商業学園イグゼコマース
木船田ヒロマル
雨とケンカ屋
(どうして、こんなことに……? )
目の前には怒りに顔を紅潮させたブレザー姿の美しい少女。手には細身の剣を象った携帯端末が握られている。びしっとその切っ先が自分に向けられる。
「抜けェッ!! 腰のそれは飾りではあるまいッッ!?」
彼は自分の左腰の刀の柄を見た。
「これは……」
一度は柄の近くまで右手をやった彼だったが、ふ、と苦笑いするとその手を元の位置に戻した。
「まだ重ねて私を愚弄するか⁉︎ もはや問答無用‼︎ 返答はその刀に聴く!!!」
少女の持つ剣型デバイスの剣身に無数の文字が煌めいた。タメを生ぜぬ体重移動から迷いのない踏み込み。訓練された体の運びだった。
(どうして、こんなことに……?)
転校初日。剣を振り上げて迫り来る美少女の動きを目で追いながら、転校生、取猫ゲンヤは再度自問した。
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西暦3016年。
第三次・第四次の世界大戦を経て地球環境は劇的に悪化。生き残った人類は汚染物質の影響の少ない地下にその拠を求め、政治経済の様相も大きく様変わりしていた。
地表の国土に依拠して成立していた旧世界の国家群は尽く崩壊し、世界は地底都市を単位とする商業経済圏で自らを分け、専ら経済の優劣で鎬を削り、互いに争っていた。
人類を地上から追放した最後の攻撃、「シナリオ・オメガ」を経験してなお、この種は争いを捨てることができなかったのである。
地底都市国家を牛耳る複合企業体は、利益を出せる人間、カネを生み出す人材を渇望した。西暦2964年。商業人材育成基本法が成立。物事を商業化し、利益を生み出す事が正義とされその為の人材育成は地底都市国家の国是となった。
ここは旧関東地下のローム空洞、ネオ・ネリマ。
商業学園都市ネオ・ネリマ商業高校。
--通称、「イグゼコマース」である。
関東ローム層の地下。負海抜9.21キロ。 大小十一の空洞からなるアジア系の都市国家。ネオ・ネリマ。
その最南端の直径約22キロの半球系の地下空洞。この一つの空洞都市が丸々全て学園の関係施設、また学園従事者の為の街であり、イグゼコマースと言えば学園本体を指すこともあれば、この都市全体を指すこともある。
そしてその空洞都市が形成する、ある特異なフィールドを指すことも。
地下とはいえ万能素材「米ジェル」によって発光する天井スクリーンは地上と変わらぬ日の昇り翳りを再現していたし、ドーム型の壁面全体に血管のように張り巡らされたナノマシンバイパスは、気温や湿度、空気組成を完全に管理していた。
雨や風。四季の暑さや寒さ。
地表では五百年も前に失われた自然の営みが、その空洞内では瑞々しく息づいていた。
--全て、人工のシステムによって。
電荷を帯びた米ジェルの発熱、吸熱。ナノマシンが繊毛運動で起こす気流。彼らが空気中の水蒸気を凝集して造り出す雨。
午前8時42分。
その雨の中を学生カバンを傘に走って行く人影があった。
「か〜っやっべえ。転校初日から遅刻かよ〜っ!?」
天気の予定表もアラームも、何故か一日ズレて確認し、またセットしていて、取猫ゲンヤの転校初日は寝坊と傘無しの雨降りから始まった。
割り当てられた宿舎から学園校舎に向かう道。事前に下見をしたお陰で迷わずに駆けることができる。駆けずに済むなら勿論その方が良かったのだが。
学園の朝の閉門まであと8分。
ギリギリ滑り込みでなんとかなる、とゲンヤは踏んで、走る足の回転を一層早めた。
と、滑るように流れ去る景色の中、ゲンヤの感覚に強く引っかかる物があった。
「……あー! もうっ!」
一度は通り過ぎたゲンヤだったが、やはり気に掛かり、そう悪態を吐くと半区画程を後戻りして、学園へと続く道に直交する細い路地に入った。
「……やっぱり。誰かのカバンだ」
住宅地の細い路地。半分口の開いた学生カバンが雨に打たれている。隙間から覗く中身のファイルやクリスタルボードはずぶ濡れだが、そう何日も放置されてはいないように見えた。はみ出したタータンチェックの小さなポーチ。カバンの取っ手の付け根からはパンダのマスコット。持ち主は女子であるらしかった。
とにかくカバンを拾おうとゲンヤは屈んだ。
その時、何かを叩くような大きな音と、誰かの鋭い叫びが響き渡った。
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「お陰で完全に遅刻だ。さて──どう落とし前を付けてくれるんだ?」
路地裏の整理区画。
剥き出しのケイ素ボードの地面に弾ける雨。
びしょ濡れにその雨を浴びながら、手に鞘に収まった西洋の剣のような物を携えたブレザー姿の美少女はそう言って、雨滴で顔に張り付くブロンドの前髪を勢いよく跳ね上げた。
彼女はガラの悪い四人の男に囲まれていた。着崩した学生服。未開の部族のような髪型。チェーン。棘。刺青。
「また不細工ばかりがよく集まったな。おまけに服の趣味も最悪だ。ま、刺青の綴りが間違っているのに比べれば、死んだカラスみたいな服の方がまだ救いがあるが」
少女より明らかに屈強な四人の男を前に、少女は怯む様子もなく不敵に笑いながらそう言った。
「減らず口もそこまでだ天才さんよ」
「この街は商業学園都市。ルールを忘れたのか? お前達では、私に指一本触れることはできない」
「イグゼコマース・フィールドか?」
イグゼコマース・フィールド。
ネオ・ネリマ商業高校学園都市全体を覆う特殊なフィールド。
このフィールドの中では殆どの物理的な攻撃や衝撃は対象に効果を及ぼさない。ただ一つの例外を除いて--。
「確かに俺たちはあんたを殴れもしないし蹴れもしない。逆にあんたの商業力によって蹴散らされるだろうさ」
「分かっているなら道を開けろ。恨み言はネットに書け」
「そう急ぐなよ優等生。このままじゃ俺たちの腹の虫が収まらねえ。だから──」
のそり、と一際巨大な男が姿を現した。男はうっすらと赤い光を纏っていた。
「経済行為発光……! 」
少女が驚愕して叫んだ
イグゼコマース・フィールドの中ではあらゆる物理攻撃は阻害、弱体化される。だが逆に、利益を生む経済行為だけは攻撃力を生じて対象に劇的な影響をもたらす。都市が経済行為と認めた行為者が纏う赤い光。それが経済行為発光である。
「──雇ったんだよ。【ケンカ屋】をな。これでこのケンカは……」
少女の手か携えていた剣を抜こうと動く。しかしそれより速く喧嘩屋の拳が少女の鳩尾に叩きこまれた。
「商業化されたッ!」
少女の体はくの字に折れて飛び、ユニットブロックの壁に勢い良く叩き付けられ--なかった。
すんでの所で駆け込んで来たブレザー姿の男子学生が、壁と彼女との間に割って入って受け止めたからだ。だがそれでも勢いを殺し切れずに、男子学生は背中を壁に強かに打ち付けて短く呻いた。
「誰だてめえ」
「名乗る程のもんじゃねえよ。おっ。噛まずに言えた。一度言って見たかったんだよな、これ」
「キミ……けほっ、けほっ……」
男子学生--取猫ゲンヤは咳き込む少女を降ろし、壁にもたれさせた。
「無理に喋るな。まずは息を整えろ」
「だが……けほっ!」
ゲンヤはしっ、と息を吐いて立てた人差し指を唇に当てた。そして軽くウインクすると、すっくと立ち上がって五人の男達に向き直る。
「商業化……か。面白い街だなぁ、この街は!」
ゲンヤはポケットから千ピフ札を取り出すと、ぴっ、と少女に向けて飛ばした。
「このケンカ、買ったぜ」
その瞬間、ゲンヤの体は火がついたように赤く輝き出した。
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