第二十七話 魔族の国(前編)

「らっしゃいらっしゃい! 今日のトマトは最高に美味しいよ! ほらそこの可愛……。お、お嬢ちゃん。試しに食べてみるかい」


 竹串に刺したクシ切りトマトを片手に持つ八百屋の親父。愛想の良い言葉とは裏腹にその紫色の顔を不機嫌そうに顰めていた。どうやら試食用のトマトをララへと渡そうとしているようだ。なに考えているんだこの親父。薄気味悪い奴だな。


「喧嘩売ってるにゃ? そんな熟れてもいないトマトなんか食べれないにゃ!」


 うん、確かにどうみても青緑色のトマトだよな。嫌がらせとしか思えない。まさか俺たちが人族と獣人族だってバレたんじゃないだろーな。


「何を言っている? 見てみろ。赤いところなんか一つも残ってないじゃないか?」

「渋くて食えないにゃ!?」


 ララも食べ物なら何でもいいわけではないようだ。しかし、なんだその言い回しは。なにかが引っかかる。


「まあ待て。なあオーグ」

「なんダ?」


「とにかくアレを食べて見ろ」

「え”!? いまの流れ、オラまったく関係ないダ!」


「内情視察の一環だ。いいから黙って食え。何のためにお前を連れて来たと思っている。それでも毒見担当か!」

「そんな役割は聞いていないダ! あんな見るからに不味そうなの食べたくないダ!」


「なんだい二枚目の兄ちゃん。嫌だ嫌だといいながら笑っているじゃねーか。正直に食べたいっていえばいーのに。ほらよっ!」


 親父は相変わらずの渋面で、オーグの口へと熟れていないトマトを放り込む。


「し、渋っ――。あ、あれ!? 渋くないダ……。むしろ甘くて美味いダ!」

「やはりそうだったか。親父、それを三つ売ってくれ」


 俺は親父をこれでもかと睨みつけながら硬貨を渡す。


「まいど! これでいいか」


 親父も俺に顔を寄せてトマトを渡す。


「ちょ!? なに店主と睨みあっているのよ! 大人しくしろっていったのカイトでしょ!」


 ルシアが慌てて店主から俺を引き離す。


「まあいいから、騙されたと思ってお前らも食ってみろよ」


 ルシアとララにトマトを手渡す。二人とも目をギュッと瞑ってトマトに齧りついた。まあ、見た目がね……。


「おお、甘くて美味しいな」

「あ、ほんとだ。すごく瑞々しくて甘い……。これは確かに完熟トマトだわ」

「嘘みたいにゃ!」


「当たり前だ! 本日一番の野菜なんだからな」


「親父、あそこの青いミカンも食べごろか?」

「ああそうだぞ」


「オラだけ試食分しか食べてないダ! あ、このバナナは美味しそうダ」


 オーグは黄色に熟れたバナナを掴み。皮を剥いて口に咥えこんだ。お前さ、なに金も払わずに商品を勝手に食ってやがる。


「ぶはっ!? 何ダこで……。し、渋くて硬いダ!」

「彼は何をしているんだ。熟れてないバナナを笑いながら食べとる。顔は良いのにお笑い志望なのか?」


 なるほどね。わかったぞ。


「オジサン、ここの野菜も果物も見た目は悪いけど美味しいね」

「ほんとだにゃ~」


 青いミカンを頬張りながら二人は親父に微笑みかける。だから金を払ってから食えって。あ、それよりもそれは不味い。


「お前ら! まさか営業妨害か! この悪人面の女どもが。商品の見た目が悪いとか難癖つけて食べたミカンの代金を払わねー気だな。おい警備隊! こっちに来てくれ盗人だ!」

 

 高笑いでもあげそうな顔で八百屋の店主が叫ぶ。道端の人たちが何だ何だとこちらに注目をしはじめた。


「おい! ここから離れるぞ! 親父さん、ちゃんと商品の金は払うし。あと本当に美味しかったよ」


 八百屋の親父にメンチを切りながら硬貨を渡し、二人の手を引いてその場を離れる。


「お、オラを置いてかねーでくれ!」



「はぁはぁはぁ……。ここまでこれば大丈夫かしら」

「な、何が起こったかさっぱりにゃ~」


「お前ら、あれほど騒ぎを起こすなっていっただろ!」

「カイト。なんで笑いながら怒鳴っているダ?」


 あ、そうだった。いまは顔を顰める場面だった。表情を切り替えないと。


「魔族は逆なんだよ逆」

「「「?」」」


「果物の熟れ方が逆だっただろ?」

「ええそうね」

「青い方が甘いトマトって斬新にゃ」


「表情もそうなんだよ」

「「「えっ!?」」」


「よく思い出してみろよ。普通笑っている場面で不機嫌そうだったりしなかったか?」

「あっ、そう言われてみれば……」


「怒る場面では笑っていただろ」

「確かに最後のは大爆笑しているような顔で怒鳴られたからビックリしたにゃ」


「そういうことだ」


「あ、もしかして奴隷の魔族の子だちが嗤っていたのって……」

「ああ、苦しくて辛くて、泣きそうだったんだろうな」


「そんなことって……」

「何事も常識に縛られたらいけないってことだ」


 ということは魔王の事を誤解している可能性もある。嗤いながら人族や獣人族を殺戮していたという噂レベルの話。もしそれが本当だったとしても、少なくともそれは楽しんで殺していたわけではない? うーむ、情報が少なくてよくわからないな。なら――。


「次は酒場にいって情報収集だ。いいかお前ら、表情は逆だからな、間違えるなよ」

「で、できるかしら」

「にゃぁ……」


「特にオーグ! お前がもっとも心配だ。頼むぞ」

「オラ自信がないダ……」


 いや、待てよ。発想も逆転させないと。


「やっぱりルシアとララだ。お前らは特に表情には注意しろ」

「「なんで(にゃ)?」」

「いいから俺のいった通りにしてくれ」


 納得いかない二人を渋々と納得させた。おそらくオーグは少しのことなら許される。一方、二人の美少女たちはまったく駄目だろう。美的感覚も反対なのだろうから。


     ****


「なんにゃ、これ!? 紫色のエールにゃ! とっても不味そうなのにゃ」


 ビールを片手に仰天するララ。そういえば見た目は幼女だけどこのメンバーでは唯一の成人だったな。だがしかし、幼女がエールを煽る姿は倫理的にアウトのような気がする。子供には決して見せられないな。


「私これ飲めないかも……」


 わなわなと震えるルシア。その手はグラスを掴もうとしては引っ込められていた。漆黒の液体がなみなみと注がれていた。まるで墨汁だな。


「味は多分ミルクなんだから大丈夫だろ」


「草汁のような色なのにやっぱり美味いダ!」


 オーグがゴクゴクと飲むのは青汁のようなジュース。トマトジュースだった。オーグにしては珍しく正解の選択だった。一度口にしたことがあるから忌避意識もさほど湧かないのだろう。もしかして、さっき一人だけ試食で終わってしまったのをまだ根にもっていたのか。


 それとオーダーの際にとっても気になったことがある。ウェイトレスのお姉さんがずっとオーグを見つめていたのだ。豚を蔑むような視線で見下ろすブサイクなお姉さんという絵面は凄かったぞ。


「お、これはウマイな。ちょっと違和感はあるが葡萄ジュースに変わりないな。マスカットだと思って飲んだら巨峰だった。そんな感じか」


「カイトなんかそれずるい……」

「少し考えれば分かるだろ」


 反対つまりは補色を連想すればいい。例え想像とは逆の色でも耐えられるものを頼むのがベターだ。葡萄にしておけば、おそらく黄緑、黄色、オレンジのどれかになると考えた。黄色ならポ〇ジュースと思って飲むし、オレンジなら野菜ジュースかな? いずれにしろ見た目的にはオーケーだ。


「しかし不思議にゃ。さっきの店員さんも凄く不愛想だったにゃ」

「あれが笑顔を振りまいているってことなのね」


「そういうこと」



(おい、聞いたか!)

(どうしたそんなに慌てて)


(人族が襲ってくるんだってよ!)

(ええっ!?)


 隣の四人掛けのテーブルから声が漏れてきた。さっきまでは商人風の男一人とその連れの女二人で何気ない日常会話を楽しんでいたのだ。その場に騎士の男が駆けこんで来たかと思うと、興味深い話をし始めたのだ。


「なあ、みんな、ちょっと静かにしようか」


 三人は真剣な表情で頷く。みんな気づいていたようだ。あ、これはちょうどいいかも。周囲からは柔和な食事の表情に見えるだろうからな。


(それで、また以前のように軍隊を編成して襲ってくるというのか)


 商人風の男が怯えたように兵士風の男に訊く。


(あいつら狂ってるぞ。高笑いしながら俺ら魔族を殺していくって上官が言っていた)

(人族と獣人族は快楽殺人鬼。あの噂は本当だったのね)


(ああ……。私、怖いわ……)

(大丈夫! また魔王様が押し戻してくれるわよ!)


(そうだよな。前回も死の谷まで軍勢を押し返し、単身で向こう側の拠点を壊滅させてくれたんだよな)

(でも帰還なされた時には満身創痍で暫く動けなかったそうだ。週に一度の全体訓練の際にも顔をお出しにならなかったくらいだし)


(でも、暫く襲ってこなかったのに……。なんで今更また……)

(おそらくあいつらの所為じゃないか)


(あいつらって?)

(もしかしてセガドール団か? 商人ギルドでも噂になっているぞ。豚獣人の奴隷が闇市場に出回っているって。その報復行為か?)


 ガタンと音を立ててオーグが立ち上がった。だが、俺はすぐに後ろに回り込み両肩を掴むと椅子へと再び座らせる。かなりの力で抑え込まなければならなかった。


「グ……。カイト離すダ!」

「オーグ! ここは堪えろ! できないなら今すぐ首を絞めて気を失わせるぞ」


 俺は耳元でそう囁いた。いまここで騒ぎを起こすわけにはいかない。貴重な情報を聞き洩らすわけにはいかないのだ。


「気絶させられるか、堪えて自分の耳でこの話を聞くか。その二つだ。どっちを選ぶ?」

「わ、わかったダ……。我慢するダ……」


 こいつ本当に大丈夫かな? 隣のテーブルを見つめる瞳には憎しみの色が渦巻いていた。


(あら、あの人、超いい男ね)

(うん……。あの笑顔が素敵……)


(おい、お前! 俺といるのに他の男に色目を使うな!)

(なによ。私はあなたの女になったつもりはないわよ。一度寝てあげただけで男はこれだから)


(なんだと。お前みたいなブサイクがあんな色男の眼鏡に叶うとでも思っているのか)

(なんですって!)


(ちょっと! こんなところでそんな話は止めてよ……)


 ほんと止めてもらいたい。オーグが元で痴話喧嘩とか。しかもその女性はもの凄い美人だった。頼むから価値観をぶっ壊さないで欲しい。俺は今、異世界で一番のイノベーションを感じている。


(それでセガドール団が向こうの世界に渡って豚獣人を拉致したと?)

(ああ、あいつら殺人だろうが人攫いだろうがとにかく金になることなら何にでも手を染めるからな)


(確かに豚獣人の闇取引の相場は男で三千万ジェン。女だと最低でも五千万ジェンからだ。若い生娘には五億ジェンの値がついたこともあるらしい)

(男って最低……)


(だからって、あの危険な谷を超えたっていうの?)

(奴らは元々は冒険者や騎士だ。魔導士だった奴もいるらしいぞ。しかもかなりの手練れだ)


(ああ、悪の道に逸れなかったら、今ごろはみんな一定のポストについていたんじゃないか)

(そういえば、騎士団長の昔の上司がセガドール団に身を寄せているそうだ)


(ええ!? そんな人が……。嘘でしょ)

(いや、以前、野営中に酔っぱらって口の軽くなった団長本人から聞いたから間違いない。団長の若い頃の話らしいけどな。何度手合わせしても赤子の手を捻るようにあしらわれていたってさ)


(でも……。そんな高名な方が何故そんな犯罪組織に)


(ある日、夜道で女性を襲ったんだ。実は常習犯だったらしい。たまたまその相手が侯爵様のご令嬢だったらしくて罪が発覚したんだ。激怒した侯爵が警備隊とともに自らも手勢を率いて取り押さえようとしたんだ)


(まさか?)

(ああ、全員返り討ちさ。侯爵様ご自身もな)


(酷い!)


(でも、そんな大きな事件がこの街で起きたのなら騒ぎになるわよね。そんな話はまったく聞いたことないわよ)

(緘口令が敷かれたからな。そんなことが公になってみろ騎士の、いや王国の面目が丸つぶれだ。だから対外的には病死したと処理されている。お前らも外では話すなよ)


 お前もこんな大衆環視の酒場でそんなこと話すなよ。そう突っ込みたかった。でも貴重な情報をありがとう。そして、この街って魔族の国の王都だったのか? コールマンに言われた方角に進んで来たらこの街が見つかったんだが。あの野郎、いきなり敵のお膝元に送りやがって。魔王に見つかったらやべーじゃねーか。

 

(でもなんでそのセガドール団というのを魔王様は取り締まらないの?)

(もちろんそうしたいさ。でも無理なんだよ)

(なぜ?)


(情報が筒抜けのようなんだ。アジトに乗り込んだときにはいつももぬけの殻さ)

(城に内通者がいるの?)


(城だけじゃない。至る所に潜んでいると言われている。冒険者ギルド、商業ギルド、一般人などにも紛れているようだ。もしかしたらこの酒場にも……)

(えっ!?)


 騎士風の男がそういうと、テーブルの三人はキョロキョロとあたりを見回し始めた。あ、美女と目があっちゃったよ。とりあえず睨んでおくか。めっちゃ可憐に微笑みを返してくれた。もしかして脈ありか? あ、違うな。これは「何みてるのよこいつ」って顔か……。ま、紛らわしい。期待させやがって!


(なんか落ち着かなくなってきたから場所かえよーよ)

(ああ、個室のあるバーにでも移ろうか)

 

 そうして四人は去って行った。



「ねえ、どういうこと?」

「うーん。やはり互いの勘違いが争いを生んでいるんじゃないか?」


「確かに顔さえ見なければ、まともな人達よね」

「感情の表現が逆だと、普通に考えて分かり合えないよな」


「いきなり睨んで近寄って来たら敵だと思うにゃ」

「しかも互いに始めは武装しているだろうからな」

「斬り合っちゃうわよね」


 お互い美人どころを伴って話し合いに望んでも一般的な美的感覚が対照的だからな。侮辱しているのか!って思うわな。食べ物の貢ぎ物もそうだ。明らかに渋そうな果物をふてぶてしい顔で渡されたら、互いに喧嘩を売っているとしか思えないだろう。


「んダば、オラの両親は!」

「今の話からすると魔王は関係ないな。おそらくセガドール団ってやつが主犯だな」


「そうだったのカ……」


 でも、そうするとあの夢は何だったのか。もしかして魂の欠片がたまに暴走しているのだろうか。その時だけ人格が変わるとか? いや、そもそもあれはただの夢だった可能性も捨てきれない。うーん。


「まあでも、屋敷に戻る前にやることが一つできたな」

「まさか、セガドール団を探す気なの?」


「ああ、まだオーグの同胞達が捕まっているかもしれない」

「カイドォオ! ぶひっ!?」


 飛びついて来た豚の顔を拳で返り討ちにする。


「でもどうするのよ? さっきの話だと城の人たちでも見つけることができないみたいじゃないの」

「まあ、任せておけって」


 俺には特殊諜報部隊がいるからな。最近すっかり忘れていたけど。

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