という弁護士に依頼した、となっておりまして、長谷川はアキちゃんの依頼をすでに了承しており、別荘の住み込みの管理人という、仕事と住む所を用意しているので、封筒に印刷されている連絡先に電話をしてほしい、という内容でした。

 確かに私は、他人様に自慢できるような真っ当な職には就いておりませんので、いつボロ家の安い家賃も払えなくなってしまうかもしれません。

 それにしてもなぜ行方不明となったアキちゃんが、とつぜん私の事をそれほどまで気に病んでしまったのか理解できませんし、彼と長谷川がどういう関係なのかは分かりませんが、弁護士がハローワークと役所の生活支援課が合わさったような訳が分からない依頼を、当人の意思も確認せずに引き受けたのかも理解できません。

 そもそもアキちゃんと私は、身内ではなく赤の他人ですし、20年近くの長い付き合いではありますが、お節介を通り越した彼の申し出の意味が全く分かりませんでした。

 アキちゃんが行方不明といっても、私は彼を心配して捜していたという訳ではありませんし、彼はもともと根無し草のような人物なので、連絡が途絶えてしまった事も特に不審には思っておりませんでしたが、手紙にはアキちゃんがなぜ失踪したのかの理由が書かれておりませんので、いったい彼の身に何が起こったのだろうという疑問とともに、妙な内容の手紙のおかげで、彼の安否を気遣う不安な気持ちが、このとき初めて生まれました。

 タバコに火を点けたあと、自分なりに彼の申し出の意味を分析して整理してみることにしました。

「・・・・ ?」

 タバコを2本吸い終わるまでの間、角度や視点を変えて一生懸命に考えましたが、やはり手紙の内容を理解することができなかったので、ここはひとまず気分を変えて、散歩がてらに残り少なくなったタバコを買いに出かけることにしました。

 季節は今、本格的な梅雨を迎える前の初夏です。

 私が暮らしている兵庫県伊丹市は、大阪の中心地の梅田と、神戸の中心地の三宮のちょうど中間地点に当り、市内全域が利便性の高いベッドタウンです。

 皆さんはご存じではないかもしれませんが、実は何を隠そう伊丹市には、関西の空の玄関口である伊丹空港(大阪空港)がありますし、なんといっても日本酒(清酒)発祥の地という伝説があることで、全国の一部の日本酒愛飲家たちには知れ渡っております。以上。

 道すがら、手紙の内容を思い出しながら、これから自分が執るべき行動を考えていました。選択肢は三通り考えられます。

 一つ目は、アキちゃんが弁護士に託した要望に応えるということで、二つ目は、それらの要望を無視するということです。そして三つ目は、長谷川という弁護士に電話をして、まずは先方の様子を窺い、相手の出方次第で臨機応変に対処するということです。

 ある出来事がきっかけで、5年前から世間の端っこでひっそりと孤独な生活を送っている私にとっては、三つの内のどの道を選んだとしても、今の生活が大きく変わるというわけではありませんし、手紙に書かれていることが本当であれば、私の暮らしぶりは今よりも安定して楽になるだろうと思った時、中学2年生の少年Aというバカ息子のおかげで、残念ながら店頭販売をしなくなってしまったタバコ屋の前に到着しました。

 どうでもいい話なのですが、なぜ彼がバカ息子なのかというと、A君は4ヶ月前、空き巣を働いて現行犯で警察に補導されたあと、5件もの余罪を白状したからです。

 A君が少年院から娑婆に戻ってきたとき、今度はちんけな空き巣などではなく、銀行を襲うようなナイスガイに成長して戻ってきてほしいという願いを込めて、自動販売機に恭しくタスポをかざして、メビウス10を3箱買いました。

 家に到着後、キッチンテーブルの上に置いていた手紙を手に取り、リフレッシュした気分でもう一度読んでみることにしました。

 アキちゃんは手紙で、私が暮らしている築30年の二階建て1DKのアパートを、

『次にまた、阪神大震災みたいな大きな地震がきたら、そのアパートは必ず倒壊するから引っ越してくれ!』と、大家さんを筆頭に、私や他の住人に不必要な不安を煽るような文章を書いた後、

『別荘は有馬温泉駅の近くにあって、お風呂は温泉を地下から汲み上げてるから、いつでも本物の温泉が楽しめるぞ!』と、自慢げに書いておりましたので、ここで簡単に有馬温泉を紹介します。

 有馬温泉とは、神戸市の北東部の山間に位置する観光温泉街で、今から約400年前、天下人の太閤・豊臣秀吉が湯治場としたことで、古くから全国に知れ渡った、日本最古の温泉のひとつであり、風光明媚な関西の奥座敷としても有名です。ちなみに名物は数々ありますが、『炭酸せんべい』と『人形筆』が有名です。以上。

 次にアキちゃんは手紙で、私の職業について、

『涼介、お前はもう38歳やねんから、いつまでもチンピラみたいなつまらん仕事をせんと、住むだけで給料が30万円もらえるから、別荘の管理人を引き受けてくれ!』と書いた、私の『チンピラみたいなつまらん仕事』について説明させていただきます。

 私は『スロットの打ち子』という職に就いておりまして、具体的にスロットの打ち子とは、パチンコ業界に蔓延る、ゴト師と呼ばれる違法な集団の生業なりわいの中のひとつで、パチンコ店の経営者側に内緒で、店長やマネージャーといった店の現場責任者らと組んで、(中には経営者側と合意の上での場合もありますが)店の営業終了後に行われるスロットマシーンの設定変更の際に、客寄せのために何台かのスロットを客が勝ちやすい高設定にするのですが、内通者がその高設定となった台の情報をゴト師側に流し、情報を受けたゴト師が翌朝一番で高設定の台を押さえて、朝から晩まで打ち続け、勝った金を店側の内通者と分けるという違法行為です。以上。

 では最後に、手紙を書いた張本人である、アキちゃんについて簡単に説明させていただきます。

 アキちゃんは東京の六本木にある、フリーのカメラマンを多く抱えたマネージメントオフィスに所属しているプロのカメラマンで、主に人物の撮影を専門としており、大手芸能プロダクションなどが有望な新人アイドルや、女優の写真集を売り出す場合、我先にと挙って彼に撮影を依頼するほどの、写真業界や芸能界では名の通った、41歳のカリスマ的な存在のカメラマンです。以上。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る