余 話  丁旿

ごきげんよう。


唐突に召喚され、不可解だ。崔浩である。

今回の任は……なに、丁旿を語れ?

気でも狂ったか?


まぁ良い、語れというのであれば語るがな。

その代わり「劉裕」の

壮絶なるネタバレとなるは覚悟せよ。


と言っても、奴めには

ほぼ事蹟が残っておらぬ。

諸葛長民を暗殺した事によって、

市井の者がらより

「悪いことすんじゃないぞ、

 丁旿が来るからな!」

なる脅し文句となった程度であるぞ。

それ以外には、もう一つ位しか

面白きエピソードがない。


ともなれば、そのもう一つ、

を語るしかあるまい。

ではそれに先立ち、一編の詩を紹介致そう。



  ○  ○  ○



丁督護歌


督護北征去,前鋒無不平。

朱門垂高蓋,永世揚功名。


洛陽數千里,孟津流無極。

辛苦戎馬間,別易會難得。


督護北征去,相送落星墟。

帆檣如芒檉,督護今何渠。



督護初征時,儂亦惡聞許。

願作石尤風,四面斷行旅。


聞歡去北征,相送直瀆浦。

隻有淚可出,無復情可吐。



(日本語訳)

 ああ、督護。

 貴方がひとたび北征すれば、先陣を切り、

 敵を悉く平らげるのでしょう。

 都にもきっとその名は鳴り響き、

 その功名は長く語り継がれるのです。


 洛陽の都は数千里のかなた、

 黄河の流れは果てもなし。

 軍旅に辛苦なさっていることでしょう。

 別れるは容易いというのに、

 会うのはなんと難しいのでしょう。


 ああ、督護。あなたが北征して後、

 小高い丘に一つの星が落ちました。

 多くの船が川面を滑っていますが、

 貴方はいずこにいらっしゃるのでしょう。



 ああ、督護。

 貴方が出征されるだなんてこと、

 本当は聞きたくはなかったのです。

 願わくば伝説にある石尤の風、

 帆船を足止めする逆風のごとく、

 貴方をお止めしたかった。


 貴方の北征を喜ぶかのよう振る舞い、

 直瀆の港までお送りしましたが、

 つい涙をこぼしてしました。

 私の真意など、

 どうして打ち明けなぞできましょう。



  ○  ○  ○



笑顔で愛する人の出征を見送り、

密かに泣く。

悲しくもけなげな歌であるな。


さて、ここには丁旿がおらぬ。

奴めが姿を現すのは、

この詩の来歴に於いてである。

宋書に言う。



【丁督護歌】


彭城內史・徐逵之が魯軌に討ち取られた時、劉裕は府內直督護・丁旿に命じ、その遺体を埋葬させた。徐逵之の妻は劉裕の長女、劉興弟である。興弟は丁旿を寝室にまで呼び寄せ、自ら埋葬の様子を訊ねた。興弟は問うごとに嘆じては『丁督護』と言った。その響きがあまりに哀切であるため、のちの人たちはその語調を歌に乗せて広めた。



いきなり徐逵之や魯軌と言った新出の名が出ておる。かれらを乱暴に解せば「劉裕の側近の親戚」および「劉裕の東晋統一事業におけるラスボスの幹部」となる。即ち、劉裕が東晋国内における最後の敵を倒そうとしたら、その幹部に可愛い配下が殺された、となる。ではその配下、どれだけ可愛かったのか。劉裕の長女を嫁がせるほどであった。


ここから、劉裕の妻子事情について語ろう。のちの皇帝であるから、劉裕には、当然妻が沢山いる。しかし劉裕は、正妻は飽くまで一人だけ、とした。


臧愛親。劉裕より二つ上の姉さん女房であるが、劉裕が東晋国内を駆け上がっているさなかに夭折。もっとも第二婦人以下は劉裕がスターダムに上りきってから初めて寵を得ているわけであるから、そもそも臧愛親となど比較のしようもないのであるがな。さて彼女が為した子供はただ一人、娘の劉興弟のみ。「弟を盛り立てろよ」と言う、何とも悲しき名を付けられている。


興弟の生年は不明。故に逆算を為す必要がある。臧愛親の死亡が 408 年で、待望の長男である劉義符は 406 年の生まれであった(無論愛親の子ではない)。更に言えば愛親の享年は 47 才。興弟出生が少し遅めの 30 才であったとしても、義符誕生の折、興弟は 16 才である。長男が生まれるまでの決して短からぬ期間、東晋を代表する将軍の血を引く存在のトップとして、彼女に掛けられたであろう期待は想像するだに凄まじきものがある。


その興弟に宛てがわれる夫である。どう考えても、ただ事ではない信任を得ていた人物となろう。ちなみに徐逵之の親族、徐羨之は、劉裕政権のナンバーツーこと劉穆之の後継者であった。


さて、ここまで全力でマエフリをキメた。と言うのも、ここで名前を挙げている劉興弟、とんでもない VIP であることを諸氏にご理解頂きたかったのである。この点を踏まえねば、丁旿めの理解が進まぬでな。


そして、丁旿。文中では府內直督護と言う官位を得ておる。「劉裕」本編にても少々触れられておるが、督護を大雑把に言えば近侍である。近くに侍る、のである。押しも押されぬ東晋ナンバーワンの。しかも、更に「府内直」が乗る。劉裕の政務活動のために確保された事務所において「直に」「督護する」。それが丁旿めの役職であった。


割と各所から恨みを買っておる劉裕、その日常を守るには、どのような人物を配すべきであろうか。

これだけでも、既に丁旿めについてはいくらでも妄想が花開いてしまう。しかし宋書は容赦を知らぬ。読者に向け、更なる萌えソースをブチ込んでくるのである。



その辺りをひとくちに言ってしまえば、

興弟と丁旿、お前ら割とデキてたろ、

と言う話である。



丁旿に「自分の寝室で夫の送葬の様子を語らせ、感極まる度に「督護、督護……!」と悲しげに訴える」興弟。更に言えば「自ら」と言う語句も見逃せぬ。貴顕の娘であるから、直接対面など通常はとことん憚られよう。恐らく、それこそ御簾越しに、間に人を挟んでのやり取りが通常であったのだろう。しかしこの件での劉興弟は通例をぶち破っている。その振る舞いたるや昼下がりの団地妻かよ、と言った装いである。その響きが余りにも哀切であった、じゃねーよ。興弟の警戒心ザルか。


そして、ここでひっくり返すのである。ド級セレブリティの興弟の警戒心を、ザルにさせる。丁旿めと興弟、言い換えれば丁旿めと劉裕の信頼関係がどれだけ強固であれば、斯様なオモシロ昼ドラが展開するのか、となる。


「正直この辺の昼ドラやりたいから

 劉裕書いてます!」が作者の言である。


ところで「劉裕」、執筆開始前の段階では

全十章の予定であったな。

一応その章立ては今も崩れておらぬが、

このエピソードが出てくるのは八章であるぞ。


三章の段階で

これだけ膨れ上がっておるのであるから、

今後どうなってしまうやら。

と言うより十章に登場する予定の我は

更に地獄なのであるが。



ともあれ、「劉裕」の語り手、丁旿とは

斯様な人物である。

総括しよう。

あまりにもおいしすぎるモブ、である。


ではまた、次話にてお会い致そう。

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