第一部 君主列伝上 晋帝及び前西涼
ごきげんよう、崔浩である。
「上」では晋帝、及び前涼西涼を語る。
この二国が、一応晋のシンパという扱いになっているゆえである。
・西晋 265-318
※実際の初代は司馬炎であるが、系譜を見渡しやすいように、と言う意図のもと、敢えて司馬懿より皇統を下ろしている。
初代 宣帝(
三國志、
二代目 景帝(
司馬懿の息子。上で書いた曹氏による排除の流れを返り討ちにするための計画を練った主導者でもある。蜀に呉にと圧力をかけていく中、側近と頼みにしていた
三代目 文帝(
司馬懿の息子、司馬師の弟。毌丘倹の叛乱以後、魏内の司馬氏アンチが一気に賑やかになってきたので、アンチ潰しに奔走する。そして 260 年、遂に魏のラストエンペラーである
四代目 武帝(
司馬昭の息子。なんかもうどう考えても司馬昭の敷いたレールに乗って登極街道まっしぐらと言う感じである。司馬昭が死んで跡を継いだ直後に曹奐より禅譲を受け、皇帝に(なおこの後の曹氏は
五代目 惠帝(
司馬炎の息子。どうしようもない暗愚な人であったが、この人の子(
あぁ、この人を紹介する時の定型文よろしい名台詞があるな。紹介しておこう。戦乱、凶作によって穀物が失われ、民が飢えていると聞きつけ、かれは「穀物がなければ肉粥を食べれば?」と放言したと言われる。マリー・アントワネットのアレは創作だが、こちらは史書に乗っている。しかし史書そのものが創作バリバリであるため、こちらも割と怪しいのは否めぬ。
六代目 懷帝(
司馬炎の第25男。おい種蒔き過ぎだろ司馬炎。司馬家の皆様が八王の乱に盛り上がっている中ニート生活をしていたそうである。素晴らしい処世術であるが、残念ながら親戚の
七代目
司馬炎の孫。父の
・東晋(一応代数は西晋から継続させる) 318-420
八代目 元帝(
司馬師、司馬昭の弟の子孫なので、西晋皇統直系ではない。配下の
九代目 明帝(
司馬睿の息子。権勢を広げる琅邪王氏のうち武力を握った
十代目 成帝(
司馬紹の息子。わずか四歳で皇帝に即位している。北に
十一代目 康帝(
司馬紹の息子、司馬衍の弟。兄の夭折に伴い即位したが、やはり早世。兄の苦労をずっと見ていただろうし、
十二代目 穆帝(
司馬岳の息子、……だが一歳で即位ってオイ。生涯を皇帝として過ごすとか地獄以外の何ものでもないな。この当時には石虎も死に、後趙が内紛で忙しくなっていたので、東晋も無事貴族らの権勢争いに大忙しであった。お前ら。なお司馬岳時代ごろから権勢を伸ばしつつあった
十三代目 哀帝(
司馬衍の息子。さすがに司馬聃も、19歳では子供を作るのは難しかったようだ。桓温の専横を指をくわえてみているしかなく、政務を取るのに嫌気が差したあげくオーバードース死。この辺りから東晋皇帝がオモシロ皇帝化していく。
十四代目 廢帝(
司馬衍の息子、司馬丕の弟。皇帝のなり手が徐々にネタ切れしつつある感じがして笑えない。この頃洛陽が前燕によって失陥、これを再び取り返そうとするも
十五代目 簡文帝(
ここに来て登場する司馬昱は、なんと元帝の息子。桓温の禅譲工作、及び
十六代目 孝武帝(
司馬昱の息子。12歳で即位、23歳の時にはあの
十七代目 安帝(
司馬曜の息子。白痴であったとされる。お陰で宗族の
十八代目 恭帝(
司馬曜の息子、司馬徳宗の弟。白痴の兄をよく支えた。兄が殺された後に「劉裕に禅譲する役」として皇帝に即位。お仕事は禅譲の詔を書くことであったが、それの下書きも劉裕の配下が書いたというアレっぷりである。禅譲後は暗殺を恐れて妻とともに隠匿生活を送っていたが、妻の兄弟の画策によって警戒網を突破され、殺された。
なお個人的にはこの兄弟(三人)がほぼ同タイミングで死んでいるのが恐ろしくてならない。時に 424 年、まもなく宋の文帝・
・前涼 301 - 376
初代
西晋の能吏であったが、八王の乱が起こるや速攻涼州に逃れた。そして涼州で暴れ回っていた鮮卑たちを平定し、厳正な統治によって「天下が千々に乱れる中、避難先とするに相応しいのはただ涼州のみ」と評価されるほどの平和を実現した。また涼州で半独立の立場を貫きながらも、あくまで晋の忠臣としての振る舞いを貫いた。晋帝の危地にはしばしば護衛の兵を派遣している。
二代目
張軌の息子。父が涼州に出向するとそれに従い、蛮族、反乱の鎮定に活躍した。また張軌の跡を継ぐと善政も継承。また司馬睿に帝位につくよう勧めてもいる。ただし司馬睿即位後の改元には付き合わないなど、あくまで東晋とは一定の距離を置く姿勢を示す。やがて京兆の
三代目
張軌の息子、張寔の弟。張寔の息子である
四代目 張駿 307 - 346
張茂の期待を一身に背負った、張寔の息子。そしてその期待に応え、前涼の最盛期を築き上げる。前趙、成漢、東晋の三国と友諠を重ね、且つ西方の通商経路を開拓するなど、全方位に渡って細やかな運営を為している。この前涼と言う国は、なぜこうも統治者に恵まれていたのか。もっともここから先に凋落のにおいがほの見えているわけだが。
五代目
張駿の次男。後趙の侵攻を名将・謝艾を遣わせることで挫いたが、以後尊大となり、臣下の言葉に耳を貸さなくなるように。涼王を自称しようとしたが、この称号は東晋からは却下された。
六代目
張重華の次男。10歳で即位するも、即
七代目 張祚 ? - 355
張駿の長庶子。すなわち張重華の兄。簒奪の上帝位僭称、すなわち東晋からの自立を宣言した。後趙防衛の功臣である
八代目
張重華の庶子。即位が何せ5歳である。傀儡もいい所であり、母親の一族、権臣などの朝政壟断をただ見ているしかなかった。やがて政争を勝ち抜いた叔父の
九代目 張天錫 346 - 406
張駿の末子。甥を殺して涼王位につくのだが 376 年には前秦に降伏。ここで前涼は滅亡する。しかし淝水で前秦が崩壊すると東晋に帰属。この人の前秦降伏以後の振る舞いを見ていると、張耀靈や張玄靚の浮かばれなさが半端ないな、と思えてならない。
・西涼 400 - 421
初代
晋書は唐代の成立である。すなわち「李」氏の支配する天下であり、この西涼はそんな李氏のご先祖枠として乗せられている。ついでに先祖は戦国時代の秦の将軍
二代目
李暠の子。遠志なく乱開発乱造を繰り返した末に無謀な遠征計画を立てた上敗死。いいのか
以上である。
では、また次部。
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