第二部 五胡十六国時代のあらまし(後)
ごきげんうるわしゅう、
いよいよ我らが
期待せよ、何せ我らは敵を
ストレートに dis る免罪符を持っておる故な!
崔浩ジョークである。笑え。
(※中国史のベース史料「二十四史」の内、
北魏について書かれた「魏書」が
断トツで口汚く敵勢力を罵っている)
・
後趙の分裂を経て、新たに鼎立した三国についてもう少し紹介しておこう。
だが、趨勢とはわからぬものである。
この戦いで東晋は北伐のための戦力をほぼ失った。いっぽうの燕もまた甚大なる被害を受けている。漁夫の利を得たのは秦である。少々のちょっかいを掛けた程度で、勝手に両陣営が手酷いダメージを被っている。加えて燕の国内では、枋頭を勝利に導いた英雄、慕容垂に謀反の嫌疑が掛けられていた。こうなっては慕容垂も、燕に義理立てする意味もない。秦に亡命、帰順した。
――はい。無事秦が華北を統一しました。
・
見事華北を統一した苻堅であるが、割と「
「王さま、
王猛の遺言である。押すなよ、絶対に押すなよ、である。
攻めた。負けた。
淝水の戦い。八十万の秦軍対八万弱の東晋軍であったという。敗因は諸説あるが、「秦軍の将兵にやる気がなかった」説がもっとも有力である。
苻堅は戦争で負かせた相手を配下に加えた。そして旧来の自分の軍とほぼ変わらぬ待遇をした。降将にしてみれば「とりあえず謝ればオッケーとか楽勝過ぎ!」であろうし、旧来の将にしてみれば「俺が潰した相手と同じ扱いとか舐めてんのか?」であろう。
寛容の王、苻堅であったが、配下にしてみれば割とやる気をなくさせる上司だったようである。
対する、東晋。負けたら親兄弟もろともフルボッコが確実である。負けるわけには行かぬ。そして時の宰相謝安が、淝水前(ついでに言うと淝水後も)内ゲバでがたがたになっていた国内を、一瞬だが見事に一致団結せしめた。
この両者の意識の差が、淝水の結果に結びついた、とされている。
さて淝水中、謝安は努めて平静に国内の舵取りを為した。そして舞い込んだ勝利の報に一人ひっそり狂喜乱舞し、狂喜のあまり死んだ。無理もない。常人なら普通にストレスで死ぬ。
謝安を失った東晋は、この後本格的に崩壊するわけであるが、華北は華北で最悪のガタガタ状態となり、そこにつけ込んでいる暇がなかった。
どこもかしこもガタガタとなる中、次代の雄が力を蓄える。かくして五胡十六国時代は我らが北魏の時代と化すわけである。
・
崩壊した秦から慕容垂が独立。改めて
姚興は華北中央から西部を、慕容垂は東部を握った。だがここに、北からの英雄が現れる。我らが
道武帝は、我が父
そして遂には、
この辺りを史書で調べるのはお薦めしない。
・東晋の滅亡(
いよいよ「劉裕」の時代にかかってくる話である。謝安亡き後本格的にどうしようもなくなってきた東晋。今まで名を上げてきた人物は、それでも貴顕の類であった。しかし最後に出てきた男、劉裕。この男は難民出身である。
しかもこの男、グダグダな東晋を立て直すふりをして、最終的には木っ端みじんにブチ壊す訳である。これは底辺層出身のかの者だからこそ為し得た暴力的なマネやもしれぬ。ここまでやられるといっそ小気味よい、と言ってもよいな。
だが、東晋をぶっ壊しました、までは良い。問題はこの後の敵が我ら北魏なことである。
さぁ、北魏。道武亡き後に立った
ここでトンビに油揚げ。突然劉裕が北伐を決める。
おりしも後燕は慕容垂が死んだこともあり、求心力を失い、
しかしこの遠征を劉裕自らが行った瞬間東晋国内がまたガタガタし始めるのだからどうしようもないな。とはいえ劉裕はまだ国内が安定し切っていないと見るや取って返し、これもまた一挙に国内の綱紀粛正に努める。
そして体制が整うや、今度は後秦を滅ぼした。こちらもすでに姚興が死んでおり、まったく相手にならなかった。
もっとも、南燕にせよ後秦にせよ、もはや我々にとっては「とりあえず滅ぼしとくか」以上の対象ではなかったのだがな。どうせ劉裕は最も警戒せねばならぬ相手であったし、むしろ邪魔者を二匹消してくれた、と言ってもよい。
後秦を滅ぼした後、劉裕は東晋の皇帝より玉座を強奪。ここに
・北魏華北統一(
最大の難敵、宋。だが劉裕は皇帝に立って間もなく死んだ。それで勢力がガタガタに……なってくれればよかったのだが、息子の
南では宋と戦い、北では華北残余勢力をすりつぶす、そのような日々の中、明元帝も亡くなる。ここに登場するが
峻厳、苛烈。わが主上は疾風のごとく華北全土を駆け巡り、ついに残余勢力の蕩尽を成し遂げた。また劉義隆のバカが檀道済を殺してくれたおかげで、宋の領土を大きく分捕ることにも成功する。
この辺りについてはどこまでも語りたくなるな。しかし、ここは敢えて我慢を致そう。こうして北に北魏、南に宋、という二大国家体制が出来上がり、五胡十六国時代は終焉を迎えるのである。
・第三席を終えて
以上が、乱暴にもほどがある五胡十六国時代のあらましである。
この後に我がうっかり主上にじゃれすぎて殺されたりもするのだが、この辺りは次席に回そう。次席は五胡十六国時代の周辺を概括する。即ち
何せ漢の滅亡が 220 年、隋の建国が 581 年。この 361 年のうち、我が概括したは 162 年に過ぎぬ。序言にて言及した「漢の後が……ず、隋?」は全然埋まっておらぬ。
もちろん、我の目的は五胡十六国時代の紹介であるから、事跡の概括は更に乱暴となる。他の時代については、また別の何者かが行うこともあろうが、そのきっかけにでもなってくれれば幸いである。
では、また次部。
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