終章

「なぁ、ソラス、愛七。

 なんで一番の功労者である僕が、お祝いパーティーの主役とも言える僕が、一人で食材の買い出しに行かされてるんだ?」

 ため息をついて愚痴をこぼしている真也は、世界樹の三階にある天神デパートにやってきていた。

 人質事件の三日後、特寮生たちは十分に休暇をとって各々の心の傷を癒していた。

 そして、学校側から許された最終休暇日である今日、「全員生還おめでとうパーティー」とやらをすることになっていた。

 真也は特寮のメンバーの中で最も新入りということで買い出しの役目を押し付けられたのだ。

『マスター、それはマスターが新参者だからでしょう?

 新入りの義務って言われてたじゃないですか……』

『ソラスさんったら、真也様へのサプ……』

『愛七さんっっっ!? それは……』

 ソラスが真也をたしなめ、愛七も何かを言おうとする。

 が、愛七の言葉は途中でソラスに遮られた。

「? なんだよ、愛七! 最後まで言ってくれよ!」

『ピュ〜、ピュピュピュピュ〜ピュ〜ピュピュ〜』

 愛七はブレフォンのコントローラーであるイヤコンから、電子音でリアルに上手い口笛を流すだけでごまかそうとする。

 真也は言いたくないならいいか、とも思った。

 愛七は隠し事が多いので突っ込んでいたら切りがないとおもったのだ。

 それに、普段なら突っ込むところなのだが、数日前まで戦闘によって人を殺しまくったからか、数日間あまりネチっこくない性格になっているのだった。

 真也は変人という印象を周囲の人間に与えながら三階の内部及び、総合フロア、つまり世界樹全体の階を移動するためのエレベーターを待った。

 尤も、一般人は六階以上に立ち入ることができないので、ボタンが表示されるディスプレイに二階、天レールのセントラルターミナルから五階、総合体育館以外のボタンはないわけだが。

 真也は天大府高生として、七階の魔道図書館、八階に入る権利を持っていた。

 現代のブレフォンは歩き電話や立ち電話による危険排除のために場所によっては使用者が座った状態でないと電話に出られないようにする機能が付いている。

 つまり、彼は完全にナビ用人工知能か何かに公共の面前で愚痴をこぼし談笑する人間だと思われていたのだ。

 真也は三階の中の最上階からエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターの中には他に人がいない。

 平日の十一時前という時間帯ということもありデパート自体に人は少なかった。

 真也はエレベーターのボタン表示ディスプレイに自分の右手を押し当てた。

 これでスリープを解除する。

 もし、軍関係者などであればここで生体認証され、六階のボタンが出現し、天神大学の生徒、通称、天大生なら八階の浮遊島行き飛行船発着場のボタンが出現するわけだ。

 真也は買い物を終えていたので、二階のボタンをいつも通り押そうとして奇妙なことに気づいた。

 ディスプレイに見たことのない文字が表示されていたのだ。

原罪オリジナル反応を確認。

四巴関係者様、ようこそ世界樹へ。』

 という文だった。

 エレベーターの扉は閉ざされ、何故か愛七の声が聞こえなくなる。

 ソラスの声も聞こえなくなっていた。

 先ほどの文字が消え、続いて別の文が表示される。

『十、九、六、一階、B一階、B二階を追加します。』

 それは世界樹の全階層へ行ける権利を今の真也が持っていることを示していた。

 十階は太陽系連盟会談場、九階は天神理事会会議場である。

 そこは、ほんの一部の人間しか入ることは許されていないし、当然真也はその権利を持っていない。

 六階の天神軍総司令部は入ったことがないわけではないが、入学式前日の不祥事で呼ばれた時に審問を受けただけだ。

 そして、さらに奇妙なのが一階である。

 世界樹の一階はセントラルターミナルではなく、その下、地上に露出した根の下にある皇城のことだ。

 こちらも当然真也ごときが入れる場所ではなかった。

 そして、それ以上に奇妙な点がまだあった。

 それが『B一階』と『B二階』だ。

 そんな場所の存在を真也は知らなかった。

 世界樹の地下階となるとそれはすなわち皇城の地下ということになる。

 そんな場所があることは公表されていない。

 真也は迷い、結局好奇心に負けて地下一階のボタンを押した。

 魔術技術による高速降下でエレベーターが降下していく。

 表示が二階を示し、そしてエレベーターさらに降下を続けた。

 しかし、表示はそれ以上数字を下げず、整備中となる。

 いよいよもってきな臭かった。

 尤も、真也が皇城の住人という立場なら移動を知られないために同じ仕様にするだろうが。

 皇城を囲む数十本の地面と世界樹の下部を繋ぐ柱がエレベーターだったのか、と真也は一人、納得していた。

 そして、浮遊感が一瞬真也を包んですぐに止む。

 エレベーターの扉が開いた。

 扉の外は暗い。

 真也は恐る恐る一歩踏み出した。

 背後で扉が閉じ、暗闇に明かりが灯る。

 通路が少し先まで続いていた。

 通路は無機質な壁で閉ざされており、その先には厳重に固定された扉があった。

 真也は両手の買い物袋を床に降ろして回転式のロックに手をかけた。

 すると、大した抵抗もなくロックが外れ、扉が開く。

 隔壁のような扉を開けると同時に明かりが灯った。

 その中には広大な部屋になっていた。

 中央には緩やかな傾斜で六つの円柱状の水槽が六角形の対角線を描いて置かれている。

 近づいて見ると、そのうちの一つは空で、残りの五つには純白の髪を持つ人間が入っていた。

 慌てて一歩下がった真也の目の前でタッチパネルらしきディスプレイに明かりが灯った。

 文字が、文章が流れていく。

 真也はそれをただ、何もできずに眺めていた。

「旧人類(天部)の復活計画?」

 呆然と真也はつぶやく。

『我々、天ノ原一族は、かつてこの世界ではないどこかに確かに存在したとある一族の負の罪人の末裔である。血は薄くなり、一族の知恵も失われた。…………

 『崩壊』は決して偶然によって起こった現象ではない。過去、遠い遠い過去に幾度となく繰り返されたことである。世界は幾度となく滅ぼされ、その度に再生された。…………

 次元震により世界各地に出現した遺跡の内部からは『古の世界』すなわち、過去に滅ぼされた世界のものであると思われる遺品が幾つも発見されている。…………

 おそらく、神の天地創造は二つの位相を交互に転換しそこに新たな世界をデザインすることであると推測される。破壊した世界の上に新たな位相を重ねて次の世界を創る、これが過去に繰り返された破滅の正体だ。…………

 しかし、現在の世界は本来ならば『崩壊』を迎えていたはずだったのだが、一度目は何故か途中で止まり、二度目は七人の同胞によって止められた。…………

 一度目は王国の滅亡時に。あのときには六つ目の封印が解かれ、そこで止まった。…………

 ついでに、一つ前の古の世界は位相震によって落下した人間が証言している。このことは唯一の生還者の供述に基づく『古の世界のレポート』に記載されている朝倉翔朧の供述からも裏付けされている。どうやら古の世界には楽園の人々『天部』の二人である最初の罪人が堕ちた場所であった模様だが、その場所も末裔も大昔に洪水によって滅亡したようだ。今では恐竜類などが残るのみである。これは『世界樹のレポート』及び『旧世代吸血鬼とATVの出処レポート』にも関連がある。…………

 神は歯向かうものを許しはしない、人類はかつて神に歯向かわなかった唯一の種として神のもと、楽園で暮らしていた。…………

 永劫の時の中、天地創造は繰り返された。とある一族はそれをずっと見てきたのだ。…………

 だがあるとき一族の二人の若者が神に背く。楽園の禁断の果実の方割れたる『善悪の知恵の木の実』を食したのである。人類はそれによって知恵、すなわち精神をこの身に宿す器を手にした。神と同等の天地記載の能力の半分を男が半分を女が手にいれたのだ。神は激怒し一族を楽園からそのとき創造しいた世界に追放する。もう一方の禁断から遠ざけるために。…………

 高次元の楽園から低次元への落下の際、一族はバラバラになり位相の狭間へと散らばりそのほとんどが消失したと思われる。ただ罪を犯し『原罪』を背負う二人の若者のみ、古の世界に堕ち子孫を残す。そして二人の子供の兄はさらなる罪を犯し、その末裔は洪水の際に古の世界の位相を脱出する船に黒鳥として密航し、この世界に彼らの王国を築く。その名は…………。…………

 その後、王国もまた神の怒りに触れたが、崩壊は六つ目の封印が解かれた時点で止まっていた。その王国の栄えていた大陸の消失のみで決着したのだと思われていた。神は何をためらったのだろう。過去の大量の世界を滅ぼせて、現在の世界が滅ぼせない理由は何だ。…………二度目の危機はこのようにして去っている…………

 そして、その続きは2077年に地球を襲った隕石の落下。この世界における二度目の『崩壊』現象。次元震の発生。たまたま七人の現在の継承者、我々天ノ原と同じ、王国の末裔に世界は救われたがこの時、神は本気だった。同年、四巴の内の彼らが英国王室との合同実験で『賢者の石』と『不死者』の開発に成功している。これは偶然だろうか? かつてとある一族が楽園を追われた理由である『善悪の知恵の木の実』と対をなすもう一つの木の実。人類がそれを食し神と同等の肉体を手にいれることを恐れて封印した『生命の木の実』。不死を与える実。……これを手にしてさらに神に近づいた人類を滅ぼそうとしたのではないだろうか……。…………』


『別途「賢者の石と不死者」のレポート

 「現実界と精神界を隔てる境界の彼方に無限に等しく存在するアストラルの流動世界。そこから罪によって人類が得た器に注がれる固有精神とそれと意識領域、五識の境界を取り仕切るゲート、末那識を通じて現世界へ通じる。…………

 固有精神内に英知の石板の複製を構成し…………』


『不死者はすべて新罪、アナザーシンを背負っている。不死の肉体を得た代償に存在の消去、厳密には他からの認識の排除…………

 そして現在に至るこの世界における破滅の危機はすでに二度も起こっている。今の世界は二度の崩壊を無理矢理に誤魔化し、人類が手にした力によって強制的に引き伸ばしたものでしかない。神は近い内に再び崩壊を再開するだろう。だが我々とてその運命を受け入れるわけにはいかない。かつてどの世界においても成功しなかった神への抵抗を、運命への革命を、人類を導き、大切な人々を守り、世界を救うために…………。…………

 そのために我々はとある一族を復活させる。これが旧人類(天部)復活計画である。…………

 次元震によって出現した歪みを調べ、出現した遺跡を調べ、楽園を追われて別の位相に散らばった五体のとある一族の確保に成功した。確保時、すでに彼らの意識はなかった。生命活動こそ維持されているものの、現在も天神の地に保存している。…………

 我々は近い将来に起こるであろう、神との戦いに備えて準備を進めなくてはならない。天ノ原以外の王国の末裔も動き出しているかもしれない。崩壊を生き延びるのが神の民のみだというのは傲慢だ。神に刃向かう我々には生きる権利もないというのか?…………

 我々はとある一族を復活させ、我々の精神が確保する精神界の奥に存在する『世界の記述』の情報を読みだしてもらう。そのためには一つ上の次元に存在する彼らの視力が必要だ。四次元時空を視る力が。そうして、世界の記述へ迫るのだ。次元超越物質アストラルとそれを持たない視点が。…………

 とある一族の復活はほぼ完了している。…………

 最初に確保した一人の少女に偽りの精神『模造(聖守護)天使』を埋め込み、おそらくは全く異なる感性を持つであろうとある一族との橋渡しをしてもらう。予定だった。より正確には最初の一体に中途半端な人の心を埋め込み、その一体に他の五体をコントロールさせることで彼らの暴走を防ぎ、すみやかに神への対策を立てる。…………

 少女は朝倉翔朧とともに発見された少女。この少女に偽りの精神を埋め込んだ。しかし、偽りの精神はまともとは言えない。自閉症のようになっている。皇城で育成するが成果なし。…………

 イレギュラーが発生した。だが好都合だ。『……』によって精神が分譲され、少女は本物の心を手にした。とある一族は成長速度が人類の十分の一くらいしかなかったが『……』に精神、つまり本物の心を分譲された時から普通の成長速度になったので、精神に何か違いがあるようだが……。…………

 守護天使、内なる天才、叡智への接続者。アレイスタークロウリーや黄金の夜明け団を始めとする神智学でいうこれは精神を指す。精神はすなわち精神界の奥にあるアカシックレコードと我々を繋ぐものになりうる。そしてその知識を読み取るのが彼らであり、彼らが読み取ったものを我々に伝えるインターフェイスこそが彼女である。…………

 少女はこの『旧人類(天部)復活計画』の要である存在だ。彼女は『知能の新体制への相互接続点Intelligences New Oder to Reciprocal Interface』、コード『INORI』である。名前は四巴祈いのりとして現在も皇城で暮らしている。…………

 彼女を使い、未だ休眠中の五人を目覚めさせれば我々はまた一歩神へ近づく。それこそが我が一族の、そして『四巴』の宿願につながることを願う。』



 真也はそのあまりに大量の情報を読んで言葉を失った。

 ただ呆然として立ち尽くす。

 真也そんな自分の姿をどこかで見たような気がした。

 その時、不意に背後で数人の人間が駆けてくる音がした。

 真也はその情報とあるはずのないデジャヴについて考えようとして、背後に立った男性に首に手刀を入れられる。

 床に崩れ落ちる自分の体をその男性が優しく抱きとめる。

 その男性の髪は毛先が白く変色した黒だった。

 男は真也を悲しそうに見つめる。

熾天使セラフは別にしても、これは、原罪オリジナルと救済の制約呪は天ノわれわれが背負うべきものだ。

 君が負う必要はないよ」

 そこで真也の意識は完全にフェードアウトした。

「天ノ……天神真也のこの場所と原罪オリジナルに関する記憶を抹消しろ」

 意識を失った真也を抱えた男性は後ろに控える部下に命令する。

 部下たちは真也を連れて部屋から出て行った。

 自分以外、誰もいなくなった部屋で弌夜は尋ねる。

「愛七、いや愛三、それとも結菜おば様といったほうがいいですか?

 なぜ、彼をここに入れるのです?

 もう、この十年で六度目だ……。

今回は原罪を発動してしまったから、どうあっても記憶の削除は免れないかったが……」

『…………』

 その答えが彼のイヤコンからもたらされることはなかった。




 天神島の西の海を一人の少女が

 なんらかの魔道を使用しているのだろう。

 彼女は桜色の髪を風になびかせて、三日前に真也が再生した駆逐艦があった辺りを何度も往復していた。

 まるで、彼の行使した『原罪の力オリジナル』の残滓をたどるかのように。

 彼の精神の時間軸を超えた位置を読み取るように。

「兄上、真也のトモダチをらちした敵を許すどころか救うなんて……、相変わらず優しいですね……。兄上なら、真也とちがって真夜兄上なら、敵をも救われても不思議ではないです!」

 少女は今の時間軸にそこには存在しない彼の存在に語りかける。

 彼女の眼は確かに彼を捉えていた。

「真夜兄上…………。祈は寂しいです………………」

 少女の声が夕日に溶けていく……。




昔々、この世界がまだなかった頃

神は無から世界を作りそこに様々な種族を生み出しました

しかし、決まって彼らは神に歯向かうのです

何度創り直しても 何度造り直しても

結果は変わりませんでした。

しかし あるとき神はついに見つけたのです

世界の隅で 他の種族に怯え 隠れ ひっそりと暮らしていたいきものを

そのいきものは神に従い 神を崇め 奉りました

神はそのいきものを好み そのいきものに自分と同じ形を与え 人と名付けました

しかし人以外の種はやはり神に抗い 神はまた世界を創り直します

神は思います 人まで消してしまうのは惜しい と

そこで 神は 楽園を造り そこに人を招きます

その後 神は世界を創り直しました

なんども なんども

次第に楽園に住む人は増え やがて彼らは一つの一族となりました


あるとき神は知性を持つ種を人に限定した世界の創造を試みます

こうしてこの世界は生まれたのです

しかし そんなときに 人もまた神に抗うことがわかったのです

とある一族の二人の若者が楽園で犯した罪 

それは 知恵の果実を食したこと 

二つそろえば神とも成り得る 二対の果実の片割れを

神は激怒し 若者と一族を楽園から追放し 命の果実を封印しました

一族はこの世界に堕ちる途中で散りじりになり

罰を受けた二人の若者のみ この世界にたどり着きます

これがこの世界における人の世の始まりです

潔白の白は 汚れ色付き

その殆どが 罪に汚れる

ほんの一房残った白髪のみがかつてのかれらの名残

必死に贖罪し 老いた者は 罪が流され 無垢の白髪を取り戻す


二人は人類を育て 教え 導きました

やがて人々は二人を 人類の祖と呼び讃えます

しかし その後彼らの子孫は神の怒りに触れて洪水で滅亡します

ほんの数人がその災害を生き延びました

そして彼らは船にのってこちらの世界に渡ります

その中に黒鳥に化けた罪人の子孫がいました

彼らの子孫は王国を築きますが その王国も神の怒りに触れて滅びます


 

そして 長い長い年月が流れた



そして『崩壊』の年 人類は二つ目の果実へ手を伸ばす

神は再び荒ぶる 

不死に 命の果実に 手を出した 人類に

天罰を 神の怒りを 振り落とす

彼の手によって封印が解かれ 

世界を絶望が覆い 崩壊の時が始まる

四人の騎士が 世界を混乱に導き

不当に失われた者たちの祈りが 神に届く

天変地異が 世界を破壊し 人は恐怖に慄く

七つのラッパ吹きが 空から姿を現し 

終末の音が世界に響く

炎を纏った雹が落ちて 

海が朱に染まり

彗星が世界を破壊する

星と月と太陽が弱まる 

堕ちた天使が世界に穴を開け タルタロス奈落の底から滅びの風が吹き 苦痛が世界に撒き散らされる 

しかし かつての二人が犯せし原初の罪は受け継がれ 

七つの血脈が目を醒ます 

七人の王国の末裔は崩壊を止めた

そして世界は存続する

かつての終末の延長をさらに延長して

彼らは彼らの祖が王と交わせし七つの誓いを呪いに変えて

強大な熾天使セラフをその器に封印した



民ヲ導ケ 神ニ抗エ 運命ヲ覆セ 夢ヲ此ノ手ニ 愛スル人ヲ護リ抜ケ

在ルベキ物ヲ在ベキ姿ニ 世界ヲ此ノ手デ救イ出セ



これは神に、運命に抗った罪から始まる

 終わりを否定した世界に生きる人間たちの物語………………。





 島の北西部、海道町の中心から少し北に外れた一帯は丘陵地帯になっている。

 その中の一つの丘に特寮は立っていた。

 小さな丘ひとつが丸ごと特寮の敷地になっていて、内部には本館や別館の他にも訓練場、実験場、室内プール、温泉など豪華な施設が揃っている。

 真也は両手に野菜や果物、食肉でいっぱいになった買い物袋を持って門の内側にある本館への坂道を登っていた。

 どうやら自分はデパートの休憩スペースで眠ってしまったようだ、と真也は後悔やら羞恥心やらを感じているのか、足取りは重かった。

 今考えてみれば、何があっても時間を潰して六時ごろに帰って来いと言われていた気がするので結果オーライとも言えるかもしれないが、どうも寝る前後の記憶が曖昧で思いだせない。

 真也は自分の寝ぼけた思考を頬を叩くことで起こそうとして、両腕を重いバックに占領されていることを思い出した。

 だらだらと特寮への道を歩く。

 自分はこの寮に来て三週間ほど経つにもかかわらず、まだここのメンバーに認めてもらえていない、と真也は感じていた。

 縁起でもないが、、自分の存在を認めてもらえるかもしれない、と考える。

 救う、という言葉に何か引っかかりを感じたが、違和感はすぐに消えた。

 もしかすると、真也の中の彼に縁のある言葉なのかもしれなかった。

 が、現実はそんなに甘くないと、真也は思い直す。

 偶然、敵が攻めてきて自分の価値を特寮の人たちに見せる手助けをしてくれるわけがない、と。

 なんにせよまだ、自分はここの人たちに必要とされていない。

 そして、これから必要とされるために頑張らなければいけない、と真也は決意した。

 本館への坂道を登り終え、真っ暗になる前の黒みがかったブルーの空と針葉樹の影に囲まれる特寮、本館に真也は到着する。

 ガラス張りの食堂はカーテンが敷かれており外から中の様子が見えなかったが、そちらの方から何かを楽しみにしているような笑い声が外にもかすかに漏れてきていた。

 やはり、自分はまだあの輪の中には入れてもらえないようだ、と真也は考える。

 そして、真也は少し玄関の前で立ち止まって空をぼーっと見た後に、ドアベルを押そうとして両手が塞がっていることを再び思い出し、頭で強引に鳴らすことにした。

 斜め方向に引かれたドアベルが中途半端な音を鳴らす。

 ドタドタと廊下をかける音がした。

 どうやら、全員で出迎えてくれるらしいことを真也は不思議に思う。

 食堂からの遠隔操作でもドアのロックを解除できるのに。

「「「「「「サプラ〜イズ!!!!!!」」」」」」

 ドアが開かれて、発砲音を平和的にチューニングしたような音が連続して響いた後に特寮のメンバー全員の声が真也を迎えた。

 クラッカーの紙吹雪とテープを四方向から同時に喰らって真也は目を瞬かせる。

 本気で驚いたのだ。

 そもそも自分が何を祝われているのか真也にはわからなかった。

 因みに言うと彼の誕生日は今日ではなかったし今月でもなかった。

 後ろで終湖と響介が持つ横長の電子掲示板には『助けてくれてありがとう』という文字が色とりどりの色で点滅している。

「ありがとう」

「ありがとう」

「ありがとう」

「ありがとう」

「ありがとう」

 終湖が、響介が、颯太が、輝が、礼称が、優果が、友希が、何度も何度もそう繰り返す。

 それを聞いて真也は全てを悟った。

 あぁ、また彼が彼らに認められたのか、と。

 僕はやはり彼を見る人たちの声を聞くことになるのか、と。

 彼らが感謝しているのは自分ではなく彼へだと。

 再度、記憶を失った救済者はそんな誤解を抱いたまま、表面上はいつも通りの笑顔を浮かべて、自分が彼でないことを悟られないようにただ笑って、友人たちに肩を抱かれながら玄関をくぐって寮の中へと入っていった。

 特寮の本館から響く、記憶を失った一人の人間だけを置き去りにした笑い声が暗くなった天神島の夜空に消えていく。

 そして、彼の心はまた一つ傷を負った。

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