[4] 包囲
11月20日、スターリングラード正面軍による南翼からの攻勢が開始された。スターリングラード正面軍司令官エレメンコ大将は深い霧のため、モスクワの「最高司令部」からの神経質な電話を無視して砲撃を2時間延期させた。
午前10時、5016門の火砲とカチューシャ・ロケット砲による支援砲撃がようやく行なわれた。続いてベケトフカの南から、第57軍が第13戦車軍団を先頭に発進した。さらに南方のサルパ湖とツァーツァ湖の近くからは、第51軍の第4機械化軍団がルーマニア第4軍の防衛線を突破して、西へ第5戦車軍と合流しようとしていた。
攻撃部隊の熱狂ぶりは誰の眼にも明らかだった。スターリングラード正面軍の政治局が歓喜に満ちた部隊の様子を伝えている。「スターリングラードを守る人々が妻や子、そして将兵の流した血を敵の血で贖う、久しく待ち望んだその時が来た」
祖国を侵略されたソ連軍が復讐を果たそうと迫ってくるとともに、ルーマニア軍の崩壊は加速した。ルーマニア兵はすぐさま武器を放棄し、両手を挙げて「アントネスクはくたばった!」と叫んだ。ソ連軍の兵士たちは多くのルーマニア兵が自ら左手を撃ち、パンを傷口にあてがう様子を目撃した。
ルーマニア第4軍の前線が突破されたことを知った第4装甲軍司令官ホト上級大将は第29自動車化歩兵師団(レイザー少将)に反撃を命じた。第29自動車化歩兵師団は楔形の陣地を取りながら、ベケトフカの南約16キロの地点で第57軍の側面に襲いかかり、大きな損害を与えることに成功した。だが、反撃を実施している間に、ソ連の他の戦車部隊は西に進撃していた。レイザーはB軍集団司令部から中止命令を受け取り、西方へ撤退した。
11月21日午前7時40分、第六軍司令部はB軍集団司令部に宛てて「戦局は我が軍にとって、形勢不利とは思えない」と打電した。しかし、この直後からルーマニア軍の崩壊と自軍が赤軍の大兵力によって包囲されつつあることを示す情報が届き始める。パウルスは手痛いショックを立て続けに受けた。
パウルスとシュミットは北西と南東から前線を突破された点から、ソ連軍がカラチのドン河にかかる橋を狙っていることを察知したが、この脅威に立ち向かえる部隊は存在しなかった。また、敵戦車の大部隊が司令部から30キロと離れていない地点にいるという思いもよらない報告も入った。
この報告を受けて、パウルスは司令部を慌ててスターリングラードから12キロ地点のグムラクに移動させる。これが交戦中の部隊との連絡をさらに混乱させる要因となった。司令部を移動させる間、パウルスとシュミットはニジニ・チルスカヤの第4装甲軍司令部を訪れた。同軍司令部の通信網で戦況をより詳細に把握しようと試みた。
ドン河西岸の第11軍団には、陣地を守り抜ける望みはなかった。ルーマニア第1騎兵師団と第376歩兵師団がクレツカヤから南東に撤退したことにより、第11軍団の防衛線に穴が開いてしまった。第21軍の第4戦車軍団と第3親衛騎兵軍団は北と北東から陣地を圧迫して、第11軍団はドン河東岸へ撤退する他なかった。
第21軍の西翼を進む第5戦車軍の第26戦車軍団はカラチの北西に位置するオストロフに到達していた。カラチのドン河にかかる橋は独ソ両軍の兵站に必要不可欠だった。ドイツ軍には組織だった守りは存在しなかった。主に補給・整備部隊の小集団と野戦憲兵隊の分遣隊、空軍の高射砲隊というまとまりのない寄せ集めがいるだけだった。
第26戦車軍団長ローディン少将はドイツ軍に破壊される前に橋を奪取することにし、第19戦車旅団長フィリポフ中佐にその任務を与えた。捕獲したドイツ戦車2両と偵察用車両1台に分乗したフィリポフの小隊は真夜中に出発して、カラチを目指して東に進んだ。
11月22日午前6時、フィリポフと数名の部下たちを載せたドイツ軍の車両がドン河にかかる橋にさしかかった。ドイツ軍の歩哨はそのまま車両を端に通してしまった。車両の中に潜んでいたソ連兵は一斉に飛び出し、機銃掃射を加えた。橋を守っていたドイツ軍の守備隊は蹴散らされ、後続のT34が橋を確保した。
ソ連軍はケルチになだれ込む。市街地は部隊からはぐれたルーマニア兵であふれ、混沌たる有り様だった。まもなくして、守備隊が持っているわずかな重火器は弾薬切れか使用不能になった。守備隊は工場を爆破した後、トラックに分乗してスターリングラードにいる友軍へ合流しようと東へ撤退した。
ケルチ陥落のニュースはたちまち第6軍司令部に届けられた。
「我が軍は包囲された!」
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