さよならメロス、愛してる

夏みかん

私は自分が、愚か者であると自覚している。

かの太宰治は、三島由紀夫に嫌われていたらしい。


私はインターネットでその理由を検索し、三島由紀夫の証言を見て、「暗い奴が嫌いだったんだな」と思ったし、太宰治の面と向かって嫌いだと言われたときの心境を考えて少し同情し、「嫌いな癖に全作品目を通すなんて、好きの裏返しじゃないか」とその証言に大いに同意した。


彼は自殺を繰り返すというとんでもない大罪を犯したけど、そのブラックユーモアにはほんと敵わない。私はそう思う。

頭の良い人たちが、「太宰治の文章は要するにライトノベルと一緒だ」なんて書いてたり、「太宰好きなの?あの人って頭おかしかったんじゃないの?」と人が殺されるロシア文学ばかり読む眼鏡デブに言われたのを思い出し、「お前らに太宰の何がわかるんじゃい!」と私は心の中で吠えてから、ふうっと愛犬メロスを撫でた。


ある日買ってもらったトイプーに、父と母が「なんて名前にするの?」とほほ笑んで聞くと、私は同じく微笑みながら、「メロス」と答え、目を見合わせる両親を尻目にトイプーをひたすら可愛がった。


公園を散歩していて、「メロス、こらメロス」と遊びまわっているメロスを呼ぶと、後ろで「ぶははははは!」と笑い声が上がり、見るとランニングウェアを来た私とは180度違う世界で生きているであろう小僧が腹を抱えており、私はきっと無言で睨みつけた。


「メロス、メロスって、おま!」


お前にお前と言われる筋合いはない。私は断固抗議すべく、「失礼ですが、どちら様でしょうか?」と冷たく聞いた。

奴はひとしきり笑い転げた後、まだひーひー言いながら、「太宰好きなの?」と聞いてきた。

私は彼のような今時の若者が皆太宰を呼んでいることぐらいは知っている。「ええ、敬愛しています」と言うと、奴は「俺も俺も!森見登美彦の方は、読んだ?」と聞くので、「ええ、当たり前です」と答え、この若者、なかなかできると思った。


メロスがわんわんと他の犬と喧嘩し始めたので、私は「ではこれにて」と頭を下げ、去ろうとした。

「あのさ、名前なんて言うの?」と聞くので、私は「T氏」と答えた。


「え、何、定子?枕草子?」


そこまでの知識があるとは。私は嬉しくなって、「そう、定子のT、貞淑のT!」と振り返って笑って答えた。

彼は少し私を見て、それからにっと大きく笑った。


それから、私たちはよくその公園で出会った。

「T氏、ツイッターとかしないんだ?」と彼が聞くので、ええ、そういうSNSは全く信用していないの、と私はスマホで小説を読みながら答えた。

「じゃあ、LINEは?」あれは他人に読まれるでしょう。それにめんどくさいわ、私の時間は常に現実に向いているの。そういうと「ふーん」と言って彼は草むらから起き上がり、「そうかもな、人と人の繋がりなんて、現実が一番いいのかもな」と目を合わせて言ってから、「でも、秘密の話とかは、文明の利器がないとできないよ」と半ば囁くように言った。


私は自分の心臓を「そうではない、そうではない、奴にそのつもりはない」と抑えつけながら、ふうん、と言って、「そういうことなら、少しは興味持ってみても、いいですけど」とつんと前を向いていった。

彼は頭の葉っぱも払わずに、「そうそう、もっとT氏は世の中に出ていくべきだよ!」と興奮気味に言った。

私はその純粋に他人の為を思ってる、という無邪気できらきらした瞳に若干びっくりしながら、しかし「でも、絶対にしませんけど!」と言って立ち上がった。

メロス、と呼んで「じゃあ」と彼の前から去る。


彼はちょっと間を置いてから「俺はそういうのも悪くないと思うけどねー!?」と取ってつけたように叫んだ。

彼が私のような人間に興味を持つくらいには、私はまだまだ若い。でも可愛い時期というのはあっという間に過ぎ去って、後に残されるは哀れな犬女。


私は過去の忌まわしい記憶を振り払うかのように、ぶんぶんと頭を振った。メロスがくうんと腕の中で私を見上げて鳴いた。


私は毎月、先祖の墓参りを欠かさない。

私が苦しみの中にいたころ、ある天啓があったのだ。

夜眠っていて、ハッと起きると部屋の壁一面に大きくて優し気なお地蔵さまの顔がオレンジのライトに照らされて聳えており、私は「ひえっ」と思った。

だが、次に瞬きしたらお地蔵さまは消えていて、私はベッドから起き上がり、からからと箪笥の扉を開いてみたりした。

暗闇の中そんな怖いことをしてももちろん闇があるばかりで、目が慣れると私の気に入りのワンピースなどがあるばかり、どこにも何もなかった。


あれから私は、少し賢くなってきた。


悩むと次の瞬間閃きがあり、それは至る所で私を助け、導いてくれた。

一人でよく頑張ったねと父と母は褒めてくれたし、私も欠かさず読書をしていたのでそれのお陰かと思ったが、それだけじゃない、私を守ってくれる何か。

私はそれを天啓と呼び、以来墓参りを欠かさない。


商店街の花屋で仏花を選んでいると、グラサンを掛け煙草を咥えた店主がポケット片手に私のもとへと歩いてきて「たまには華のある花、選んでもいーんじゃない?」渋く言った。

華のある、花。これは、鼻。そう言って自分の鼻を指す。

ぱっとグラサンを取って、冗談の好きな人らしくけらけらと笑った。


「もう、おじさん」


あの件があって以来、どの店に行っても、みんなかがんで私と目を合わせて喋ってくれる。

元気をお出しよ。

私はこのことを思い出すと、今でも涙が出るほど嬉しい。あの事件に関わった人も中にはいたろう。でもみんな、大人だった。

私は優しくされていた。

世界は私を案外見守ってくれていて、それは近くにいる理解しあえた人だけの話かもしれないけど、私はこの世に生まれたことを、この人たちのお陰で後悔しないだろう。

この時ももちろんそう思っていたし、これからだってそうだ。


さて、このお話はまだ続きます。もう暫くお付き合いくださいませ。

私はメロス共々そうぺこりと頭を下げる。


さて、ある日のことだ。

私は図書館に来ていた。太宰治と三島由紀夫の関係性や、私のモットー、貞淑であるということと負けること、負けるが勝ちのサヨナラ逆転ホームラン、と頭の中でもわもわと考えるうち、私は「どうしても、一度は三島由紀夫の作品を読んでおく必要がある」と思い立ち、急きょこの図書館に来たのだ。

近所のそこは、市民会館らしくちんまりとしていて尚且つ文学に明るい。


三島由紀夫三島由紀夫、と探していくうち、古書の棚で名前を見つけ、手を伸ばした。


「「あ」」


手が触れ合い、咄嗟に引っ込めた。

彼だった。

今日は黒のTシャツに、ダメージジーンズ、足元は赤いコンバース。

「・・・どうも」

彼はまずいところを見られたかのように、恥ずかしそうに視線を逸らした。私もそう。

「お先にどうぞ」

彼が言い、私はいいえ、あなたが、と言って遠慮した。大丈夫、俺今寺山修司の気分だから。

彼がそういうので、私は「あなたって、頭いいのね」と言うと、「そっちもでしょ、何回生?」と私にとっては意外なことを聞くので、「私大学行ってないの、家事手伝い」と言うと、「えー、お嬢様!いーなあ」と彼は羨ましがった。

私はこのとき金閣寺を手に取ったのだが、後にすこしばかり後悔した。


本を借りる時、図書カードが見えた。

「布袋元泰?」と聞くと、「そ、かっこいいっしょ」とロックTを引っ張って見せ、私にはなんのことだかわからなかったが、笑って頷いておいた。


「T氏はさ、なんで三島由紀夫なの」

布袋君が聞くので、私は今日もわもわと考えていたこと、そして太宰のことを知るために読んでおく必要があったということを伝えると、布袋君は「なんか難しく言ってるけど、興味が湧いたんだね」と言ってくれた。

そんなに太宰好き?と聞くので、「違うわ、私哲学者になりたいの」と言うと、彼はふーんと頷き、「どっかの本で、哲学者の女の子が黒電話しか持ってないって話読んだな」と言った。そして「文明の利器に頼ってちゃダメじゃん」とスマホをさして言うので、「これはコミュニケーションツールだけど、知識を蓄えるのに必要なの、外に出る必要がない」と言い返すと、「ふーん、お金払ってる時点で哲学者とは遠いと思うけどな」と彼は言った。私は「物事を簡単にするのが哲学の結果です」と言い返し、彼は「ぶはは、そうだそうだ」と納得してくれたらしくまた腹を抱えて笑った。

そして、「名前も知ったことだし、ここらでお友達にならない?」とスマホを差し出すので、私は躊躇しながらも、「メッセージでなら、いいわ」と言った。

それからは、毎日メールで色々とやりとりした。

メロスの写真を送れ送れとうるさいので、「絶対転記しないでよ」と書いて送ると、「メロス超可愛いんですけど!」とシンプルな文面で帰ってきて、「ツイートしてない?検索するよー」と送ると「俺もSNSはしてませーん」と返事が返ってきて、後日彼のスマホを隅から隅まで調べたが、ツイッターはおろかフェイスブックも、何もかものツールがなくシンプルで、ただ青空文庫のアプリだけがぽつりとあった。


「俺も周りとつるむなら、現実の方がいーや」


そう言って自慢気に、彼はシュシュッとジャブをして見せ、「俺ボクシング習ってるんだ、見に来る?」と言った。

私は彼がキラキラとして見えた。うん、と言いそうになり、「やっぱり怖いからいい」と首をふると、「ほら、そういうところが、駄目なんだよ」もっと広い世界をみたまえ、哲学者君。彼はそう言って私からスマホを受け取った。



私はその頃、浮かれていた。

そして過去のあの忌まわしい記憶が、私の中から消されようとしていた。

彼が「書を捨てよ、街に出よう」とでも言うかのように、私に光を連れてきてくれた。

もちろん、彼は何も家出の勧めなどをしてくるわけじゃない。

ただ最初は、好奇心からだったろう。でも私たちはあまりに似すぎていて、そして彼は私にとって光だった。

私が目指していた光。苦しみから開始した哲学の先にいる人。


私は、捨て去りたい、忘れ去りたいという過去が誰にでもあると理解している。彼もまた同じだと思ったから。

ボクシングとは強くなりたい人が始めるものだ。

私は彼が勝者だと思っていた。彼は心も体も、力を得た、勝者だと。



私は家に帰り、父が「美琴ちゃん、これなんかかっこいくなーい?」と納豆をかき回した箸でテレビの画面を指し、それに「嫌だあなた、なっと・う!」と母が突っ込み、「こりゃまた失敬!」とあははと二人の世界を繰り広げるのも目に入らず、メールをしながら二階へ上がった。

ニュースでは、最近あったらしい暴力事件が取りざたされていた。

ストイックな体をパーカーに包み、自分より巨漢な相手をぼこぼこにして、財布も取らずにただ暴力を楽しむかのように、何かの復讐の掲示でもあるかのように現れ、去って行った男。

彼がぼこぼこにした男が、かつて私に付きまとっていた男であることに、両親は気づかなかった。

彼はある正義を持って、それを行ったのである。

誰かには称賛され、誰かには軽蔑される、その正義を。


私は、前者であり、後者でもあった、なりえた。


だが、私がそのことを知ることはない。


私がスマホの電源を入れると、布袋君から、明日俺はある人に告白する、とメッセージが入っていて、半ば期待しながらそれって誰に?と送ると、君だよ、立石美琴さん、と返事が来て、続けて明日公園で、10時に待っててとあり、私は「うそ、きゃー!キャー!!」と悲鳴をあげて、メロスを抱き上げくるくる回った。


「ばんざーい!」


ベッドに倒れこんで、うふふ、と笑いながら私も君が好き、と送ると、早いよ、デザートは取っとくもんでしょと怒られた。

その後、じゃぁ、明日に備えておやすみと連絡しあい、私はあまりに嬉しくて、幸せで、哲学をすることを忘れていた。


若い恋は続かないとか、女は男に騙されるとか、そういう偏見に満ちた哲学。

私はメロスにペロペロと顔を舐められながら、幸せな気分で眠りにつこうとして、お風呂入んなきゃと慌ててガバッと起き上がった。


その日は快晴で、風に花の匂いがし、実にいい日だった。

日々是好日。

私はそんな文学的な言葉を思いつき、メッセージにそっと載せた。


おはよう


返信があった。


今着いたとこ、ひょっとして待たせてる?


ううん、今来たとこ


見えるよ、そのワンピース本当に可愛いね


え!どこから見てるの?


駄目だよ、時間になるまで、待たなきゃ


デザートは取っておくもの?


そうだよ


わかった、待ってる


ずっと?


ずっと


ずっとずっと、時間が過ぎても。私はそんな甘い文章を書きたいのを堪え、ワクワクしながらメロスと時計台の下で待っていた。


やがて10時を過ぎたが、彼はまだ現れない。

どうしたんだろう。

すると周囲の人達が、ざわざわと話しながら公園の向こう側を見ている。


あれあれ、覆面パトカーって奴?全く周りに同化してたよね。


あの人達刑事だったんだー、なんかドラマみたい。


ふいに、メロスがグルルルとそちらを見て唸り始めた。

どうしたのメロス、と言うとアオーと吠えて走り出す。

手から離れる紐。私は追いかけて止めた。


メロス、どうしたの?何走ってるの。


アン、アン!


やがてファンファンとライトを光らせながら物陰から車が現れ、パシャパシャとフラッシュがたかれる中、ゆっくりと目の前を横切って公園を出て行った。


ワオーンと、メロスが鳴いた。

空中で足を掻きながら、悲しげに、哀しげに鳴いた。


私も涙が止まらないのに気づいた。

溢れ出したそれは、メロスを引っ張るのに夢中で拭うこともできない。


どうしてよ、やめてよメロス、私はそう叫んでいた。


ファンファンとパトカーは、犯人を乗せて走り去る。

遠くへ、走り去る。手の届かないほど、遠くへ。

ただ、遠くへ。


メロスは諦めずに、もがいていた。

只々ずっと、抗っていた。

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