屋上でエオンは日光浴をしていた。普段から職員たちの憩いの場として使われているためか、ほどよく緑化されベンチも多く置かれていた。その中の一つに腰掛けて、途中見つけた自販機からいただいたジュースを少し飲み、横に置いた。

 太刀と刀は腰から離して横に立て掛けてある。


 天気予報機の予報は完璧だ。流れる雲は少なく、優しい日差しが降り注ぐ。人工の光とはやはり肌触りが違う。空気だって朗らかな気分にさせる。

 キュアのおかげだ。今の間は主導者であることを忘れる。みんなそれぞれしっかりとやってくれていると信じられる。


 外、それもこんな都会の真ん中で耳と尻尾を隠さずにできるのは、とても開放感があった。出かけるときはいつもバレないかとひやひやしたものだが、今はそんなことを気にしなくて良い。

 ワーライガーのエオンは、キュアのような完全人型形体になれなかった。どうしても獣の特徴が出てしまう。


 自身が半分の血を持つ、ワータイガーを実際に見たことはなかった。なにせよ希少種だ。そしてその種は獣の姿に変身できないと聞いたことがある。人に虎の姿が混じった姿しか取れないので、エオンからすれば不便にしか感じなかった。

 けれどもう半分のワーライオンの血のおかげで獣の姿になれる。研究者も獣の姿になれないワータイガーの改良を目指し、掛け合わせたのかもしれない。


 髪の量を多くし、限界まで小さくしてみても獣の耳が隠れることはなかった。だからいつも帽子をかぶっている。尻尾も外に出ないよう、ぐるりと腰に巻いていた。しかし毛むくじゃらの尻尾だから、ちくちくするし、なにより蒸し暑さがあった。

 あまりにも朗らか。エオンは獣の姿へと変身し、ベンチから下りて丸まった。人の姿も獣の姿も、どちらでも彼は嫌いではなかった。ただちょっと獣のときの中途半端な生え方をしているタテガミだけは気に入らなかった。


 あの夢を見ないように願いながら、ゆっくりと意識を落としていく。


 ――ことはできなかった。


 ばっと、閉じていた瞼を開き辺りを見回す。姿を見つけることはできなかったが、確かに誰かが近づいている感覚があった。超常者のものではない。

 人質が逃げてしまったのかと考えたが、そんなことができるようには思えない。しっかりと見張っているはずだ。


 ならばどういうことか。

 人の姿に戻り、急いで、しかし丁寧に太刀を佩いて刀を差す。周囲を強く警戒する。いきなり何があっても対応できるように、すぐに刀を抜ける準備はできている。見つけた瞬間、斬りかかって殺せば良い。


 確かな殺気が刺さる。数は二。刺せているということは、向こうはこちらの位置を把握しているということだ。それを後押しするくらいの指向性と深さもあった。

 木や茂みなどの、緑化された場所に潜んでいる。

 移動してもついてくる。間違いない。狙いはエオンだけ。それが超越者だからなのか、エオンだからなのか、どちらでも良い。とにかく計画の邪魔はさせない。


 ジュースの缶を持ち、殺気の感じる方向へと投げる。しかし無視され、何も反応が返ってくることはなかった。土の上に落ちたか、缶からは何も響かなかった。


「今のでわかっただろう。このまま隠れていても時間だけが過ぎるだけだ」


 かちゃりと、わざと大きく刀の金属音を鳴らす。


「果たし合おう」


 よくわからないが、相手は悩んでいるのだろうか。まだ出てこようとはしない。


「ほら、うだうだしてるから二人になっちまったぞ」


 隣でバルトロの声がした。エオンは前の殺気にばかり気を取られていて、彼が上がってきたことに気づかなかった。ぼりぼりと頭をかき、大きなあくびを一つ。

 がさりと緑化している場所からようやく出てきた。若い男女の二人。


「さっさと出ればよかったんだ」


 男の方がぶつくさと女に文句を言っていた。背の高い、がっしりとした体格。文句を言われた彼女は女性にしては背が高い。しかし細身でスタイルの良さが目立つ。


「バルトロも出せたじゃないですか」


 二人とも紺のスーツを着、凛としている。戦える者の瞳であるとエオンは捉える。それはつまり、そこらの兵士とは段違いの手練れであるということ。そういう者が宿せる瞳なのだ。


「まあ、どうやってこんな屋上まで来れたのか知らねーけど」


 ぽんとバルトロがエオンの肩に手を置き、

「落ちてもらうしかねー」


 その言葉はすでに残されていたものになっていた。バルトロは男女二人へと足裏を滑らせるように一瞬で近づき、それぞれの胸倉を掴んだ。そうして、


「なッ!」


 一気に力を込めて投げた。これが吸血鬼という種族のなせる技か。男女二人は投げられたことに遅れて気づく。身体が転落防止用の柵をゆうゆうと越え、あっさりと敷地外へと出されて落ちるしかなくなる。

 エオンがその様子を眺めていると、今度はばしっと背中を叩かれる。


「気を抜くんじゃねー。ここまで入られた意味を考えろ、バカ」


 そう言われ、走って柵際まで行き二人の様子を確認する。二人の姿がなかった。落ちていって見失ったわけではない。それでは説明ができない消え方だった。


「『人外隊(アノマロカリス)』だな。やっぱり出てきやがった。行くぞ、暴れんなよな」


 追撃行動のため、エオンはバルトロの背中に乗る。おんぶの形になる。そうして助走をつけてバルトロは柵の向こうへと大きく跳躍した。


「うおわッ!」


 オーロ放送協会の建物は高い。地上十二階ある。バルトロに任せておけば大丈夫とはいえ、それでもこんな高さから落ちるのは怖い。ぎゅっととんびコートを力強く握る。


「おい、こらッ破くんじゃねーぞ!」


 文句を言いつつ彼は空中でひらりと身を反転させ、身体の正面を建物の方向にする。そうして重力に任せて落ちながら、建物へ指差す。ばらばらと流れていく窓ガラスに二人の姿が映っていった。


「見えるか? 窓のとこだ」

「えっ?」

「自慢の動体視力でよーく睨め」


 ぐっと言われた通りにすれば、そこにおかしな跡があることを見つけた。


「これは……」

「わかりづらいが、靴と手の跡だな。それも窓の外側。おかしいだろ? さ、そろそろ着地だ。しょうもないケガすんなよ」


 そう予告すれば彼は両腕を建物に突き刺して、コンクリートの表面をえぐりながら無理矢理に減速する。しかしそれだけでも足りないと思ったのか、脚も加えてより強く制動させた。


「よーし、もう大丈夫だろ。降りろ」


 地上二階ほどの地点でエオンは離れ、獣の姿でしっかりと受け身を取って地面へと着地する。どこも痛めはしなかった。バルトロは完全に落下を殺しきり、腕を抜いて脚だけの、建物と垂直になる形で立っていた。


「おー痛てー」


 ぼごっと脚も抜き、平然と服をはたきながら人に戻ったエオンの隣へと歩いてくる。あんな無茶苦茶なことをしたというのに、その程度の感想で済むことにやはり慣れず、驚きを隠せない。


「よーし、よく生き残ったッ」


 しかしそんな様子のエオンを無視し、にやりと笑う。長い一本三つ編みも主の機嫌に反応したか、ぴょこんと楽しそうに動いた。

 二人の目の前には、あの男女が立っていた。大きなケガをした様子はないが、二人とも汗を流して呼吸を乱してしまっていて、スーツもほこりなどで汚していた。


「こんな程度で死んじまっては、アノマロカリスの名が泣くからのー」


 男の方はネクタイを緩め、シャツの胸元を広げていた。しかし女の方はそうせず、ただ息を整えることに集中していた。


「気づいてたのか?」


 男の方が口を開いた。態勢を整えるための時間稼ぎであることがわかるが、エオンもバルトロも気にせずに相手する。


「こんなことできるのはお前らだけだろ。まったく、ファンタジーな侵入しやがって」


 一番ファンタジーなのはバルトロだとツッコミを入れたくなる。


「そちらのキレイな姉ちゃんの回復を待ってやるよ。空間跳躍で疲れたんだろ?」


 空間跳躍。それはつまりテレポートのこと。この世界には超越者だけではなく、いわゆる人を超えた力を使える、超能力者というのがいた。

 あの窓にあった不自然な跡、そして投げられた後の不自然な消え方。それらはこれで説明がつく。


「窓に跡が残ってたぞ。中継しながらよくも上ってきたもんだな。が、そのおかげでどういう能力なのかわかってしまったなあ」


 ぎりりと女が歯を食いしばって睨みつけた。そんな鋭い殺気でも、彼に届くことはなかった。のんきに煙草を吸い始める。


「そうだな、跡の間隔からして一回に跳べるのは建物二階分弱。で、一秒近く間が空く。あと多分、障害物があると行けない」


 ふうと吐いた煙が空気と混ざって消えていった。そうしているとようやく女の方が息を完全に戻し、凛とした姿勢になった。腰には細身の剣が下げられていて、柄を持つ。

 男は何も得物がない、徒手空拳で構えを取るだけ。


「よし、そうだな。お前は女の方をやれ」

「え?」


 前髪をかき上げる。この仕草をするときの彼は。


「近くでちょろちょろやられるのは面倒なんだよ。お前の年寄りしょんべんみたいな戦いをな」

「言ってくれますよ。自分が先生だっていうのに」

「お前がどんくさいだけだ。ワシの教え方に問題はねー。念のため言っとくけどな、女の能力、言ったことを鵜呑みにすんなよな」


 バルトロが煙草をくわえたまま提案する。


「おい、そっちの男。ちょっと離れた所でやらねーか。こいつら巻き込むかもしれねーからよ」


 しかしそんな誘いに応じることはなく、男は構えを解かなかった。

 しょうがないと肩を落として首を振ったかと思えば、バルトロは一気に男との距離を詰めて強烈な前蹴りを入れた。あまりの威力は大きな身体の男をも吹き飛ばし、放送協会の敷地から門を突き破らせて追い出した。


「しっかりと追い返せよ、バカ弟子」


 そう言い残して男を追っていった。

 この場にはエオンと女だけになり、お互いふうと呼吸を整えてゆっくりと得物を抜く。やはり女はサーベルだった。反りがあって片刃、ナックルガードもついている。しかし彼女のための特注品らしく、一般兵の軍刀とは細部が違っていた。エオンは太刀ではなく、使い慣れた刀で構える。


「拳銃は?」

「さあ、どうかしら」

「オレはこの二口しか使わない。拳銃は手ごたえがなくて好きじゃない」

「わざわざそんな宣言、ハンデのつもりかしら?」


 やはりそう捉えられてしまうのだと、いつものことだけれど彼は気を落としてしまう。もう少し上手い言い方がないものかと、色々と試したけれどすべてダメだった。

「ナメている」「バカにしている」「己の実力を過信している」


 すべて言われてきたことだった。


「真正面から討ち果たしたい。あなたのような手練れを。それだけだ」

「フェアに? スクエアに?」


 その言葉を肯定すれば、彼女は丁寧に手入れされて輝く剣の切っ先を向けた。


「無抵抗な民を虐殺した人外の指導者のセリフじゃないわね。命令してない、部下の暴走とでも言い訳したいのかしら?」

「いいや、全部オレのやったことだ。オレが殺した。しかし今、確かに前に進むため、オレだけが進める道を切り開くため、オレは真正面からあなたを超える」


 女が首を傾げる。


「獣に果し合いはない。でも人にはある。だからこそ人は獣を超えることができた。オレは超越するッ」


 それが合図になった。二人ともほぼ同じタイミングで飛び出し、各々の得物を振るう。

 ワーライガーのエオンは常人を超えた筋力を有している。一度斬撃を受け止めてその重さを知った女は、それからなるべくサーベルで受けないようにし始めた。受けてもなるべく力を逃がして刀身が傷まないように集中している。

 エオンもただいたずらに打ち込むことはなく、牽制の意味も込めた斬撃で様子を伺う。相手もまだ本気ではない。しかしそれでも十分に巧みなサーベル使いだった。気を抜けばやられてしまう。


『人外隊(アノマロカリス)』の名前は伊達ではない。まだ女はテレポートを使っていないのにだ。

 二人の剣戟は派手さなく落ち着いたまま続く。しかしその内側では激しい読みあいが行われている。

 ふっと女の姿が消えた。すぐにテレポートだと理解したが、そんなことに頭を使っている場合ではなかった。


「ぐうッ!」


 胸に逆袈裟切りが入り、血が飛ぶ。痛みもやって来るが、気にしていられる状況ではない。慌てて距離を取る。そして傷の状況を確認する。咄嗟に身を引いたから、かなり浅く済んでいた。問題はない。


「これがテレポート……本当に消えた」

「よくも動けたね。でも、これでわかったでしょう。キミは私に勝てない。大人しく投降しなさい」


 しかし彼女は構えを解かない。


「まだまだッ」


 殺気と彼女のにおい。視覚に頼るのではない、すればテレポートに惑わされてしまう。

 いや、とエオンはふと思考を別の場所にした。どうして咄嗟に身を引くことができたのか。あそこから剣が飛んでくるとわかっていたわけではい。

 これまでの経験、戦いの経験で危険を察知した。しかしそれだけではないように感じられた。


 すんすんと鼻から女のにおいを取り入れる。

 投降を拒否すれば、先ほどよりも激しい鍔迫り合いになる。お互いにかわすのもやっとなことが増えていき、刃を痛め続けることになった。


「んんッ!?」


 刀の柄を口でくわえ、獣に変身して斬りかかる。女は目を大きく見開き、隙を作った。そのままに刃が身体を捉えるかと思ったが、すんでのところでテレポートを使って回避した。

 上手くいかなかったことにエオンは隠すことなく舌打ちをするが、ついに確信を得る。この一撃が当たらなかったのは、かなり数限られるからだ。


「驚いたけど、今のが隠し手ならエオンくん、やはり投降するべきよ」

「へっへっへ、まさか、まさかアノマロカリスになっちゃうなんてな。その動き、香り、声の響き」


 一瞬の強い風が二人の間を通り過ぎた。女は苦い表情になってやや殺気が和らいだ。選りすぐられた超越者だけが所属を許可される、殺しの最先鋒アノマロカリスの隊員であるのに。


「ササラ姉ちゃんでしょ?」


 彼女はぴくりと剣を震わせた。そうしてゆっくりとサーベルを鞘の中に収める。


「久しぶりだね、エオンくん」

「まったくの知らない人だったら、さっきので死んでたよ。姉ちゃんのクセだもんね、あの動きの流れは」


 テレポートからの斬撃で、咄嗟に身を引けたのはそういうことだった。彼女、ササラは研究所でエオンに戦い方を教えていた。彼女は人間だ。でも、超能力者も超越者として扱われ、研究所にいたのだ。

 しかし不思議なことに待遇はまったく違うもので、かなり自由に過ごしていたのを覚えている。外にだって出ていた。


「そっか、いなくなったのはアノマロカリスに入るためか」

「そう。元々決まっていたの。そしてエオンくん、キミも入る予定だったから、私が先生となって教えていたのよ」

「そのおかげで命拾いしたわけだ」

「これ以上バカな虐殺もオーロへの反抗も止めなさい。そして私がアノマロカリスへ入れるように取り持つわ。人外でも破格の待遇が受けられ――」


 空気を裂く響きと共に刃が彼女を襲った。彼女はまたテレポートを使って回避したが、少々間に合わずにスーツを裂かれた。

 皮膚まで届かなかった感触に、エオンは人の姿に戻って指を鳴らし、刀の峰で自分の肩を叩く。やはりこういう隙を狙ってではササラを超えることはできない。


「ササラ姉ちゃんだから、より討ちたくなったよ」

「なッ?」

「ササラ姉ちゃんだからこそ、真正面から超えたときの成長をより実感できる。もっと大きくならないとオーロを、博士公を斬ることはできない。人間という名称にあぐらをかいているヤツらを斬るために」


 力強く踏み込んで一気に間合いを詰めると、ササラはサーベルを抜いて応戦する。しかしそこには明確に心の揺れが乗っていた。

 エオンはそれに苛立ちを覚えながら、彼女を殺すための刀を振るった。

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