三
エオンは前へ進まなければならない。ササラと剣を交えながらも、それを忘れていない彼は脚を前に向けていた。そしてなるべく矢に被害を出したくないがため、いつもより力を込めた刀で押して外へ出そうとする。
「ぐッ!」
テレポートが使いにくいのか、彼女は辺りにきょろきょろと視線を動かしていた。それもまたエオンにとっては好機で、ついに矢の外へと飛び出させることに成功した。
「バルトロさんッ! キュアッ! 気にせず先へッ! オレも行きますッ!」
彼の反応を確かめていられる場合ではなかった。ロムスへと走りながら二人、激しい剣戟を繰り広げる。彼女のテレポートに気をつけながら、たまに獣への変身を混ぜながら全身を使って彼女のサーベルを避けていく。
「閣下を討たせるワケには!」
「ワーライガー研究の責任者には!」
「したところで何も変わらない!」
「個人の問題だッ!」
博士公に危険が迫っていると実感できたから、前のような心の揺れがなくなったのだろうか。なんにせよ、彼女を真正面から超えて成長しなければならない。これは決闘だ。負けた方が死ぬことになる覚悟をエオンは持っている。
テレポートが実に厄介だった。神経を研ぎ澄ませて殺気を感じ取れるから、すんでのところで受け止められてはいるが、エオンからなかなか上手く攻撃が続かない。
何か、彼女がテレポートを使うときのクセなりがあるはずだと、彼は考える。そしてさっきの矢の中でのことを思い出す。辺りに視線を向けていたことを。そう、前に戦った時もそのような視線移動をしていたはずだということを。
「そうか、それはそうだなッ!」
合っているかどうか、こっそりと答え合わせをする。
ササラの瞳の動きに集中力を少し分ける。そろそろテレポートを使う頃だと、受け続けてそのような感覚もできはじめていた。
彼女の黒い瞳がわずかに進行方向へと動いたのをエオンは見逃さなかった。そして身体がふっと消えて、そちらへとテレポートで先回りされてサーベルの輝きが襲い掛かってきた。
ここで反応を早くしてしまっては気づかれてしまうかもしれない。エオンはぎりぎりの調整をしながら、これまでと変わらないように自身の身体の近くて受け止めた。
「は、速いッ!」
「違う、時間すらないッ!」
まだ一回では確かとは言えない。エオンはあともう二度確認することにする。すればその二回とも、同じく視線を移動させてから身体を消していた。間違いないと、彼はぐっと刀を握る力をより込める。
「覚悟ッ!」
また視線移動の後、そのセリフを残して身体を次の場所へと飛ばした。エオンは大体の見当をつけ、間違っていないことを祈りながら先回りするよう刀を横薙ぎに振った。
かなり時間の流れがゆっくりに感じられて、すればテレポートを終えた瞬間の彼女の姿がはっきりと見えた。そして刀身の進む先は彼女の腹を斬れる方向だった。
取った。そう思えたエオンだったが、
「なッ!?」
彼女が驚きの声を上げつつも寸前で対応した。あまりに凄まじい反応速度に、エオンはおかしくなってしまって、ついつい、
「凄ッ!」
と相手を褒め称えるのだった。
「まさか、テレポート先を読んだ?」
「それは、どうかな。たまたまかもよ」
「ふふ、キミはまったく昔からウソが下手なんだから」
ふっとまた消えて、しかしエオンは視線移動でまた先を読んで恐らくの場所に刀身を持っていく。すれば今度は彼女もあらかじめ対応していて、金属がぶつかりこすれる耳障りな響きがした。
「ね?」
「まったく、姉ちゃんだって昔からイジワルだ」
テレポート先が読めるようになったとしても、根本的な実力差は確かに存在していた。身体能力で勝っていても彼女の技術が阻む。必死に鍛えてきた剣でも幼い頃のようにまだ差があることは、エオンを喜ばせ悔しがらせた。
わあっと矢の方がさらに騒がしくなった。どうやら先端がロムスの最後の壁となっているオーロ兵たちと激突したのだろう。
「ササラ姉ちゃん一人じゃひっくり返せないよ」
「どうかしら。キミが死んだとわかればまた変わるわ」
「オレは姉ちゃんが思っているほど椎(つい)じゃない」
「それを決めるのはあそこの人外たちよ」
サーベルがエオンの脚を狙った。テレポートを使わなくてもその斬撃はあまりに速く、刀で受けずに獣の姿で脚を短くして避ける。足の裏を光が通過していって冷や汗が出た。
そのままに人の姿に戻って力を込めた一撃をササラに放ち、受け止められはしたが身体を押し、距離を作ることができた。ひとまず体勢を整えようとするエオンだったが、
「これなら読めない」
一瞬の間もない突きが閃光し、エオンの左肩を貫いた。
「がッ!?」
瞳の動きはしっかりと見ていた。けれどそれらしい動きはなかった。そこでエオンははっとする。彼女の飛んだ方向は、身体の正面方向だったことを。間合いを詰める方向ならば、もうすでに見えている。
「そうだった、いつもこうやって……」
「こうして使う」
エオンは脚を止め、サーベルが捻り抜かれて血が流れ出した左肩を、刀を持ったまま右手で押さえる。治りが早いとはいえまだ出血は止まりそうもなく、そして左腕が動かなくなった。
「それでも少しは反応できていた。エオンくん、キミはまだ強くなれる。これで最後。アノマロカリスに来る気は?」
「ない」
「そう。でも安心して。研究されないよう、キミの身体はしっかりと隠すわ」
サーベルが振り落とされる。
「たまるかッ!」
刀身が折れて宙へと舞った。そしてからんという無情な音とともに舗装された地面へと落ちた。エオンの刀だった。これまで続いてきた戦いで、手入れをしていても抜けない傷みが蓄積していたのだ。
真正面からぶつかったしびれが彼女の手を震わせる。しかしすぐに戻ったようで、握りを強くした。
まだエオンには太刀が残っているが、今から抜いても間に合いそうにない。
『おねえちゃん』の姿が思い浮かぶ。すると頭痛の予感が近づき始めた。
「こんなときでもまだ……ッ」
血を流しすぎたのか、脚を重く感じている。今振り下ろされるサーベルを防ぐ手段を今度こそ失った。まっすぐに急所を狙う、残光を連れた刃が襲い掛かる。
エオンは祈りなどしない。けれど、諦めきれるはずがない。
まだ守るべきおねえちゃんは生きているのだ。ここで死んでしまえば、それができなくなる。そして二度と会えなくなる。
いや、おねえちゃんではない。エオンは恋人とのこれまでのことを思い出す。初めて会った時、そして徐々に自分の中で育っていった特別な感情、それへの葛藤、バルトロの後押し、自分なりに積み重ねていった努力、そして告白。
いたい。いたい、いたい、いたい、いたいいたいいたい、いたい。
「まだ恋人でいたいんだぁぁッ!」
間に合わないのはわかっている。けれどエオンの手は残された得物、太刀の白い柄へと伸びていた。頭痛はとっくにどこかへ行っている。もう一度彼女と手を繋ぐ、いつもの右手でその未来を引き寄せることだけを考えた。
ゆっくり、ゆっくりと時間が流れている。やはり奇跡は起きない。ササラのサーベルが太刀を抜く前にエオンの身体を裂く。これまでの経験があるがゆえに、よりはっきりとしてしまう。
迫る。抵抗するもののないサーベルの刃が。
捌く。エオンの、ワーライガーの血を飛び散らせて。
「――っ!!」
どれだけ待っても痛みはこなかった。
いや、ササラの身体が、サーベルが目の前から離れてしまっていた。
そして少し前に発砲音が聞こえていたような気がしていれば、さっと目の前に灰色混ざりの白が現れた。ふわっとしたものから毛であることがかわる。犬だ、大型の犬がエオンを救っていた。
「キュア!」
「間一髪だね」
エオンが心配だったのだろう、矢から離れて一人やって来たのだ。ぎりぎりのタイミングで助けられたことにほっとすることはなく、目の前のササラを唸りながら睨む。
「まったく、こんなことだろうと思った」
「め、面目ない……」
「あとなんか叫んでたね」
「……戦いの場でそんなことあるはずがないよ」
「まあいいや。少し休んでなよ」
獣の姿のままササラへと襲い掛かった。
しかしテレポートによって死角に周られてしまう。飛んできた殺気に気づいたキュアはとっさに人の姿に戻ってそちらへと向き、金属製の籠手でサーベルの刃を流す。
「そうだった、テレポート持ちだった」
にやりと不敵な笑みを浮かべたキュアに、ササラは表情を崩した。流されて動揺したわけではない。彼女の片目ずつで色の違う、バイアイを注視していた。珍しいものを見たという反応でもない。
「右が青、左が榛(はしばみ)の……女の子」
「何?」
「その瞳の色に宿る星、キミはやはり研究所にいた子か」
「何言ってんの?」
女の子であっても超越者であるキュアの力は常人を超えていて、テレポート以外は人間と変わらないササラでは分が悪い。至近距離での接近戦を避け、得物の長さを活かす距離へと移動する。
「名前は知らなかったけど、そう、キュアという名前だったのね」
「だから何を言ってるの? ワタシが研究所にいた?」
エオンはササラが言おうとしていることに気づいていた。けれどそれをキュアに聞かせたくはなかった。彼女は知らないのだ。だから声で遮ろうと息を大きく吸った。
でも、
「『おねえちゃん』ってエオンくんに慕われていたでしょう?」
「えっ?」
間に合わなかった。ササラはキュアに言ってしまった。そしてしっかりとキュアは聞こえてしまった。
「いつも二人一緒でとても仲良さそうにしていた」
「どういう、こと……?」
そのキュアの言葉はエオンにも向けられていた。だからエオンは必死で否定するために、
「でたらめだ」
と言い切ってみせるのだけれど、恋人であるからそれがウソをついているのだと彼女は嫌でも理解できてしまうのだった。
キュアのおかしな様子にササラは首を捻る。が、それは好機になる。サーベルの切っ先が一直線に彼女へと放たれる。動揺してしまったキュアは一歩反応が遅れてしまう。
ぎいんと響き、刃はエオンの太刀で阻んだ。なんとか間に合っていた。
「彼女はキュア、キュアリングだ。おねえちゃんじゃない」
「野良であるかのように偽装するなんて、よほど好きなのね。でも、好きであるならこんな戦いに巻き込むべきじゃなかった」
太刀はまだ扱い慣れない。普段使っている刀とは長さが違えば、重心の位置も違う。振り回されることはないが、刀身の動きの乗りが微妙に思い通りにいかない。
それに右腕しか使えず、脚だってまだまだ重い。
「キュアも戦うことを望んだんだ……ッ」
「そう、そういう性格だったのね。そんな風には見えなかったけど」
「おねえちゃんじゃないッ!」
それでも根本的に別の武器ではない。ササラへ向けて振る度に自分で微調整を繰り返していく。しかしこれで勝てるような甘い相手ではない。
「ワタシがおねえちゃん……?」
キュアが自分自身に確かめるようにつぶやく。弱々しく小さなものだったが、戦場の音をかきわけてエオンの獣の耳には聞こえた。
ちらりと見れば、彼女は頭を抱えてその場でぺたりと座り込んでしまった。普段の彼女ならばあり得ないことだった。このような戦いの中で敵の存在を忘れてしまうことなど。
「よそ見をする余裕が?」
テレポートの斬撃が左腕をかすった。言うことを聞かない左腕をエオンは楯にしたのだった。なくなってしまう覚悟もしていたが、思ったよりも浅く、わずかに血を流す程度に済んだ。
「やられるッ!?」
このまま鍔迫り合いを続けていては確実に押されて負けて死ぬ。エオンはそれをわかっていた。だから一度の攻撃にすべてを賭けることにした。そこにわずかな光があることを信じて。
「ササラ姉ちゃん」
「何?」
エオンは彼女から離れて太刀を納めて尋ねた。
「あのアルツェロって人とはどういう関係?」
「ずっと面倒を見てくれた、恩人で、先輩よ」
「それだけ?」
からからうような声色で言ってやれば、ササラは眉間にしわを寄せ、唇を噛んだ。
「口ではそう言うけど、好きってバレてるよ」
「えッ?」
「恋人同士になりたいってねぇーッ!」
彼女はわかりやすく動揺し、集中が一瞬切れたのを感じる。エオンは折れて納めていた刀を抜いて彼女へと勢いよく投げ、そのまま今できる全力を超えて駆け出す。
刀身が折れてはいるものの、鋭い投擲によって襲い掛かってくる刀を動揺のせいかテレポートは使わずサーベルで弾く。するとその後ろにはエオンがいて、すぐそこに迫っていた。
エオンは太刀を抜刀し、勢いのままに斬りかかる。
「破廉恥なぁーッ!」
しかし彼女はその叫びと共に太刀をサーベルで強く打ち上げ、彼の手から宙へと舞わせた。体力の消耗が予想以上にひどく、握力がなくなってしまった。
――わけではない。
離れていった太刀をササラはほんの一瞬、自分でも気づかないくらいの一瞬目で追っていた。手練れであるからこその反応の良さだった。
――そこを狙っていた。
エオンはシャツの袖から折られて地面に落ちていた刀の刃を出し、手のひらのことを考えずに強く握った。そしてその切っ先を彼女の身体へと突き刺した。
「あぁッ!?」
つうっと刃を伝ってササラの血がエオンの手ににじむ血と混じり、そして地面へと落ちていく。エオンは刃から手が離れてしまって捻ることはできず、その場で腰を落としてしまう。彼女は苦悶の表情を浮かべ、サーベルを落としてしまった。
刃はササラの胸を刺していた。そしてサーベルのすぐそばを受け身も取れず仰向けで倒れる。ジャケットの下の白いブラウスがどんどんと彼女の鮮血に染まっていった。そして空気の漏れる音も聞こえた。
「お、驚、い、た……ぁ」
少ない息で彼女は感想をつぶやいていた。エオンはゆっくりといざって彼女の顔のそばへと寄った。すると彼女の黒い瞳が彼を見たが、そこには先ほどまでの殺気はなかった。
研究所で接していた頃の、優しく穏やかなものだった。
「ごめん……」
「な、に……を?」
「こんなのは……こんなのは、いい手じゃない……真正面なんかじゃ……オレは……」
「ば、バカ、ね……さ、刺して、おいて……ふ、ふふ……ッ」
彼女の顔色が青く悪くなっていく。生気がなくなっていく。その命の終わりが近づいていることを表していた。
「ひ、卑怯、なんかじゃ、ない。キミは、最善を、つく、しただけ……」
「ササラ姉ちゃん……」
「行き、なさい……勝者は、先へ進ま……ないと、いけ、ない……」
ふらふらと伸びてきた手をエオンは掴もうとするも、かわされて鼻を軽く殴られてしまう。彼女はとても楽しそうに笑い、ロムスの方向を指してより促した。
そして自分の髪を結っていた紐を外し、それを勝者となったかつての弟子に渡す。
「あ、証に……あげる」
紐をなくして広がった髪から確かに彼女のにおいが放たれて、エオンは一生忘れないようにそれを嗅いだ。そして自分の長い髪を彼女の紐を使い、後ろで束ねた。
「……オレ、行くよ」
ゆっくりと立ち上がって歩き出せば、彼女はもう瞼を閉じてより安らかな表情へと落ち着いた。
「……そっか、レオちゃんに……好きっ、て言っておく、べき、だったなあ……」
最後の息を使って、彼女はレオちゃん、アルツェロへの素直な気持ちを残したのだった。
エオンは座り込んでいたキュアに手を差し伸べる。彼女は震えていて、彼にはっきりとした答えを求めているようだった。いつもきれいなバイアイに不安の色が浮かんでいる。底の見えない不安が。
「キュア、君はキュアリングだろ?」
「で、でも……ホントに、ワタシは……」
「なにバカなこと言ってんの。君がキュアじゃなかったら、誰がキュアなんだよ」
彼女の手を取って引っ張って立ちあがらせる。
「前に言ったとおりだよ。『おねえちゃん』はもう死んだんだ」
「でも、あの人はワタシのことを……」
「余計なことを考えると、死ぬんでしょ?」
軽く頬を叩いてやれば、幾分彼女の瞳に力が戻った。
左腕はまだ動かず、刀は折れて太刀のみとなっている。けれど脚は大分感覚が戻ってきていて、長く走ることは十分にできる。
向こうに見える矢は少し散りながらもロムスの陣を圧していて、これは時間の問題のように思えた。
「ほら、行くよ」
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