ピンぼけゴールド

生気ちまた

本編

 一


 日本にはお約束というワードがある。

 お約束。辞書を引いてみると、「あらかじめ取り決めておくこと」「お互いの信用をかけた決まり」「破ってはいけないもの」なんて意味合いが浮かんでくる。

 あるいは新しい意味として「物語上の良い意味で使い古された展開」を想像される人もいるかもしれない。


 私が伝えたいワードはこっちにあたる。

 つまり「ありがち」で「ベタ」で「大多数から期待されている」お約束だ。

 犬が歩けば棒に当たり、戦争が始まれば少年が活躍し、男女がぶつかれば恋に落ちるような――ささやかな理想と願望が封入された不文律。


 そんなお約束の中で、外国人はどういう扱いをされているのか。

 ここでいう外国人とは、往々にしてロシア・ウラル山脈より西側の人間を指している。

 同じアジアの中国人やベトナム人では日本人と見分けがつかなかったりする上に、古くから交流がある分だけ「外国人」のカテゴリから外れていたりする(別のカテゴリが生まれてしまうほどにお約束が蓄積されてしまっている)。だからここでの「外国人」からは除外される。


 私が言いたいのは、伝統的な日本社会には存在しなかった遠い国の人々のことだ。

 時には「紅毛人」なんて言い方もされる彼らには、どんな「ありがち」で「ベタ」な「お約束」があるだろうか。いくつか例を挙げてみたい。


「ドモ。コニチワ。ゲイシャ。スキヤキ。ハラキリ」

(どうもこんにちは。芸者さんを伴ってすき焼きでも食べながら切腹しませんか)


「フジヤマ! ニッポン!」

(それなら富士山に埋めてもらいましょう。日本の地で死ぬのもいいものです)


 もちろん、訳文はジョークであり、原文のままでは日本語として成り立っていない。

 とにかく、一番にありがちなのが、このような『不自然なカタコト』だ。


 その次に多いのが、根っからの日本好きというパターン。

 彼らは伝統文化からアニメーションに至るまで、ありとあらゆる日本の文化に興味を持っており、自らの生まれた文化と比べては、日本の突出性にビックリしてくれる。

 あとは日本の美しい風土を褒めてくれたりもする(好例:四季および古い寺社。あとは山。海は万国共通なので褒めてくれないパターンが多い)。


 一方で日本をバカにしてくることもあるから興味深い。次の例をご覧いただこう。


「ワオ! ハマスタ! ベリースモールスタジアム!」

(あらやだ。ハマスタよ。すごく小さな球場だわ。こんなに狭いのはきっとホームランを出やすくするためでしょうね。日本人は小柄だからパワーもないでしょうし。こんな工夫は日本ならではじゃないかしら! さすが技術の国ね!)


 外国人には上げて落とす能力も必須なのである。あとは皮肉も。

 なお、彼女がベースボールを知っているのは、私が想定しているのがアメリカ人だからだ。

 ほとんどの日本人は、白人を見るとアメリカ人だと判断する。かくいう私も傍からアメリカ人だと決めつけられることが多い。

 これはハマスタでスイッチヒッターが立っていたら、ほぼ無条件で金城龍彦だと思ってしまうのと同じ心理だろう。わからないから決めつけて安心したい。本当は金城ではなく背の高い内村かもしれないのに。


 ともあれ、同じ日本人には無個性を求めるくせに、日本文化には「世界の変わり者」を求めるあたりに屈折したものを感じなくもないけれど、往々にして、外国人には求められるキャラクターがある、ということである。

 それもアニメやドラマといった創作物にかぎった話ではない。テレビの影響を強く受けている若い世代にとって「テレビの真似」は快楽だったりする。


 ほら、クラスに一人はいたでしょう。バラエティ番組でお笑い芸人がやっているジャンケンやしりとりを率先してやりたがる子たち。あの謎多き「多いもの・お芋のジャンケン」についてはいつかググってやるとして、とにかく実際の教室でもテレビっぽい・わかりやすいキャラクターはウケるのである。


 我々はそんな虚実の曖昧な世界に生きている。


 だから、私は……金髪で肌の白い私は、明日から七校目の母校となる県立忍ケ堤高校(埼玉県行田市)においても外国人のふりを続けるつもりだった。

 本当は日本生まれの日本育ちでも、本当は日本語しか話せなくても、生まれ育った日本文化しか知らなくても。

 せっかく生まれつきイレギュラーな存在なのだから、余所者が受け入れてもらうためのツールとして「それ」を活かさない手はないというわけだ。


 どうせ半年後には転校するわけだから、元よりマブダチなんて作れるはずもない。

 かといってハブられたくもない。

 ゆえに、みんなから求められるキャラクターを甘んじて受け入れる。

 これは処世術だ。そしてお約束だ。

 私にとってはどちらも「口にはしないけどわかるよね」と受け取れるワードだったりする。


 だってほら。期待と記して「押しつけ」と読むわけだから。



 二


 県立忍ヶ堤高校は平凡きわまりない学校だった。

 七校目にもなると比べる対象が多くなってしまうので仕方ないとはいえ、昇降口からクラスに至るまで一切の発見がないのは逆におかしい。

 一方で、制服は古式ゆかしいセーラーで、なかなか可愛らしいものだった。先生により教壇に立たされた私の姿も、それなりに様になっているはずだ。


 二年四組のチョークボードに描かれた『私はハンナ・オモチツキです』は朝日によって照らされている――日本語が苦手な設定なのでわざわざ先生に記してもらった。


 私の名前は姓名ともにポーランド人のお父さんが考えてくれたものである。

 なんでもフランス人のお母さんと新しい名字を作る時に、できるだけポーランドっぽいものにしたかったらしい。だからハンナ・オモチツキ。ちなみに漢字だと『御餅付ハンナ』になる。商品名みたいだ。


「ミナサン。ドウモ。ハジメマシテ。ハンナデス」


 私は生徒たちの前で挨拶をした。

 このカタコトぶりがミソだ。わざとらしいくらいでちょうどいい。これだけでツカミが変わってくる。


「オモチツキさんは二年前にポーランドから来たそうですよー。ぽいですよねー」

「ポイデス!」


 先生から変なワードが出てきたら被せておくのもいい。なんか初々しいはず。ほら、生徒たちもクスクスと笑ってくれている。


「ウフフ。そのポーランドという国は、世界地図ではドイツの隣にありましてー」


 先生がニコニコしながら祖国ポーランドについて説明を始めた。

 ぶっちゃけ、ポーランドのことはよく知らないので、私も聞いておくことにしようかな。先生の手元にはウィキペディアを印刷したものがあるから、八割くらいは正しいはずだ。


「先生! ポーランド語での朝の挨拶を教えてください!」


 いけない。丸刈りの子からまずい質問が飛んできた。

 今までにもあったことなので、一応ワードくらいは覚えているのだけど、いかんせん発音に自信がない。ちなみにポーランド語に朝の挨拶は存在せず「こんにちは」「こんばんは」で済ませているらしい。


「いい質問ですねー。では本場の方から教えてもらいましょうかー」

「ナンデスカ?」

「オモチツキさんにポーランドのおはようを教えてほしいのー」

「オウ。ジェン・ドブリィ!」


 私はトゲピーの鳴き声のイントネーションで「こんにちは」を口にしてみた。


「おおー」


 生徒たちは漠然と感心してくれたみたい。

 よくよく考えてみれば、ポーランド語をわかっている子なんてクラスにいるはずないのよね。だからこそ、マイナーなポーランドを選んだわけだから。これが英語だったら、詳しい子にはバレていたかもしれない。

 私のもう一つのルーツであるフランスだったら……クラスに一人くらいは、ワイン好きのおぼっちゃんがいるかもしれない。高校生だけど。


「ちなみにー。ネットで調べるとー、ポーランド語をわりと学べる動画とかあるのでー、みんなもオモチツキさんとお話しする時にはー、調べてみましょうねー」


 まずい。あのサイトは知られたくない。


「セ、センセイ。ダイジョブデス。ニホンゴ。マナビタイカラ」

「あらーいい子ねー」


 先生からポンポンと右手を撫でられる。

 別に良い子ぶりたかったわけではないのだけど、生徒みんなの前で「日本語オンリー」と宣言できたのは、むしろ好都合だったかもしれない。四校目の母校では、生徒たちがポーランド語をマスターしてしまって「実はポーランド系アメリカ人なんです」とウソを上塗りしたことがあったからだ。

 あの時は心が痛かった。せっかく私のために頑張ってくれたのに。


「デハ。コレカラ。ヨロシクオネガイシマス」


 私はお手々をふりふりして、みんなに愛想を振りまく。

 生徒たちは「よろしくお願いします!」と返事してくれた。

 こうしてカタコトで友好的に接してさえいれば、転校当初から村八分にされることは今までの経験上ないので、七校目である今回も半分くらいは上手くいったと考えていいだろう。

 あとは次の転校までにボロを出さずにいられるか。私のアドリブ力(りょく)が試される。



 三


 ホームルームが終わると、私のところに、わらわらと生徒たちが集まり始めた。

 みんな、私の外国人キャラに興味津々みたいだ。まあ、田舎の学校にいきなりポーランド人がやってきたら、そうなっちゃうよね。


「ねえ! ハンナにゃんはどこから来たにゃあ?」

「ポーランドデスヨ」


 この子はホームルームの時には眠っていたのかな……ぷっくりほっぺには体重をかけた痕が残っていた。かすかに汗の匂いがするので、彼女は朝から練習のある運動部に入っているのかもしれない。転校ばかりで部活どころではない私にとっては未知の世界だ。あとリアルで猫みたいな話し方をする子も初めて見た。


「ポーランド……イリノイ州のどこかにゃ?」

「ヨーロッパデスヨ」

「それにしてもキレイな合法金髪だにゃ! ズルいにゃ!」


 どうも彼女は生まれつきの金髪のことを『合法』と表現しているらしい。

 私にとっては日本人らしいあなたの方が生きやすそうでズルいけどね。でも、自分の混じり気のない金髪については、私も気に入っている。

 お父さんもお母さんも一つくらいは良い物をくれた。


「オモチツキさんは日本料理を食べるのかい?」


 猫さんに続いて、先ほどの丸刈りくんが話しかけてきた。丸刈りなのに大人しそうな子だ。お父さんが厳しい人なのかもしれない。

 日本料理については日本人なのでいつも食べているけど……それでは話が繋がらないから、初心者設定で行こうかな。自分で設定を忘れないように家に帰ったらメモしておこう。


「アマリ。チョット。デモ。コレカラ。ガンバリマス」

「そうなんだ。だったら、ラーメンとかオススメだよ」


 丸刈りくんは近くのお店を教えてくれる。美味しいところがあるらしい。

 ただ、それは女子に奨めるべき料理なのかな……そもそも日本料理じゃないよ。私も好きだけど。福岡(二校目)と札幌(三校目)ではお世話になったけど。


「あれ? さっきの先生の話だと、ハンナにゃんの日本生活は長いはずだにゃ? なのにまだ日本料理が苦手なのにゃ?」


 猫さんが小首を傾げている。

 先生の「二年前にポーランドから来日した」との説明を覚えていたみたいだ。でも猫さんはその時には眠っていたはずだにゃ?


「エエト。イエデハ。ポーランド。リョウリ。ダカラ」

「お母さんが作ってくれるのかにゃ?」

「ウン。オイシイヨ!」


 本当は私のお母さんはフランス人だからポーランド料理を知らない。私もほとんど食べたことがない。まあ、別に有名な国でもないから話を合わせてもごまかせるだろう。


「いいにゃあ。ニャーもポーランド料理を食べたいにゃ」


 猫さんはどういうわけか、パルシュキ・フラチキ・バプカと、おそらくポーランド料理らしい名称をうわ言のように繰り出し始める。

 まずい。この子は多分ポーランドに詳しい人だ。

 もしくはNHKの料理番組『きょうの料理』を欠かさず録画している人かもしれない。だったらお嫁さんにしたい。


「ポーランドといえば、騎兵だよな!」

「ああ! フサリアだよな! マジかっけえ!」


 こっちには歴史好きっぽい人たちもいる。なんかフサフサしてそうな名前だけど、私のデータベースにはそんなの存在しない。

 どうしよう。忍ヶ堤高校は思っていたよりもはるかにポーランド度の上がっている学校だった。

 この感じだと三日もしないうちに私の正体を「ポーランド系アメリカ人」に訂正せざるを得なくなりそうだ。でも英語も苦手なんだよね。


 私が密かに冷や汗をたらしていると、猫さんが「ところで」と呟いた。


「ハンナにゃん、ここに来る前はどこのリツェウムにいたのにゃ?」

「リツェウム? エート。カガノクニ。デスネ」

「カガ……ヨーロッパかにゃ?」

「ホクリクデスヨ」


 いまいちつかみどころのない猫さんの相手に心労が募る。

 ちなみにリツェウムはポーランドにおける高等学校を意味している。ふふふ。それくらいは対策済だよ。ダテに七度も転校してないんだから。


「ミウォミ・ポズナチ・パニ・ハンナ。イェステム・コーテム」


 ごめんなさい。さすがにこれはムリです。

 初めましてハンナさんまではわかるけどコーテムがわからない。何よりネイティブ話者ではないから、どう返せばいいのか、さっぱり見当もつかない!


 こうなったら、いさぎよくアメリカ人になってしまおう。

 スターズ・アンド・ストライプスにかりそめの忠誠を宣誓しよう。舌には合わないけどチーズバーガーだって食べてあげるわ。ただしピクルスは抜きで。


「アノ。ジツハ。ワタシハ。ポーランド。デハナク……」


 私はポーランド人ではなくポーランド系アメリカ人であることをクラスメートに告げるために辺りを見回した。クラスの大半がこっちを見てくれている。こんな衆人環視の中でウソを上塗りするのは良心が痛むけれど、お互いの幸福のためには仕方ない。みんなのためにも私は外国人であるべきなんだ。


 その時――ガラガラと前方の引き戸が開かれた。

 先生が忘れ物でも取りに来たのかな?


 見れば、マット・マートンのような赤毛の女子生徒が立っていた。赤ぶちのメガネを外したらウェンディーズの看板娘になれそうな子だ。そばかすも多い。たしか、赤毛の子にはメラニンが少ないので、肌が弱くなりやすいのだとか。

 というか、モノホンの外人さんだった。


「あれは一組のロニーにゃん。マジのアメリカ人にゃ」

「アメリカン!?」

「んにゃ。マジのUSAにゃ」


 私は天を仰いだ。さすがに本物のアメリカ人がいるところでアメリカ人のふりをする勇気はない。もはやアドリブでは対応しきれない状況だ。

 そんな中でロニーちゃんは、怜悧な目つきで私を一瞥すると、


「…………」


 何も言わずに手招きしてきた。

 よくわからないけど、私にとっては渡りに船なので従うことにする。

 もしかしたら、私が転校早々クラスメートに囲まれて困っているように見えたのかもしれない。だったらダマしているようで余計に申し訳ないような。でもピンチを脱することはできたのは本当だから、せめて「ありがとう」は忘れないようにしよう。



 四


 ロニーちゃんはずいぶんと歩くのが早かった。

 テクテクと歩を進める中で。お互いに一言も話さないのも妙だった。私の場合は英語で話しかけられた時にどう返せばいいのか必死に考えていたからだけど、ロニーちゃんはずっと口元を一文字に結んでいる。

 やがて、人気のない渡り廊下に着いたところで――彼女はようやく立ち止まってくれた。わざわざ「きゅっ」と上履きを鳴らしたあたりに、妙なこだわりを感じる。


「あんた、ホンマは日本人やろ」

「エッ」

「わかるんやで。いくらごまかしても。フンイキがちゃうねんから」


 いや。そんなことより。

 まさかの関西弁。

 赤毛にネイビーブルーのセーラー服の女の子というのは、オシャレでありながらアニメチックでもあるわけだけど、喋り方のせいで一気にイメージが崩れてしまった。

 せっかく赤ぶちのメガネをかけてるんだから、共通語で丁寧に話してほしかったな。そっちの方が絶対に可愛いのに。

 私の100%の押しつけではあるけど。


 私が密かにガッカリしていると、ロニーちゃんはその褐色の目をより鋭くさせて、


「で、なんで外人のふりしてんねんな」


 まるで三者面談での先生みたいな質問をぶつけてきた。

 初対面なのに気安いのは大阪の人だからかな。ちょっとムッときた一方で、先ほどまでの苦労を語ることのできる相手を見つけたことに安堵している自分がいた。

 だから、私はためらうことなくカタコトを辞めた。


「別にやりたくてやってるわけではないよ。ただ処世術なだけで」

「せやんな! ウチもやりたくて、アメリカ人のふりしてるわけやないもん!」

「えええええええっ!?」


 これまたビックリ。赤毛のロニーちゃんはまさかの同類だった。

 つまり私と同じで、今は日本語を話しているけど、普段は外国人(あめりかじん)のふりをしているらしい。

 さすがの私も日本がこんなに狭いとは知らなかった。


「ウチはこのへんやとみんな大阪弁を怖がるから、あえて日本語を話せない設定にしてるわけであってやな、ほなやっぱりジブンもそうかいな?」

「いや、私は方言じゃないよ」


 私はきちんと否定する。

 ありがたいことに日本中を回っているはずなのに変な方言は身についていない。おそらく外国人の両親が共通語しか話せないからだ。

 逆にロニーちゃんには共通語に直すという選択肢はなかったのかな。大阪の人はどこでも関西弁を話すらしいから、一切ないんだろうな。

 アメリカ人が英語しか話さないのと、ちょっと似ている気がする。


 方言の話はさておき、ロニーちゃんは少し考えるような仕草をみせてから、


「ならあれか。みんなにチヤホヤされたいんか?」

「チヤホヤ?」

「外人やったらチヤホヤしてもらえるやろ。まるで芸能人みたいに」

「あー……そうかもしれない……」


 私は一気に穴があったら入りたい気分になった。

 というのも『クラスメートのために』とか『受け容れてもらうため』とか『一つの処世術』として考えていたものが、ロニーちゃんの「チヤホヤされたい」だけで、とてもわかりやすくなってしまったからだ。


 なんやかんやで、私にもそういう気持ちはあったはずなのである。

 ロニーちゃんは鋭いなあ。

 私は自分の汚いところを知ってしまったせいか、無性に泣きたくなってきた。


「いやいや、落ち込みなや。ウチもその気持ちはようわかるで」

「そうなの?」

「だってウチかて、多少は特別になれてるわけやん。なんせクラスではクールなアメリカ人やねんから。これが英語じゃなくて大阪弁パリパリやってみいな。絶対にクラスメートからガッカリされてまうわ」


 彼女は冗談めかしてケラケラ笑いだす。

 私も密かにガッカリした一人だったりするんだけど、もちろん口には出さない。


「でもな。チヤホヤしてもらえるかわりに、日本語を話せない設定やからこそ辛い時もあるんやで……例えば、クラスの楽しそうな話題に英語では参加でけへんし。ウチはお喋りやから、いつもウズウズするねん!」

「あっ! 私もそれわかるよ! カタコトだと話しにくいし!」


 私は思わず、手を挙げて同意してしまう。

 時にはかなり流暢なカタコトでごまかしたこともあったなあ。あの時は日本語上手いねって褒められたんだよね。そりゃ日本人だからね。


「せやろ。かといってイングリッシュやと、まともな会話にならんしな。あいつらイエスノーくらいしか返してけえへん。オフコースやないか」


 ロニーちゃんは苦笑した。小田和正を知っているのは日本生まれの証拠だ。

 こうなると、逆に彼女が英語を話せるのが不思議に思えてくる。


「あなたはきちんとした英語を話せるの?」

「独学やけどな。あとロニーでええで。フルネームはロニー・ジョンソンや」

「あっ……私はハンナ・オモチツキだよ」

「なんや正月にでも生まれたんかいな」


 ロニーちゃんの素朴な疑問に、私は「そっちは姓だよ」と答えておく。

 彼女はちょっと恥ずかしそうにしていた。


「と、とにかく。クラスでも自由にお喋りしてみたいもんやな!」

「そうだね。私も自由がないとは思う時があるよ」

「たまにはガールズトークとかな……あっ!」


 ロニーちゃんはポンと手を叩いた。

 わざとらしいけど、妙案を思いついたらしい。まだ蚊の沸くような季節ではないもんね。


「せや。よければ、ウチと二人で話すようにせえへんか?」

「どういうこと?」

「せやからイングリッシュやん。英語なら休み時間にも世間話できるやろ?」

「なるほど。たしかにそれなら日本人だとバレないね!」


 むしろクラスメートに外国人アピールができて余計にチヤホヤしてもらえるかもしれない。ハンナさんは格好いいね。ポーランド系アメリカ人なんだよね。英語ができるってクールだよね。みたいな。

 でも私は英語が苦手だった。残念。


「ごめん。私はポーランド人とフランス人のハーフなんだ。だから英語はダメなの。むしろ日本語しかできないくらいでさ」

「ポーランド……フサリアやっけ?」

「そのフサリアも知らないくらいだから察してほしいかも」

「じゃあ、もう皮を剥いだら日本人やねんな」


 さりげなく怖いことを言ってくれるロニーちゃんだったけど、あながち間違っていなかったりする。あとフサリアってそんなに有名なのかな。フサフサしてそうなイメージしか浮かばない。なんか羽毛とか生えてそう。


「――しゃーない。こうなったら特訓や!」

「えっ?」

「ウチかて、ネイティブスピーカーではないんやから、ジブンもやればできるはずや。どうせ受験で使うねんから今からやっても一石二鳥やろ。ほんなら今日の放課後からウチがレッスンしたるさかい、ハンナにはバリバリがんばってもらうで!」

「えええっ!?」


 私としてはお断りしたつもりが、そうならなかった。

 さすが大阪人のロニーちゃんである。とにかく押しが強い。だけど、そんなに彼女の相手がイヤではなかったりするから奇妙だ。

 ああそっか。自分を偽らなくていい友達ができたのは久しぶりなんだ。



 五


 それからそれから、どうなった?

 といわれても、大したワードは出てこない。

 せいぜい、若干ながら英語に詳しくなったくらいだ。


 他にはロニーちゃんの半生について少しだけ教えてもらったりした。

 彼女、生まれ自体はどこかの米軍基地みたいだけど、中学まで過ごしたのは大阪の堺市らしい。なんでもお父さんが日本刀の刀工をされているそうで、堺には修行のために住みついていたのだとか。


 お返しとばかりに、私の半生について彼女に話してみると、ポーランド人なのにポーランド語を話さない父のくだりで、やたらと笑われてしまった。フランス人なのにフランス語を話さない母のくだりでは笑い死にしそうになっていた。おかげでマルチリンガルになるチャンスを失ったと嘆いてみせると、ロニーちゃんは「でも仲良さそうでええやん」と笑ってくれた。


 ジョンソン家では、逆にお父さんとお母さんが英語しか話せないそうで、小さい頃のロニーちゃんはそれが気に入らず、反発のあまり家族と話さなくなったらしい。

 そんな状態が中学まで続いたので、彼女も自然なマルチリンガルにはなれなかったみたい。

 ただ、ロニーちゃんは高校に入ってから英語を猛勉強したので「外国人のふり」をするくらいなら話せるようになった。どこかのエセポーランド人とは比べるまでもない「ふり」のクオリティだ。

 一方で、今でもお父さんお母さんとは上手く話せないらしく、彼女曰く「もどかしい」みたい。話を聞いていた私としても同じ気持ちだった。


 ちなみにロニーちゃんにはどうやら赤毛にコンプレックスがあるみたいで、それもまた家族との不仲の一因になっているようだった。彼女は私のブロンドを「WASPやんけ」と羨ましそうにしていたけど、たしかに白人ではあるもののアングロサクソンではないし、プロテスタントどころか両親の代から仏教徒なので、私は「むしろBESPAだよ」と返しておいた。

 BESPAとは『別にイングリッシュを喋れるわけでもないパチモンアメリカン』の略である。




 クラスでは英語を話せるようになるまでポーランド人ということにしておいた。

 みんなポーランドについて詳しいけど、ある人を除けば私の出生を疑ったりしていないからだ。わりとみんな温かく迎えてくれている。


 ただ一人の猫さんだけは朝から延々とポーランド語で話しかけてきた。

 私は「ニホンゴ。ベンキョウ。シタイノ」と答えていたものの、彼女の目から疑念みたいなものは消えていないみたいだった。


「ぜったいにおかしいのにゃ。だってホンモノなら姓がオモチツカになるはずにゃ」

「ソウデスカ。ジツハ。オモチツカ。ナンデス」

「あからさまに後出しなのにゃ!」


 猫さんは毛を逆立てる。

 こんな会話を二十日くらい続けていた。

 さすがに、ごまかし続けるのも大変になってくる。

 それをロニーちゃんに話してみると、彼女からは「そろそろイタズラ決行の日やな」と言われてしまった。


 イタズラ決行――前に話していた、休み時間のイングリッシュ・ガールズトークを始めてみようというわけである。

 放課後のロニーちゃんとの訓練により、私にも日常会話ができるだけの英語力がついたとの判断だったけど、私としてはまだ早いような気がしていた。だって不安なんだもん。ネガティブスピーカーなんだもん。


 そこで私たちはあらかじめ会話の台本を用意しておくことにした。もはや世間話ではないような感じもするけど、気にしてはいけない。

 ロニーちゃんはせっかちなので決行日は翌日となった。



 六


 イタズラ決行の日。

 まずはロニーちゃんが私のクラスにやってくる。


「ヘイ。ハンナ」


 そのオーラにクラスメートたちは「おおっ」と息をもらした。

 あっというまに私たちは衆目の的になる。


 私も負けじと「ハァイ、ロニー」と答えてみせた。

 あとはやたらとポーランド語で話しかけてくる猫さんに、「ドブラーノツ」「ドビゼーニャ」「ドユトラ」「ドゾバチェーニャ」「ボリ・ムニェ・ブジュフ」とお別れのワードをぶつけておけば、二人でイングリッシュ・ガールズトークを始められる。

 彼女から「アクセントがおかしいにゃ!」「それにお腹が痛いってどういうことにゃ!」と言われても気にしてはいけない。

 だって、私はこの日からポーランド系アメリカ人なのだから。


『こんにちは。私の名前はハンナ・オモチツキです』

『こんにちは。ウチの名前はロニー・ジャクソンです』

『今日は会えてうれしいです』

『今日は会えてうれしいです。ウチも』


『こんにちはハンナ』

『こんにちはロニー』

『気分はどうなん?』

『私は元気よ。あなたは?』

『ウチも元気やで』


『昨日はレストランに行きましたか?』

『いいえ。昨日は家で食べたわ』

『何を食べたのですか?』

『レタスのサンドイッチやで』


 以上が、私とロニーちゃんの初めての世間話(全て英語)である。

 台本を作ったのはもちろん私だ。自然な会話が浮かばなかったので、中学英語の教科書を参考にしたのだけど、さすがにカンタンすぎたかもしれない。


 だけど、クラスメートからツッコミを入れられたりはしなかった。

 むしろ私たちに話しかけてきたのは、もっと「やっかい」な人だった。


 そう。サンドイッチのくだりを終えたところで、隣のクラスから入り込んできた、まるで日本人形のような容姿の女子生徒。

 なのに、小ぶりな口から繰り出されるワードは明らかに日本語ではない。


「○×△□! ○×△□!! マイフレンド!」


 あまりにも喋るのが早すぎて、ほとんど聞き取れなかったけど、いきなり飛んできた「マイフレンド」というワードから、その子が話しているのが英語なのはわかった。

 ならばロニーちゃんに任せよう……と思ったら、そっちは「えっ、えっとやな」とテンパってしまっていた。なんでやねん。


「○×? ○×△□……アー。イングリッシュOK?」

「ああ……ううん。ごめんね。ジャパニーズオンリーかな」


 人形ちゃんの問いかけに、さすがの私も「ふり」をするのを止めにした。

 カタコトではないハンナ・オモチツキにクラス中から『どよめき』が起きる。

 今までの会話をクラスメートたちも聞いていたのである。そんな中でモノホンの英語話者と会話できないとバレてしまえば、もはや私には降参するしか手はない。


「…………」


 居並ぶ生徒たちが私を見ている。特に怒りの色は見当たらないけど物欲しそうではある。

 彼らには「全てウソだった」と洗いざらい白状せざるをえないだろう。


 ポーランド人でもなければアメリカ人でもありません。ただの日本人でした。

 かつて五校目の母校(小豆島)で犯してしまった失敗を繰り返してしまうなんて我ながら情けない話だった。あの時は大変だったなあ。

 でも半年でリセットできた。どうせ今回も引っ越しすればリセットできるだろう。


 ならば、さほど気に病むことでもないかもしれない。


「にゃにゃにゃにゃ。やっと化けの皮をはがしてやったにゃ」


 猫さんは笑っていた。


「かぶっていた猫、じゃないの?」


 私の問いかけに、彼女はブンブンと首を振る。


「それはニャーの専売特許なのにゃ。ハンナにゃんには使わせないにゃ」

「だから化けの皮なのね……そんなの、本当に剥げたらいいけど」

「いいや、もう剥いだにゃ」


 猫さんは「ジェン・ドブリィ」と呟いた。

 ポーランド語で「こんにちは」を意味する。トゲピーとは程遠いアクセントだった。あの時にはもうわかっていたのかな。私は気が重くなる。


「ちなみに、こちらのアドリアナ・オオモリさんは日系ブラジル人。ポルトガル語と英語を話せるマルチリンガルなのにゃ!」


 猫さんの紹介に合わせて、日本人形みたいな女の子が小さく会釈してくる。本当の英語話者ともなればロニーちゃんがタジタジにされたのもわかる。

 そんな人をわざわざ呼んでくるなんて、どうも猫さんは私を本気で追い詰めたかったみたいだ。イジワルにも程がある。文句の一つでもぶつけてやらないと気がすまない。


「たしかに私はウソをついたけど、そこまでしなくてもいいじゃない!」

「そうしなくちゃいけない理由があったのにゃ」

「なにがよ!」

「だって、化けの皮を剥がさなきゃ、本当のハンナにゃんと出会えないのにゃ!」


 猫さんは「ジェン・ドブリィ」を繰り返した。


 こんにちは。


 私は――腰が砕けそうになった。

 本当の私だなんて。こんなピントのボケたような紛らわしい存在なのに。

 自分でも何が自分なのかわからないくらいなのに。


「さあ、ハンナにゃん。あらためてクラスに挨拶するにゃ!」

「えっ、いや……」


 猫さんにはそう言われたものの、私はみんなをダマしていたわけで。

 もっと突き詰めれば、いずれ過ぎ去るものとして軽視していたわけで、正直、許されるべきではない気がした。


 なのに、クラスのみんなは別に怒ったりしていない、むしろニヤニヤしている始末。

 気持ちをどうにもできず、私はペコリと頭を下げてごまかした。窓に映る私の顔は、白人なのに真っ赤になっていた。まるで皮をひん剥かれたように。



     × × ×     



 家に帰ってくると両親が稽古をしていた。

 お父さんとお母さんはコンビを組んで旅芸人をしている。芸名はオモチツキ一座。お金にはならないものの地方のホテルに呼ばれるくらいには人気だ。私の学校の都合があるので、およそ半年ごとに地方を渡りながら集中的に興業をしている。


「おう。ハンナじゃねえか」

「あらハンナ。ずいぶんと荷物が大きいのね」


 笑顔で出迎えてくれるお父さんとお母さん。

 大荷物はクラスメートから歓迎会でプレゼントをもらったからだけど、それよりも二人には訊きたいことがあった。


「ねえ。どうして二人は、私にポーランド語とフランス語を教えてくれなかったの?」

「「はぁ?」」


 二人して目を丸くされた。

 なにか変なことを言っちゃったのかな。


「お前……知らなかったのか?」

「私たちは生まれも育ちも日本なのよ。なのにどうやって教えられるのよ」

「ええっ!?」


 生まれて十六年目に知らされた――驚愕の事実。

 私は三世だったらしい。

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