おっぱぎ

赤井ケイト

第1章

『…国会の暴走としか言いようがない。このままでは民意を無視する政権であると捉えられてもね、仕方ないと思うんですよ。僕は…』

 コメンテーターの弁舌は続く。

 よくもあんなに口が回るものだ。舌に油でも塗ってあるのではないか。同じくらいに頭が回るなら、もっと周囲を見ればいい。さっきから他の出演者は目を合わせようともしていない。

 老婆はそう思った。

 年季の入った籐椅子に座りながら、老婆はテレビを見ていた。

 これが彼女の午後の習慣である。

 畳敷きの六畳間にある大きな液晶テレビ。

 窓辺に大量に吊るされた風鈴が、風を受けては盛大に鳴り出す。

 今年は都会で猛暑日が続いているらしいが、この辺りではそんな情報も関係ない。

 若者が好むのだろう洒落た店の紹介、都心部の水不足、芸能人の話題。

 それら殆どの情報が、自分たちからは遠い場所の出来事であった。

 それでも彼女はテレビを見続ける。何かを探すように。

『…次の話題です。毎年、都内で行われている映画祭。カンヌでもなく日本アカデミーでもない。この舞台の主役は学生。全国の部活やサークルが出品した作品の中から、最も優れた作品を決める全国学生映画祭が、今年も始まりました…』

 籐椅子のなかで老婆は身を乗り出した。音量を上げる。

『全国の学生たちの若い感性が作り上げる映画。現在活躍している映画監督も、この映画祭を足がかりにデビューを果たした名監督が数々いらっしゃいます。そのなかで、今年の映画祭の最優秀作品に選ばれたのは、都内にあるD大学映画サークル制作『限界からの輝き』という作品でありました。今回はこちらの映画サークルにお邪魔して、インタビューをさせてもらいました』

『それではD大学映画サークルの部長さんである、江田えださんにお話を伺いたいと思います。今回の作品のテーマとは何だったのでしょうか』

 女性レポーターのマイクが青年に向けられる。

 整った眉に意志の強そうな瞳をした青年は、画面の外にいるレポーターに顔を向けて答える。

『はい。この作品にこめられたテーマとは、現在も社会現象として大きく横たわっている、限界集落の過疎化に目を向け、私たち若者が本当に見つめるべき問題に向き合ったものでした。これら限界集落が本来持っている地域の力、人生を豊かにする生き方を、もっと私たちは知るべきだと思いました…』

 テレビをじっと見つめながら、膝をさする老婆。

 ひとしきりインタビューの内容を聞くと立ち上がり、居間へと向かう。

 被せられている白いレースの布をめくり、FAX付きの電話機から受話器を取る。慣れた手つきで登録されているその番号を見つけると電話をかけた。

「お世話様です。西浜にしはまですけども。トヨです。こないだはどうも。…なんも、なんも。膝の塩梅もぐしてらよ」

 この地域独特の訛りはあるが、トヨと名乗る老婆の口調は柔らかく、朗らかな性格を伺わせた。

 電話台に置かれたメモ帳をとりながら、トヨは話を続ける。

「広報の東浜とうはまさんに話っこあるんだけどもさ。そう、マサシさん。お願いします…」

 トヨは窓の外に目を向ける。

 先ほどまで開けていた空に、暗雲が近付こうとしていた。

 もうすぐ雨が降るだろう。最近、涼しくなると膝がしんしんと痛みだす。そういえば、通販番組でなにか薬を紹介していた。あれはなんだったか。買ってみようか。

 考えながら、トヨは電話の相手を待った。



 久しぶりに雨が降りそうだな、と窓を眺めながらキョウジは思った。

 灰色の雲はすっかりと空を覆い隠し、昼だというのに薄暗い。

 部屋の中では蛍光灯が点いている。

 太陽が隠れても暑さは変わらず、古いエアコンがごうごうと動いている。しかし冷房の効きが悪く、Tシャツが汗でべとついていた。

 キョウジはシャツの裾から、手で仰ぎ続ける。

 相田あいだキョウジはD大学二年生である。

 映画サークルに所属しており、今はサークル棟にある部室にいた。

 大学はすでに夏休みに入っていたが、今日になって、部長である江田えだタツヒコから招集がかかったのだ。部員は一人を除き、全員が集まっていた。

 キョウジたちは江田から説明を聞いているところであった。

「昨日、大学の総務部から連絡がきた。浪浜なみはま村という村落の、村役場の東浜とうはまさんという人からだ。先日、僕らが取材を受けたテレビ番組を見たらしく、是非、浪浜村のPRに力を貸して欲しいということだった。そこで、みんなの意見を聞きたくて、今日は集まってもらった」

 江田はそこまで話し終えると、席に座った。

 プレスされた清潔そうなワイシャツには、汗ひとつかいていないようだ。鍛えているのだろう太い手首に、シンプルな腕時計をしている。他にアクセサリーの類は身に付けていない。

 サークル部内では頼られる存在であり、信頼のおける先輩であった。

「浪浜村はA県の日本海側にある漁村だそうだ。過疎化が進む地域で、すでに限界集落であるらしい。広報担当の東浜さんは、その状況を打破するべく模索していて、同じような状況の村落を舞台にした、僕らの映画の存在を知ったそうだ。簡単に説明するとこういった事情だった。部員の意見をまとめてから、折り返し連絡すると伝えたが、僕としてはやってみてもいいと思っている。あの作品のテーマが、まさにこういった活動を促すためのものだったし、責任もあると思うんだ。上沼かみぬまはどう思う?」

 話を向けられた上沼アキナが答える。

「PR活動はいいと思う。でも、PRと言っても具体的にサークルとしては、何をすればいいのかしら。また映画を撮るには、スケジュールも費用も、短期間で部内のコンセンサスが取れないと思うのだけど」

 上沼はそう言うとストレートロングの髪をかきあげ、ほっそりとした脚を組みなおす。

 切れ長の瞳はややキツイ印象があるが、モデルと見間違うほどのスタイルの持ち主であり、おそらく本人もそれを自覚している。

 江田と上沼はともに四年生。この映画サークルを引っ張ってきた存在だ。

 昨年撮った映画『限界からの輝き』の脚本は、上沼が書いたものだった。学んでいる社会学部のなかでも一目置かれる存在である。

「PRの方法については先方とも少し話した。今回は浪浜村PRのコマーシャル制作がいいと思う。これなら現地取材して、構成を考えるだけでいい。僕たち、村の外からの人間が感じる魅力をにすればいいんだから。費用に関しては、交通費、滞在費、制作費。すべて村の予算で出してくれるそうだ」

 お金の心配だけはなさそうねと、上沼は頷いた。

「現地取材ってことですけど、スケジュールはどうします。先輩たちも四年だし、あんまり時間取れないスよね」

 キョウジの隣に座っている、眼鏡をかけた小柄な青年が話す。

 二年生の宇川うがわシンジである。

 宇川はキョウジと同じ学部であり、親しい友人だった。

「それなんだけど。実はこの夏休みの間に浪浜村に行って、その間で取材と撮影を同時に進めるのが、効率が良いと思ってる」

 江田は一つ一つ区切るようにして説明を続ける。

「それなら、編集はこっちに戻ってまとめてできるから。滞在期間は一週間を目処にして。コマーシャル一本分の画も、それくらいあれば撮れると考えてる」

 部員たちの間に僅かなどよめきが起こる。

「もちろん、急に時間を取れる部員は少ないと思う。だから、今回の浪浜村行きには、全員参加してくれとは言わない。有志を募る。最長で一週間の旅行が可能な部員だけで行う。そのあとの作業は手伝ってもらうとして、現地には少数でいい」

 江田は部員たちの顔を見回す。

「提案したのは僕だし、もちろん行く。上沼には二日間だけでもいいから、是非、参加して欲しい。お願いできないかな」

「そんな急に返事できないわね…。村に行く日が決まったら教えて。スケジュールが合えば、行ってもいいわ」

「それで構わない、なんとか頼むよ。他のみんなはどうだ」

 それぞれ隣の席のものと話し合ったりするが、なかなか名乗り出てこない。

 小さな溜息をついたあと、キョウジは手を挙げた。

「俺なら行けますよ。当てにしていた夏休み中のバイトが無くなって、スケジュールが空いてます。それに、タダで旅行できるんでしょ?」

 それなら自分も、と宇川が手を挙げる。

「実家に帰省するのも面倒だと思っていたし、俺も行きます。撮影に関してなら、機材は一通り触れるし。タダで旅行できるなら尚更っスよ」

「相田と宇川が来てくれるなら、撮影は任せられるな。お願いするよ」

「私も行きます」

 勢いよく手を挙げたのは荻上おぎうえサアヤ。

 セミロングの髪が活発そうな印象で、ホットパンツから伸びる脚は男子の目のやり場を困らせた。

 荻上も二年生であり、キョウジたちとは仲の良い女友達である。

「撮影のほうはちょっと分からないけど、取材だったら絶対に力になれます。海沿いの漁村なんですよね?お刺身とか食べたいな」

「おいおい。目的がずれてきてないか?それじゃあ荻上も頼むよ」

 苦笑いしながら江田は言う。

 その瞬間、上沼が眉をひそめたことにキョウジは気付いた。

 キョウジは内心、やれやれと肩をすくめる。

「これなら大丈夫そうだ。今回の浪浜村への取材と撮影には、相田と宇川。それと荻上。日程が合えば上沼。僕が責任者として。この五人で決まりだな」

 村の広報担当者には江田から連絡して、日程を決めるということで話がまとまり、部員たちはそれぞれに解散していった。



「それにしてもキョウジ、おまえ良かったのか?ミウちゃんに相談しないまま決めちゃって」

 廊下を歩いていたキョウジは、後から来た宇川に声をかけられる。

「大丈夫だろ。菊池だって夏休みは予定があって、俺と毎日会うわけじゃないんだし。サークル活動なんだから、やましいこともないよ」

 キョウジには交際している女性がいた。

 同じ学部の一年後輩である菊池きくちミウだ。

 菊池は学生寮に住んでおり、今は実家に帰省している最中であった。

「それならいいけどさ。男女間のいざこざなんて、見てる方も気が滅入るよ」

「さっきの荻上と上沼さんのことか?」

 先ほどの上沼の態度を、宇川も気付いていたらしい。

「そうだよ。荻上のやつ…。江田先輩が絡んで目の色変えるのは仕方ないけど、事情を知ってる身にもなれっての。上沼先輩がピリピリしてるのに、アイツ気付かないんだもんな」

「いや、荻上は気付いてたろ。当て付けじゃないだろうけど、江田さんと上沼さんが二人きりになる状況を作りたくないんじゃないかな。今、江田さんと付き合ってるのは荻上なのにな」

 宇川と顔を見合わせて苦笑した。

 荻上と上沼には、江田を取り合った経緯があった。最終的には、それまで江田と交際していた上沼がふられ、荻上がその座におさまる形となったのである。

 その出来事が昨年のこと。以来、二人の間には深い溝が生まれていた。

 宇川は眼鏡のつるを上げる。

「荻上も悪いやつじゃないんだけど。江田先輩と付き合い出す前はあんなじゃなくて。なんていうか、一歩引いた大人しい性格だったよな」

「年上の男と付き合うと、女の方も態度が変わるって話を聞いたことがあるよ。そういうことなんじゃないかな。ああ見えて江田さんも罪作りな人だよな」

「後輩と付き合ってるおまえが言えることか?罪でも罰でも背負ったっていいから、俺だって彼女が欲しいよ」

「欲しい欲しいって、ガツガツしているうちはできないってな」

「それ、ヒロト先輩の受け売りだろ。…っていうか、おまえに言われると腹が立つ」

 宇川は睨んでいるが、彼の童顔では迫力が足りない。

 彼はその童顔と身長の低さも相まって、学部の女子からは、可愛い男子として見られていた。

 残念なことに、宇川自身はそのことを知らない。

 キョウジは視線を受け流して続ける。

「荻上のことはともかく。江田さんも上沼さんも四年だし、サークル活動に係れるのは最後かもしれない。いいものを撮って成功させたいって思うよ」

「俺もそう思う。今回のコマーシャル制作の話が転がってきたのは、あの映画がきっかけなんだろ。俺は上沼先輩が映画を通して発信したものを繋げたい」

 そう語る宇川の顔は真剣だ。そうだなと、キョウジも頷いた。

「それじゃあ、シンジが愛する上沼先輩のためにも、頑張りますか」

「そんなこと言ってないだろ。勝手に話を作るな」

「顔に全部書いてあるぜ、シンジ。愛する上沼先輩のために命懸けますって」

「まだ言うか。このやろう」

 宇川はキョウジの首を絞める真似をしてみせる。

 それを振りほどいて、キョウジは宇川の肩を叩いた。

「先輩たちのためにも、明日から準備を進めるか。持って行ける機材も限られるだろうから」

 こうして、キョウジたちは浪浜村へ向かうことになった。

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