[2] 脅威
「星」作戦が順調に目標を着々と完了させていた一方、「ギャロップ」作戦は2月2日以降、大した戦果を上げられずにいた。第1装甲軍(マッケンゼン大将)による予想以上の頑強な抵抗を行い、主戦場のスラヴィヤンスク周辺は渓谷や荒地の多い地形で防御するにはとても有利であったからであった。
2月10日、モスクワの「最高司令部」は南西部正面軍に対し、「退却する敵軍が、ドニエプル河の重要な渡河点であるドニエプロペトロフスクおよびサポロジェへ到達する前に両地点を奪取し、ドネツ地方のドイツ軍部隊を主戦線から分断せよ」と命じた。
この命令を受けて、ヴァトゥーティンは各軍の作戦目標を大幅に変更した。ポポフ機動集団にはスラヴィヤンスク周辺を西翼から迂回攻撃させるとともに、第6軍をクラスノグラード、第1親衛軍をサポロジェに突進させるようにした。
ドイツ軍が主力部隊をハリコフとスラヴィヤンスク周辺に集中していることもあり、攻撃軸を西へシフトさせた第6軍と第1親衛軍はケンプ支隊と第1装甲軍の間隙を突いて、再び勢いを取り戻した。
2月17日、第1親衛軍の第4親衛狙撃軍団がパブログラードの奪回に成功した。第1親衛軍の目標であるサポロジェはロストフに通じる幹線道路と鉄道の要衝であり、南方軍集団(2月11日、ドン軍集団から改称)司令部や第4航空艦隊司令部のほかに多くの上級司令部が置かれていた。
時を同じくして、ヒトラーはサポロジェの南方軍集団司令部を訪れていた。SS装甲軍団長ハウサー大将がハリコフから脱出した件について、南方軍集団司令官マンシュタイン元帥を譴責するつもりだった。ハウサーはB軍集団に所属しており、マンシュタインの指揮とは無関係だったが、ヒトラーはハリコフを即座に奪回するよう、マンシュタインに詰め寄った。
これに対し、マンシュタインはハリコフでの即時反撃ではなく、第1装甲軍とケンプ支隊の間隙部に突出している敵兵力の排除を最優先とする持論を展開した。
「この3か月間における敵の作戦を見れば、彼らの意図は明白です。我が軍集団の退路を遮断して、パウルスの後を追わせるつもりなのです。実際、ドネツ河からドニエプル河へと向かいつつある敵の進撃は、我が軍全体にとって重大な脅威です。よって、我が軍が採るべき道は、まずSS装甲軍団をハリコフ方面の前線から離脱させ、第1装甲軍とケンプ支隊の間で突出している敵の北翼を、クラスノグラード周辺から攻撃させることです。それと同時に、同じ敵の南翼を第4装甲軍の第48装甲軍団に攻撃させ、両翼からの挟撃で敵兵力を完全に殲滅します。
この第1段階の成功によって、我が南方軍集団の背後に対する脅威は完全に取り除かれます。その上で、先に述べた2個装甲軍団と第1装甲軍の第40装甲軍団を投入すれば、ハリコフの奪回は比較的容易に行えるはずです」
ヒトラーはそれではハリコフの奪回が後回しになると反論して、マンシュタインの反撃案を承認しようとしなかった。しかし、南西部正面軍の方針転換によって西へシフトされた第6軍と第1親衛軍がケンプ支隊と第1装甲軍の間隙部に姿を現し、マンシュタインが示した「我が軍全体にとって重大な脅威」が戦況図の上にはっきりと描かれたのである。
2月19日、第6軍機動集団の先鋒をゆく第25戦車軍団(パブロフ少将)の第111戦車旅団が第15歩兵師団を撃退して、シネルニコヴォに到達する。会議が行われているサポロジェから60キロの地点である。
もはやヒトラーには持論を貫き通す時間的余裕がなくなり、慌しく参謀たちとともに航空機で南方軍集団司令部から脱出した。同じ頃、ソ連軍の戦車部隊が20キロの地点にまで迫っていた。ヴァトゥーティンの作戦変更に助けられる形で、マンシュタインの計画に承認が与えられた。
さらにこの時、B軍集団の廃止が決定され、SS装甲軍団とケンプ支隊、「大ドイツ」自動車化歩兵師団はすべて南方軍集団の指揮下に置かれた。マンシュタインの頭脳には、ソ連軍に対する反攻作戦がはっきりと描かれていた。
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