お母さん今いません
夏みかん
第1話 チャイムから聞こえる声に、俺は「?」と首を傾げた。
最近ターゲットにしている主婦の住むマンションに着き、俺はくたびれた社用車を停めた。
霞んだ黒の助手席に載せたアタッシュケースの中身を確認する。
これであなたもみるみる痩せる!超腹筋マシーン、今なら39800円のところ、今なら10名様まで3980円の大特価!!
あの芸能人も使ってる!
そんなコマーシャルで流れているそれを見下ろし、うすら笑いを浮かべる。
は、こんな下卑たもんで痩せるより、食事制限なり運動なり、努力しろよ、と思う。
腹筋しろ腹筋を。
俺は以前別の商品を届けた際玄関先に出てきた主婦の、品の良い服に覆われたでっぷりとした腹、ふくよかな顔に浮かぶ人の良さげな笑顔と柔らかい声を思い出し、所詮金持ちの遊び、ケーッと啖呵を切りたくなった。
まぁいい、ああいう金を使う人間がいるから、こちらも儲かるのだ。
俺は先月の家賃を渡す際寂しくなった財布と通帳を思い出し、生活圏の違いにため息をつきたくなったが、気を取り直して気合いの入ったスーツとネクタイを締め直し、バックミラーで髪型と口元を確認してから、よし、と出かけた。
美緒、待ってろよ。
もうすぐ結婚できる。コツコツと結婚資金を貯めて幼稚園で働く可愛い婚約者の癒される笑顔を思い出し、俺は「よし」とガッツポーズをとった。
今回売れればボーナスアップ。確実に、買うだろう。
俺は最上階角部屋南むきという豪勢を極めたその部屋を目指してエレベーターに乗った。
昼日中は、静かだ。日差しがポカポカと暖かい。
部屋の前にたどり着き、俺はピンポーンとチャイムを鳴らした。
すると、返事がない。
おかしいな、今日この時間に届けるよう注文が入っているのに、俺はそう思い、またピンポーンとチャイムを鳴らした。
しかし誰も出てこない。
俺は「今月もきっちり回収しろよ」と半ば脅すように強面の上司に囁かれたのを思い出し、ブルッと震えてから、「真崎さーん、いないんですかぁ、真崎さーん」とどんどんガチャガチャとドアを叩き始めた。
するとインターホンから、「はい、どちらさまですか」と幼女の声がする。
俺ははて?と首を傾げた。
真崎さんは正真正銘中年で、娘も息子も自立して今は都外にいる。下調べは万全だ。
俺は「すみません、真崎かなこさんはおられますか、ケーエスショッピングの者です、いつもお世話になってます」と若干不審に思いながらも答えた。
すると、「お母さん今いません」とやけにはきはきした返事があり、ガチャッと切れた。
これはいよいよ怪しい。
真崎かなこめ、まさか目覚めてしまい、親戚か姪っ子でも使って逃げる気か。
俺はマルチの名が廃る、と「真崎さーん、ご注文の品をお届けに来たんですよ、今更クーリングオフなんて出来ませんよ、真崎さーん!?」と騒いだ。
ドアノブをひねると、ガチャ、と意外にもあっさり開いた。
俺は中に踏み込み、「真崎さん、ちゃんと代金払って頂かないと弊社としても困るんですよ、真崎さん、真崎さ…」とリビングまで来た時、その光景を見て固まった。
テープでぐるぐる巻きにされ眠っている真崎かなこに、小学6年から下は保育園かと思われる子供達が十人ほど、部屋にたむろして俺を振り向いた。
ある子は「ブーブー」と言いながらミニカーで遊び、ある子達は「まぁリカちゃん、お客様がいらっしゃったわ」と人形で遊んでいた。
年上の子達が目で会話しているのがわかる。
どうする?
どうしよう。
俺は「えーっと、君たちは、なんだ?真崎さんを、どうした?」と若干ビビりながらも聞いた。
リーダーと思われる少年が口を開いた。
「僕たち、遊んでるだけだよ」
その子は片目に傷があった。左目に、縦に一線、瞼の上に。
「かなこさんが支援してくれてる養護施設の子なんだ、僕たち。かなこさんが遊びに来いって言うから、来たんだ。そしたらかなこさん寝ちゃうから、ぐるぐる巻きにして悪戯してたんだ。起きたらかなこさん、びっくりするだろうなぁ」
なぁ、みんな、と少年が声をかけると、小さな子が「ケーキ、おいしかったぁ」と無邪気に答えた。
年上の子達もわざとらしい笑顔をたたえながら「そうそう」「楽しかったよね」と笑い合った。
「でも、もう終わり。園長先生が呼んでる、帰らなきゃ」
茶髪の髪を頭の上で縛った女の子がケータイを片手に言い、途端、全員が「はーい」と声を揃えて立ち上がった。
ぞろぞろと出て行く子供らを止める理由が見つからず、俺は途方に暮れてスースーと寝息を立てる真崎かなこの品のいい寝方を見ていた。
その後彼女は目を覚まし、俺はホッとして「真崎さん、」と足を踏み出した。
真崎かなこは一瞬不思議そうな顔をし、自分の体を巻くテープと俺を代わる代わる見て、途端、「…キァアアアアーーー!!」と悲鳴をあげた。
俺を強盗と勘違いしている。
俺は「違うんです、子供、子供達が!」と説明しようとしたが受け入れられず、真崎かなこは暴れた。
すると、後ろで「カシャン」と音がし、振り返ると、若い女性と幼稚園の制服を着た子が固まっていた。
おばあちゃん、と子供が言い、女性が「誰かーーー、誰か来てー!!」と子供を引っ張りながら玄関へと走った。
俺はあわわ、と口元を手で覆い右往左往した。
後門の真崎かなこ、前門の大騒ぎ。
間も無くファンファンとパトカーが停り、俺は誤認逮捕された。
なぜ誤認とわかったかって?真崎かなこの浪費癖が暴露されたからだ。
俺は法的にも効果のある注文票を見せ、この目で見た経緯を語ると、真崎かなこは「そういえば、子供達は?なんだか知らない子たちが遊びに来て、部屋に上げてあげたんだけど」ととんでもないことを言い出し、俺と警官が唖然とする中、娘さんが「お母さん、何か盗まれてない!?」と詰め寄り、部屋を調べると多数の宝石や金が無くなっていた。
子供達が淹れてくれた紅茶を飲むと眠くなったとかで、調べると後日睡眠薬と子供の指紋が検出されたらしい。
おかあさん、と娘が泣くような声をあげ、隣ではなっちゃんのケーキ、食べられちゃったーと女の子がびいびい泣いた。その日は孫の誕生日だったらしい。
俺はこっそりと会社に電話し、まずいことになったと上司に伝えた。
上司は落ち着いた声で、「この、ボンクラが」と言った。
あれから真崎かなこには謝礼金を払われ、迷惑料として商品も買って頂き、俺は「ありがとうございます、弊社としても、人命救助に当たれて身が引き締まる思いです」と固く頭を下げた。
警察官の視線が気になったが、彼らはこちらに笑いかけ、「にしても金持ちだよな、なんだー、この子供達ってのは、ヤクザの新手か」などと首を傾げていた。
俺は見事昇級し、結婚式には真崎さんも呼び、盛大に行った。
美緒は良かったね、リョウちゃん、と涙を潤ませ、俺は「終わりよければ全て良し」とシャンパンシャワーを上司から浴びながら思った。
あれから数年経った。
俺は仕事も順調に、妻と子供を連れテーマパークに着ていた。
きゃー、と声をあげてメリーゴーランドから手を振る妻と子供に手を振り返しながら、俺はブルブルと震えるケータイに出た。
はい、と言うと、「真崎かなこ、覚えてる?」と若い男の声。
「え?」.と辺りを見回すと、「こっちだよ、奥さんの後ろの馬」と声が答えた。
はっと見ると、妻と子供が「パパー」と目の前を通り過ぎていった。その後ろに、黒い馬に乗った瞼に傷のある若い男。
途端記憶が刺激され、脳がビリビリと震えた気がした。
あれは、あの傷は。
隣に来たキュロットを履いたポニーテールの可愛いポップコーン売りの女の子が、「子供、あたし達の仲間にしたくないよね」と囁いて笑った。
気づけば周りを囲まれていた。若い少年少女、男に女。
「連絡先、真崎さんに教えてもらったんだ。あの人もういないよ」
どうする?と声が笑っている。
次に馬が一周したとき、男は笑っていた。
「ねえ?ケーエスショッピングの宮下さん」
どうする?と声が笑っている。
メリーゴーランドはまだ回る。何周も、何周も。
ねえ、どうするー?
そう声が笑っている。
俺はガクガク震える膝で、なんとか立っていた。
彼らはこうして増えていく、こうして採取していく。
ああ。
俺は声に出して、暗い絶望に耐えられず目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます