[2] ドイツ軍の認識

 ヒトラーもB軍集団の指揮官たちも、スターリングラードの南北翼の弱さについては認識してはいた。

 当初、第4軍団長シュヴェドラー大将はヒトラーに対して、ドイツ軍の両翼を装備も士気も低いルーマニア軍に守らせることに懸念を示した。400キロ近い前線を担当していたルーマニア軍の師団はわずか7個大隊に過ぎず、火砲用砲弾の補給もドイツ軍に優先権があり、ルーマニア軍の手元には弾薬の備蓄さえ無かったのである。

 この指摘に対し、ヒトラーは逆にシュヴェドラーを「悲観主義者」と罵倒して耳を貸さなかった。シュヴェドラーは10月18日、第4軍団長を罷免された。

 しかし、シュヴェドラーが示した懸念は罷免からわずか10日ほどで表面化する。

 10月29日、ルーマニア第3軍司令部がB軍集団司令部にソ連軍の兵力増強を報告した。ルーマニア軍総司令官アントネスク元帥はヒトラーに自軍が直面している危険な状況を話した。この時でも、ヒトラーはスターリングラードの陥落しか興味がなく、アントネスクの報告に何の反応も示さなかった。

 第6軍情報部長ニーメイヤー中佐はルーマニア第3軍の警告を真剣に受け止め、第6軍司令官パウルス大将と参謀長シュミット少将に詳細な報告書を提出した。しかし、パウルスとシュミットはニーメイヤーの報告書を無視した。2人はソ連軍が自分たちと同じような重点戦術による大攻勢を仕掛けてくるとは微塵にも思っていなかったのである。

 11月6日、陸軍総司令部東方外国軍課は「ソ連軍は南部での大攻勢を行うには戦力が不足している」という報告を行った。その約1週間後には、南部におけるソ連軍の動きはスターリングラードに通じる鉄道線の遮断を狙った浅い攻勢を企図したものであると断定している。

 対ソ諜報を担当する東方外国軍課がこのような判断を下したことは「最高司令部」の情報工作が、ドイツ軍に対して成功していたことを示している。晩夏から秋口にかけて、ソ連軍が北部や中央部で実際に攻撃作戦を行っていたことや、モスクワ付近に未だ多くの部隊を配置していたことが欺瞞を本当らしく見せかけていた。

 ヒトラーの関心が南方に引きつけられていた夏の時期、中央軍集団の戦区では奇妙な出来事があちこちで目撃されていた。

 前線部隊からの報告では、新規に編成されたと見られるソ連軍の部隊が毎日のように戦線に現れている。それらの部隊は数日間に渡って活動した後、どこかへ移動していくという。中央軍集団司令官クルーゲ元帥は姿を消した敵部隊は中央戦区での予備兵力に編入されたと思い込み、冬の到来と共にルジェフ付近で敵の攻勢があるだろうと予測した。しかし実際は、ジューコフの命令で前線活動の経験を積んだこれらの新編狙撃師団の大半は鉄道でドン河南部の後方集積地に送り込まれていたのである。

 ルーマニア軍の背後にたくみに隠れていたソ連軍の戦車部隊は3か月前の反撃で確保したセラフィモヴィチからクレツカヤに至るドン河北岸の陣地に展開した。煙幕がドン河を渡って橋頭堡に移動する部隊を包み隠す。宣伝中隊がラウドスピーカーを使って音楽やプロパガンダを流し、エンジン音をごまかした。

 11月17日、前線を視察中だったヴァシレフスキー参謀総長は急きょクレムリンに呼び出された。そこで、スターリンから第4機械化軍団長ヴォリスキー少将が宛てた手紙を見せられた。その内容はヴォリスキーがこの大掛かりな反撃作戦が失敗する運命にあると考えており、攻撃を延期して作戦を根底から計画し直すよう示唆していた。

 攻撃を中止する気は全く無かったスターリンはヴォリスキーに電話をかけるよう、ヴァシレフレフスキーに命じた。ヴァシレフスキーは攻撃命令が出た時、ヴォリスキーが命令通り攻撃を開始することを確認した。

 11月18日の夜、第6軍司令部は翌日も戦局は変わりばえしないだろうと思っていた。第6軍の戦闘日誌はあっさりとしている。

「前線はすべて異状なし。ヴォルガ河の流氷は昨日よりも少ない」

 休暇を待ち焦がれるドイツ軍のある兵士は故郷に手紙を書いた。手紙の中で「ドイツ国境から約3300キロも離れたところ」にいるという事実を思い起こしている。

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