「201号室愚行戦記」

大和

第1話 佐藤 流の戦 1

初めに言っておこう。これは私の一ヶ月に及ぶ自分への挑戦、否、自分との戦いである。

 友人たちは私を「阿呆。社会不適合者。生粋の馬鹿。ゆとり教育の敗北者」と罵った。しかし、私は決してそのような愚か者ではない。むしろ我が人生において超えなくてはならない壁を乗り越えるために精神をすり減らし、歯を食いしばり、筋力低下すらも顧みずに自分自身の限界に戦いを挑んだのである。

 この物語においてまずは私について語る必要があろう。

 私は大学二年目の学生である。成績はまあまあ優秀と自分では考えている。去年の単位をことごとく六科目も落としたことについては慨嘆せずにはいられない。私の優秀すぎる完璧無欠なレポートにF判定を下した教員たちには、残念ながら私の有り余る頭脳が叩き出した超理論を理解するほどの頭脳を持ち合わせていなかったのだろう。F判定を付けた仲が良い野村教授に理由を問いただしたところ「お前のレポートに単位を与えるのは物理学者が幽霊の存在を認めるようなものだ」とのことだ。野村教授、残念ながら現実は目を背けたくなるものこそが正しいのである。

 友人たちも私に対して「理解出来ない。お前の存在はこの世界の謎だ」などと口をそろえて言う。どのような世の中でも天才とは生きているうちには認められないものだと私は身をもって体験している。

 話を戻そう。私は大学入学して間もなく恋に落ちた。同じ学科の物静かな雰囲気をまとった黒髪の乙女、和泉月である。入学してから十日、大学内を徘徊していたときに立ち入った図書室で彼女は窓際で静かに読書をしていた。静かな図書室で彼女の座った窓際だけはモーツアルトの「パッヘルベルのカノン」が流れているような錯覚を覚え、窓から零れる光は彼女だけを照らすようなスポットのようであった。

 私はあまりの衝撃に恋に落ち、刹那の時も待たずに声をかけた。彼女の第一声は「誰あんた?」だった。この見た目に適わない物言いはさらに私の心を鷲掴みにした。

 それから一年間私は事あるごとに彼女にアプローチをかけ、今から一月と三日前に私の気持ちを彼女に伝えた。

 今までの完璧なアプローチがゆえに彼女が私の元に来てくれると疑わなかったが、彼女からの答えは「友人として付き合っているだけでも感謝しろ」だった。

 この出来事が私を自分との戦いに駆り立てたのである。

 私は部屋に立て篭もることを決意した。

 誤解されては困るので弁明しよう。私は決して彼女から振られた感傷に打ちひしがれてこのような戦いに挑んだわけではない。明日から彼女と顔を合わせるのが辛い、友人たちの話の種にされるなど、このような訳から立て篭もりを決めたなどとは断じて違う。

 私は彼女から振られたことには私の精神面に万一の小さな愚かさがあったのだろうと捉えた。ならば私はそれを乗り越え、さらなる高みに登ることが必須であると考えたのである。しかし、それは彼女から好かれたいなどという愚かな考えゆえに行き着いた結果ではない。あくまで完璧な自分を目指すがゆえに辿り着いた解である。人には諦めればならぬことと諦めてはならないものがあるが、私はそれを重々承知している。

 その結論によって私は二十年間という長い間に培ってきた自身という天にも達するような高い壁を乗り越えることに決めたのである。

 そのために、自分自身と向き合うために私は自室に篭城するという社会に石を投げるような、苦汁を飲むような決断をしたのだ。

 行動の早い私は彼女に振られた日には買えるだけの長期保存食品と煙草と酒を買い部屋に立て篭もった。

 思えば長く辛い戦いであった。



 多くの凡人諸君は引き篭もるという行為を甘え、あるいは逃避の象徴であるように思うのであろう。しかし私の引き篭もりと一般的凡人達の引き篭もりを同等の行為として並べて貰っては困る。私は引き篭もりの名前を借りた修行なのである。修行僧が山に篭る様に私は六畳の四方を壁に囲まれた密室に山修行ならぬ、部屋修行を行ったのである。

 そう、これは戦であり修行であるのだ。ただ嫌な事から目を背けるだけの愚民の引き篭もりと一緒にしてもらっては困る。私は自身を見つめ直し、たった六メートルの歩みの先に広がる欲望にまみれた甘美なる誘惑の外界と自らを断ち切り、外界が私に囁く甘美な誘惑に動じない芯を培うべく戦を始めたのである。

 ただ部屋に篭るだけならモグラでも出来る。だが私は違う。部屋で自らとの戦いに勤しむ姿はさながら戦士、否、日本男児らしく侍を彷彿させる佇まいであった事だろう。

 そして、この戦の開戦を華々しく飾るために何か行動を起こさなくてはいけないと私は考えた。勉学に励むか、六畳の限られた密室で鍛錬し隆々たる肉体を目指すのも悪くはないだろう。だが、そこで私は閃いた。自身と向き合うためには今の私を作り上げたと言っても過言ではない読書に励むべきではないかと。我ながら素晴らしい考えである。今までの私に甘さがあったのならば、今まで読んできた本に問題があったのだ。いや、本のせいにするのは甘えである。今まで私をこれ程までの高みに上げた本に対して、感謝をすれども、批判するのはお門違いも甚だしい。おそらく私の本の読み方に問題があったに違いない。ならば次こそは、さらなる高みに上れる程の崇高なる読みを行うべきである。その解に至った瞬間に笑いが込み上げてきた。

 次こそは私は人格の摩天楼の頂に到達出来ると。

 思い立ったのならば即行動に移すべきと私は本棚に手を伸ばし、記念すべき一冊を厳選することにした。芥川龍之介か、太宰治か、あるいは時代飛んで村上春樹か、国境越えてヘミングウェイか。本棚を引っくり返す勢いで物色していると一つ本棚から長方形のケースが落ちてきた。

 見たことないケースであったので拾い上げてみるとそれは、大学入学後間も無く知り合った悪友飛んで友人飛んで腐れ縁飛んで、親友にまでなった筒井一歩のDVDであった。それは十八を立ち入り禁止で囲んだ男児の夢を詰め込んだDVDであった。一歩の家に行ったときに強引に借りてきて何処に行ったのか消息を掴めなくなったパンドラの箱である。まさか  今宵の門出の瞬間にひょっこり顔を出して来るとは勘の良い私ですら思いもしなかった。

だが、この瞬間に感動的再会をするわけにはいかないのである。私は自身を見つめ直すための最初の相棒を探しているのだ。この瞬間でなければ涙とよだれを流しながら再会を喜べただろう。真に残念である。

 私は夢の箱を丁寧に投げ捨て、新たなる出発点に相応しい本を探し始めた。

 しかし、特別な瞬間とは意外に相応しい相手を探すのは難しい。どの本も魅力的であり、私には彼らの「俺を読めよ」と言う誘いの言葉の中から一つを選ぶことは至難であった。結果的に私は彼らから相棒を選ぶことは出来なかった。彼らの中で一番を決めることは私には出来なかったのである。心優しい私だからこその悩みであろう。

 決めかねた私は一息つく事にして座り込んだ。このような時は一度心を静めてから、決めるのが一番である。そのまま寝転がると頭に何かがコツンと当たった。そこに何か置いた覚えもなかったので私は不審に思い手に取ってみると、それは一歩の神具のDVDであった。ふむ、さっき相方を探すときに投げ捨てた彼女はこのような場所に落ちてしまったのか。いくら人生の分岐点の相棒を探す瞬間であっても投げ捨ててしまった事は申し訳ない事をしてしまったかもしれない。素直に懺悔を出来る私は彼女に対する無礼を反省したくなるようなモヤモヤした様な、ユラユラした様な、ムラムラした様な気持ちになった。すまない。君を投げつけるような真似をしたことを心から後悔する。私は反省の出来る紳士である。


 一刻ほどで私は摩天楼の頂に立った。


 心優しい私は彼らの中から特別を一つだけ選ぶことはしなかったのだ。まさに紳士である私だからこそ出来た決断であろう。



 午後の講義が終わり、多くの凡人学生が帰宅する中、和泉が外を面白くなさそうに眺めていた。梅雨も明け徐々に気温も上がり、夕時になり大学の裏の山はひぐらしが鳴く。その夏の夕暮れの象徴は私の耳と講義室を吹き抜けていた。つまらなそうな顔をしている和泉の顔は夕日に照らされ赤いような、または影が深く刻まれているような神秘的な雰囲気を漂わせていた。その雰囲気は非常に魅力的であった。美しい彼女だからこそ漂わせることの出来る趣であろう。

 そして美しき女性は振り向いた。


「友人として付き合っているだけでも感謝しろ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る