第二十九話 セガドール団
深夜だというのに明るく感じる。夜空を見上げると満天の星空が眩しかった。地球とは異なり大気はどこまでも澄みわたっていた。そりゃそうだよな。この世界では化石燃料なんか一切使用しないからな。煤塵も粉塵も一切でないのだ。
そんなクリーンな空の遥か上空を黒い影が時折通り過ぎる。
「おい、なにぼーっと空を見上げているんだ? そうか、もう交代の時間か」
切り立った崖の中腹に大きな洞穴が開いていた。入口の両脇には煌々と輝く魔法の篝火。そこに二人の兵士が立っていた。見張りの兵士だ。一人はまだ年若く、もう一人はかなりの老齢に見える。
「あー、やっと寝れる!」
若い兵士は口を大きく開けて欠伸をすると、ふらふらと洞窟の中へと戻ろうとする。
「待て、まだ揃ってないだろ。これだから、今時のわけーもんは」
老齢の兵士が若い兵士の肩を掴み、その場に留める。
「なんだよー、なら爺だけ待っていればいいだろうに。なあ、あんちゃんもう一人はまだか?」
「ああ、もうすぐ来るよ。何を食べたか知らないが、腹が痛いって便所に篭っているんだ。それよりどうだ? 異常はなかったか?」
俺の問いに欠伸で返す若人。老齢の兵士が代わりに口を開く。
「いつも通りだ。ワイバーンどもは煩いが結界の中には入ってこれないからな」
「しかし、よくもまあこんな所にアジトを作るよな」
「全てマテウス様のお力によるものだ」
「ああそうだな。でも俺はアレが近くて怖いよ」
標高五千メートル級の山々が連なるモリール山脈。この洞穴はその麓に位置していた。西を見下ろすと見渡す限り深い闇が横たわっていた。人族など他の種族が住む大陸と魔族の大陸を分かつ死の谷だ。
「ははは、あんな谷なんてうちの幹部陣たちにとっちゃ大した脅威でもないさ」
「そうなのか? 強い魔物がゴロゴロと出るんじゃないのか」
「ワイバーンもジェバゴーレムもレベル三十台後半だ。アースワームの巣はちょっと厄介だがな。それでもレベル四十さ。余裕だよ。彼らにとってはだがな」
死の谷の恐ろしさでも思い出したのか老齢の兵士は体を震わせる。でも顔は朗らかに笑っているから違和感ありまくりだ。
「うちの大将たちってやっぱ人外だよな」
「人外だと? 馬鹿いうな。ああ、お前みたいな坊主だと知らないのは仕方ないか。副団長のマテウス様はレベル五十台、団長のガウラ様に至ってはレベル六十台だぞ」
「まさかそんなに強いとは……」
「団長は超越者だからな。うちの幹部連中は勇者パーティが来ようが魔王軍が襲ってこようが互角に渡り合える。俺はそう確信しているぞ」
「ところで、あの攫って来た豚たちってどうなったんだ?」
「ああ、あれはかなりいい金になったようだぞ。飛びきりの上玉の数人は売らずに幹部たちの慰みものになっているようだけどな。今頃も……。ああ、羨ましいこった」
「爺の癖に、あそこだけは若いんだな」
「なんだと!?」
若い兵士がいらぬ合いの手を入れて胸倉を掴まれていた。
「おーい、そろそろ見張りを交代するぞ!」
洞窟の奥から新たに兵士が出て来た。
「おい何やっているんだ。二人も来たら見張りが一人多くなるだろ」
老齢の兵士が新たにやってきた二人の兵士に呆れる。
「あ? 爺さんは何を言っているんだ? 俺ら二人以外にいないじゃないか」
「は? じゃあこいつは誰だ?」
老齢の兵士が俺を指さす。
「「知らねーけど」」
「うーん、ここらが潮時か。まあ、少しは情報を聞き出せたしいいとするか」
俺はパチンと指を鳴らす。
『眠りの妖精よ、迷える子羊たちの瞳に安らぎの砂を、出でよザントマン!』
「お、お前は!? なに者――」
老齢の兵士を含めた四人の兵士はその場へと一斉に崩れ落ちる。
「うわー。これ起きたら地獄じゃないか?」
砂粒が目に入っただけでもあんなに痛いのに。兵士達の瞳は完全に砂で塞がれていた。眼球が絶対に傷つくよね。
「こいつら始末しなくていいにゃ?」
「ああ、どうせただの下っ端だ。組織が壊滅すれば野垂れ死にするだろ」
「それより早く中に入るダ!」
「お前の逸る気持ちはわかる。だが、相手の魔道士が色々と罠を仕掛けているかもしれない。慎重にいくぞ」
「ここまでも罠ばっかりだったにゃ~」
「ああ、ララの危険察知と罠開錠スキルがこんなところで役立つとは思ってもいなかったな」
「暗い過去を思い出すから止めて欲しいにゃ……」
そういえばララはやたらと物騒なスキルを持っていたんだよな。最近は完全に幼女キャラ(年増だけど)になっていたから忘れていた。呪いを受けていたといい、過去に一体何があったのだろう。
「とにかくここで話をしていても仕方ないわ。中に入りましょう」
「ああそうだな」
「おっとそうだ」
俺は後ろを振り返る。誰もいない闇の森に向けて俺は手を振る。
「みんなここまでありがとな」
『頑張ってね~』
『お礼は十倍返しだからね~』
『帰ってきたら魔力吸わせてね~』
魔族の大陸も向こうの大陸と変わらない。自然で満ち溢れている。当然、あちこちに妖精たちがいるのだ。彼らに探したい相手の特徴を伝えるとすぐに見つけてくれた。なんて便利な諜報員。あとで色々と見返りを求められるだろうけどね。
洞窟の中を慎重に進む。五分ほど歩くと壁に突き当たった。行き止まりにはどこかで見たような青白く光る水晶があった。
「ダンジョンのゲート?」
「いやマジックアイテムっぽいにゃ。でもそんなものが存在するなんて聞いたことないにゃ」
「いずれにしても触れるとどこかに飛ばされるってことか?」
「そうにゃ」
「転移したら囲まれていましたってのは最悪だな」
「でも触らないと前に進めないわよ。みんなで一斉に触りましょ」
「まあ、それしかないか」
手を繋ぎ水晶を囲むように輪になる。ただし水晶を背にしてだ。
「いいか、転移したらみんなの背を合わせるんだ」
「わかったダ!」
最悪、囲まれていても正面からの攻撃であれば対処できるだろう。それぞれが英雄級のレベルなのだ。
「じゃあいくぞ」
後ろ手に水晶へと触れる。水晶が強く輝き、青白い光が俺らを包み込む。一瞬、視界が暗転する――。
「眩しいダ!」
「昼間にゃ?」
「もしかしたら異なる大陸なのかもしれんな。時差だろうな」
さすがに時空転移をしたとは思えない。
「しかし、これは想像以上ね……」
転移した先は高台だった。眼下には大きな砦。頑丈そうな高い塀の中は石造りの建物で犇めき合っていた。
「犯罪グループとかのレベルを超えているにゃ」
「ああ、これはもう自治組織だな」
人口も千人は下らないだろう。
「あそに門が見えるけど、簡単に通してくれるとは思えないわ」
「まあ、そうだろうな」
「力で押し通るにゃ?」
「いや……。さすがに全員を敵に回すとやっかいだ。俺に考えがあるからついて来てくれ」
高台から砦へと続く道を逸れ、木々が深く生い茂る森へと入る。急な傾斜を下っていくと、あるところで急に森が途切れた。目の前には高さ五メートルほどの塀が聳えていた。
「どうするにゃ?」
「オーグ、ちょっとこっちに来てくれ」
「なにするダ?」
「とにかく後ろを向いてくれ」
「こうか?」
「そうそう、そのまま両手を広げるんだ」
俺はオーグの脇の下から両手で体を掴む。
「な、何するダ!?」
「アイキャンフライと言ってみろ」
「ぶひ?」
「違う。アイキャンフライだ」
「わ、分かったダ……。ア、アイキャンフラァアアアア!?」
空を飛ぶブタ。お、上手く塀も超えられたようだな。しかし、ちょっと高すぎたか。気づいた時には点になっていた。
「ウァァアアアア!」
叫び声とともに落ちて来たオーグ。一瞬で塀の向こうへと消えた。すぐにバシャーンという大きな水飛沫が聞こえた。
「うん、場所は合っていたみたいだな。向こうに池のようなものが見えたんだよ」
「ズレていたらどうする気だったにゃ?」
「水深が深いとも限らないわよね」
「細かいことは気にするな」
あいつのHPはいまや勇者に迫る勢いだ。例え水がなくともこんなことで大したダメージは受けない。精神的には知らんけどね。
「ねえ、あれを私達にもやる気?」
「に、にゃぁ!?」
ララが逃げ出そうとしたので後ろから首根っこを押さえた。前から掴むとまた顔を引っ掻かれかねないからな。
「いやにゃ!? ララは高い所が嫌いにゃ!」
「おい、ジタバタ暴れるな」
そもそも、お前は猫の獣人だろ。身のこなしで何とかできるだろうに。
「ルシアは俺の手に掴まってくれ」
「あ、うん。ゆっくりでお願いね」
ルシアはわかっていたようだ。
「浮いているにゃ!? カイトっち! 飛べるなら先に言うにゃ!」
「言おうとしたが、すぐに逃げようとしたじゃないか」
塀を超えると、眼下に池が広がっていた。
「ほら、深かったじゃないか」
「いいから助けてあげなさいよ」
池の水面で、豚が必死にもがいていた。
「オーグ。お前、プリスマ祭りの食材調達の際に水泳スキル覚えていただろ」
「あ、あしが、つて……」
ああ、運悪く足が攣ってしまったのね。
俺は池の畔に二人を降ろすとオーグを迎えに飛んでいく。世話のかける奴だ。ん? これって。
「あ……た…たすけ…ぐぼ……た…す……」
溺死寸前と思われたオーグの隣へと立つ。
「げほ、げほっ! か、カイドぉ……た…たすかっ……た…ダ……」
オーグが必死に俺にしがみ付いてきた。
「なあ、オーグ。俺は立っているんだけど」
「隣に立ってくれて助かったダ!」
「いやだからさ。立てるんだってば。この池の水深、膝上までしかないぞ」
「えっ……。あ、あれほんとダ! 立てるダ! これで溺れなくてすむダ!」
飛沫をあげなら、大喜びした豚がルシアとララの方へと走り出す。
「おい、足を攣っているんだろ? 無理するなよ」
「何言っているダ? オラは足がついて泳げないって言ったダ」
いやいや、足がつくのわかっててなぜ溺れるのだ……。
「あいつ大丈夫か。落ちた時の体の痛みでもわかるだろうに。腹が池底に当たっている時点で気づけよ」
無駄に服を濡らしてしまった。俺はため息を吐きながら皆が待つ所へと戻る。
「ちょっと時間を食ってしまったが、そろそろ行くとしようか」
「ねえ、オーグも一緒に抱えてこればよかったじゃないの」
「三人だと重いから無理」
「往復すれば良かったじゃないの」
「めんどくさいからヤダ」
そもそも何が悲しくて男と手を繋がなきゃならないんだ。
*****
「おうおうおう! 今日の目玉はこのミスリルの武具セットだぜ! なんていったって、あの有名な聖騎士団の正規品だ。いまなら百万ジェンと相場の三分の一だぞ!」
「なんだよ傷だらけじゃねーか。胸の所は鋼の継ぎはぎだしよ」
「仕方ねーだろ! 突き殺したときにぶっ壊れたんだから」
「パチもんじゃねーか! ミスリルの鎧がそんなに脆いわけねーだろ!」
「ギルウェーの野郎が力任せにやりやがった所為だ」
「ああ……。なるほど」
周りの連中が皆、納得したように頷いていた。誰だよそいつ。なんかうち筋肉馬鹿と同類の臭いがするな。
「ほんとにこれはもう街だよね」
砦の中にはガラが良いとは言えないが市場まであった。武器、防具、マジックアイテムから日用品や食料に至るまであらゆる店が軒を連ねていた。ほとんどが盗難品や闇市場のもののようだ。
「小さな子供や女性もいるにゃ」
「ああ……」
そうなのだ。市場のあちこちで子供達が集団で遊んでいるの見かけた。娼婦のような女性も見かけるが、一般人としか見えない女性の姿もチラホラ見かける。
「これは、少し考えが甘かったかもしれないな」
犯罪グループを襲撃して壊滅させればいいとだけ思っていた。しかし、どうみても犯罪者とは思えない一般市民の姿も多いのだ。むしろそちらの方がが多いかも。こうなると、さすがに皆殺しにするわけにもいかない。
中央通りをさらに進んでいくと広場のような場所に出た。砦の中心だろうか。広場沿いの一際大きく煌びやかな建物に目を奪われた。
「あ、あでは!?」
「おい! 待て!」
駆けだそうとするオーグの肩を掴む。くっ、凄い力だ。
「オラの、オラの仲間が!」
その建物の軒先には大きな檻が幾つも並べられている。そのなかに数人の豚獣人の女性の姿があったのだ。
「いいから落ち着け! いま騒ぎを起こすわけにはいかないだろ」
「離してけれ! 奴らを皆殺しにしてでもオラは仲間を助けるダ!」
くそっ、興奮したオーグは冷静な判断が出来そうにない。眠らせるしかないか。
「くふっ、物騒なことはやめてください。それより人族と獣人族が変装なんかして珍しいですね」
背後からそう声をかけられた。ギクリとして振り向くと、そこには片眼鏡をかけた若い青年が立っていた。
「お前は? 誰だ」
「くふふふ、街の結界に僅かに反応があったと思ったら、やはり鼠が紛れ込んでいたようですね」
「にゃっ!? そんな物には気づかなかったにゃ!?」
「くふふふ、私のはちょっと変わっていますからね」
不味いぞ。こんな街なかで戦闘するわけにはいかない。しかもこの男から漂う雰囲気。どうやらただ者ではなさそうだ。
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